BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

変人でいいのだ!

グッド・アフタヌーン☆ (^-^)/

今日は「変人でいいのだ!」というタイトルで、お届けします。


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人が、誰かを見るときのイメージというのは色々で、

それはその人個人の独自のフィルターをかけて、

「この人はこんな人」と見る
のです。


だからといってそれが「にせもの」だと言い切れるわけではなく、

その人の世界の中では実際に、それが事実として経験されます。


よく言われるように「色眼鏡」をかけているという状態ですが、

色眼鏡の存在に気づかないままであれば、それは本人にとって“事実”。


では、眼鏡が透明に近ければ、あるがままの姿が見えるよね…

と、考えるでしょうが、私たちが「個人」という経験をしているときには、

どんなときでも多少は「個人の色」を通して見る
ことになります。


ですから、

それぞれが、それぞれの独自の宇宙の中に、

それぞれの独自のバージョンの「全世界」を持っていて、

Aさんという個人がいるとすると、

Aさんも、人の数だけ無数のバージョンのAさんとして経験され、

それは、Aさん自身の思うAさんとは異なることもあります。


こういった外との「ズレ」や「ギャップ」は、

本人がなるべく本人のままであればあるほど、

修正されていくということもあるのですが、

それは今回のトピックではないので置いておいて…。


先日、スピリチュアルカウンセリング個人セッションのお客様とも、

これと似たようなお話にふれる機会がありました。

そして私自身も、自分の素のままの自分のイメージと、

外から見られる自分のイメージに「ギャップ」があることが多かったな、

と、思い出しました。


たとえば現在であっても、私はスピリチュアルカウンセラーで、

このようなブログを書いているためブログ文章のイメージから、

きっぱりしているとか強い性格を想像されることもあるみたい?ですが、

そのイメージは私自身の姿とはかなり違うなぁと思います。


もちろんこれも「読み手」によってどう受け取るかの印象は異なっていて、

セッションにいらした折に、ときどきブログについてお伝えいただくご感想は、

私のあり方や素の状態と一致してることも多いです。思いがけず、

「伝わっているんだなぁ!」と感動し、うれしくなります。


それから、世の「スピリチュアル関係に携わっている人」のイメージから、

ヘルシーにこだわっている食やライフスタイルのイメージなどもあるみたい…かな?

これは、

「ブログだけ見てると健康に気を遣って体にいいもの食べてそう。」

と、妹が言っていたことがあるので!(笑)


食も、もちろん私なりのこだわりや気を付け方はあるのですが、

それは「世の基準」とは違うことも多くて…


素の自分のままでいると、

「変人」

と呼ばれることは多いんですよ!


そう、ここで今回のタイトルの…

「変人でいいのだ!」

…でも、こう思えるまでには紆余曲折がありました。


昔の私は必死で、「変人のままでいい許可証」を求めていました。

いや、今なら笑えるけど当時はエイリアンのような気分で、

他に誰か似たような人がいないかを探していたんですよ。


私は、
「外から見たら常識的な人」、「色々できそうな人」、

「世間にしっかり適応できていそうな人」という、

「外のイメージと素の状態とにギャップのあるエイリアン」

だったようでしたので、(ノ_・。) 

限界までやって勇気を出した揚句に、思い切って、

こういうことは精一杯やっても苦しいんだよ!私には向いてないよ!

と、訴えても、

「またまた!サボってるだけでしょ!怠けてるだけなんでしょ」

と、受け取られ、そう言われてしまう。

「頑張ればそれくらいできるはずでしょう!」と思い込まれてしまう。


そんな
孤独の中、私の学生時代、大いになぐさめになっていたのがこちらの本です。↓

文人悪食』

文人悪食 (新潮文庫)

文人悪食 (新潮文庫)

 

amazonで探したら、今は文庫だけなのかな。

私は、この作品と続編の本とを2冊ともハードカバーで持っていました。

沢山の本を大整理したときに、手放してしまいましたが。


文人悪食』の続編として出た2作目がこちら。↓

文人暴食』
 

文人暴食 (新潮文庫)

文人暴食 (新潮文庫)

 

私としては、何といっても1作目の『文人悪食』の方が好きでした。

どちらの本も、有名な文人たちの「変わった食生活」エピソードを皮切りに、

その人柄やあり方といったものに広げて著者が色々な考察をしています。

もちろん、この本に書かれているそれは、

「本人たちの一部」をあらわすものでしかないでしょうが、

それにしたって…中には絶句もののエピソードもあります。


私は当時、読みながらどんどん元気になる気持ちがしました。


うわぁ…なんて変わった人たちなんだろう。

こういう人たちが日本の文学界に名作を残したと思うと、

ワクワクするなぁ!!
と。

共感するエピソードもけっこうあったかもしれません(笑)


このように、

私はそのとき周囲にいた人たちの中に見つけられなかったものを、

本によって歴史上にいた人物たちに、見出していた
わけです。

「仲間」はいるんだと(笑)


しかも、私はその頃は漠然と作家になろうと思っていましたから、

日本の文学界に足跡を残した人々が、

こんなにも 変わり者 だったなんて!と、とても心強かったですね。


文人に限らず、確かアインシュタインも、

一般の基準からすればとても変わった人物だったとか…。

私が心躍ったエピソードとして(出典は忘れてしまいましたが、)

「石鹸が何種類もあるのは複雑すぎる。」

というアインシュタインの日常の意見がありました。

(※洗濯石鹸とか化粧石鹸とか色々種類がありますよね…!)


そのように、じょじょに「皆と同じじゃなくてもいいんだ。」

という考えを身につけて訓練していった私は(笑)、

今でも色々と、ある基準から見れば「おかしい」らしいところがあります。


たとえば私は、

こういったブログ執筆を含め、何かに集中して夢中になると、

自分の体の欲求を後回しにする癖
がありました。


のどが渇いた、お腹がすいた、トイレ行きたい、

暑い・寒い、疲れたから休憩したい…

そういった
体のニーズを無視しがちでした。


限界に近くなったとき、合間にしぶしぶトイレにいったり、

何か食べたり飲んだりする感じです。

自分の体の感じている暑さ・寒さについてはもっと対応が遅く、

寒いからもう1枚着ようとか、そういうことは面倒になってしまう。


だから、ひらめいたアイディアをなるべく早く形にしたいときなど、

たとえば
薄着のパジャマのまま寒い部屋で作業し続け、凍える

……などの経験がよくありました。


周りから見たらそれがもどかしく、不思議らしいです。


環境が充実している今の時代だから良いけれど、

昔だったらこういう無理をきっかけに、

コロッと死んでしまうタイプかもしれませんね(^_^;)

決して、
そのような無理に耐えられるほど体が強いわけでもない、

というのもポイントなんですね。


なるべく気をつけるようにしたいと言いつつ、

なかなか気をつけない私は、自分でわかっています。

そういうとき「肉体があることを邪魔に感じている」ということに。


優先順位が切り替わってしまい、「両方」大事にできてないんです。

今後の私の課題かもしれません!


でも、こんな私のあり方も、あるとき、

私が会社勤めしていた頃からの友人の、旦那様の話を聞いたとき…

(家でお仕事をされている旦那様です)

集中して作業すると、旦那様がまるで先述の私と同じ様子になることを、

友人がとても不思議がっていたので、

「それ、私はよくわかるよ。全く同じだから…」

と、そういうときの自分の心境や振る舞いを詳しく友人に話してみたところ、

私(masumi)もそうだった、ということが新鮮だったそうで、

(会社勤務の範疇では、その様子はわかりづらいですからね 笑)

「彼のことが前より理解できる気持ちになったよ!」

と、教えてくれました。役立つこともあるものですね:*:・(^∇^) :*:


今日のテーマをまとめると…

こんな私ですみませんと、現実が針のムシロのように感じられる人は、

他の人々と違う部分があっても、その独自の感性のまま、

堂々と世を眺められるようになったら、そこに気後れしなくなったら、

つまり世間と足並みをそろえることを第一義に置かなくなったら!


もっとずっと楽になれるんですよ。


さ、思い当たるあなた。

レッツ、変人のまま生きようよ!!


結局、私たちみんな、どうしたって、

お互いから見たら、お互いに少しずつ「変!」なんだからさ(笑)


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