こんばんは。
雨の日の、濡れたハーブたちの香りは素敵ですね!
近所の道にハーブが植えられている場所があるのですが、
雨の中そこを通るときには、いつもハーブのミストの香りがします。
今回のテーマは、「行動のレベルに正解はない」です。
私たちはついつい、「行動のレベル」に目がいきがちです。
目に見えて、ふれられる、確かなもの…
それこそが現実だと信じているので、
どんな「行動」をしたらよいか?
という点に答えを求めようとします。
確かに、「ただ考えているだけで全く動かない」というように、
あまりにも行動に移すことができない場合には問題ですが…
でも、それよりも多くの場合、
私たちは何事も、「行動レベルで解決しようとし過ぎ」なのです。
ああ「したら」、こう「したら」、うまくゆくのではないか?
その選択で何かが変わって、良くなるのではないか?
と、DO(~をする)のレベルで正解を見つけようとしていませんか?
それによって、劇的な変化が起こせると思い込んでいませんか?
でも、あなたの心の状態(DOではなくてBE)が変わらないままなら、
ベースになっている「基礎」は同じですから、
これまでと同じような、似たシリーズの事柄が繰り返されるでしょう。
“行動”の違いによって一見何かが変わったように見えることはあっても、
ぬかよろこびに終わることが多いという方は、
あなたの意識の中にある思考や感情、行動の元となる動機といった、
源にあるエネルギーの方こそが力を持っていると思い出してください。
なぜなら、それが目に見える現実の「元」だからです。
ご存知の通り、
形として同じ「行動」をとっていても、その人が何を考えているかで、
その真実の姿、つまり「内容」は完全に異なります。
たとえば、同じ「ごめんね!」を人に言っても、
本当に相手の心を思い遣る気持ちで言っているのか、それとも、
自分の罪滅ぼしや、状況をコントロールするために謝罪しているのか、
その「動機」によって伝わるエネルギーが違ってきますよね。
私たちは必ず、エネルギーを受け取っており、
見せかけの「形」ではなく、発信するエネルギーに沿って現実も形成されます。
あなたの「心」が変わらない限り、
闇雲にアクションを起こしても、かえって物事を複雑にすることがあります。
結局、
「行動レベルでどんな選択をするか」はあまり大きな違いを生みません。
物理的にAを選ぶかBを選ぶか?
それによって「見かけ上の詳細の違い」が出たとしても、現象の中身、
「本質的に起こっていること」そのものは同じだった…ということがわかるのです。
私たちはいつのまにか「行動信者」のようになってしまったので、
とにかく動くこと、何かを「する」ことで、変化や解決ができると思っています。
でも、私が皆さんに思い出していただきたい質問は、
「あなたの心の状態は変わっているの?」
もし、自分の内側こそが、経験する現実の源であると理解して…
自分のとるひとつひとつの行動をきっかけに「心」を見つめるようにするなら、
何を行ったときでもフィードバックされる自分の内側の動きを見つめるなら、
あなたのとった「行動」も、意味を持つと言えるでしょう。
それは、
あなたの判断する「現実の結果の良し悪し」に価値があるからではなく、
あなたが現実の経験から学び、自分自身のことを知ることができた、
という点に価値があるのです。
「行動や出来事」は、二次的なものです。 副産物です。
はじめに考慮すべきは、あなたの意識が発するエネルギー。
具体的な解決策や行動を起こさない「静的な状態」を、
現代社会では、過少評価しすぎる傾向にあります。
「何をするか?」があまりに重要視されています。
あなたがその考え方に染まってしまっているとしたら、
じっとしていることや、何もアクションを起こさないでいることが、
あなたにとって不毛な気がして「苦」に思えることもあるでしょうが、
あなたの真実を発見するためには、
あなたの内側を見るしか方法はないんです。
「ここに行けば…それとも、あそこに行けば…」
「このように動いたら…あるいはこう行動してみたら…」
魔法のように物事が解決するという決定的な「正解」はありません。
行動レベルに、それを見出すことはできないのです。
探す場所を間違えているのです。
一方で、
「内側を見つめる」、「心を見直す」ということは、地道な作業ではありますが、
あの人やこの人を動かし・状況を動かすというような「外の諸条件」に関係なく、
自分自身でできるということが、最高の希望ではありませんか?
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