BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

動物への思い込みを外す

こんばんは。

今回のテーマはかなり前から書こうとしていたのですが、

先延ばしになっていたテーマです。

「動物への思い込みを外す」です。


 
写真は、生きていた頃の愛うさぎと私の手。

 

このテーマは、「動物」に限定しなくても、

たとえば植物や鉱物に対しても共通することです。


私たちは、人間以外の生物とは「意思疎通できない」とか、

「伝えても理解してもらえないだろう」と考えていることがあります。


そしてどちらかというと、自分のためにそうなっているとは考えずに、

相手側(この例では動物)の方に理解する器がないからだ…と、

人間のように脳が発達していないからなどの理由で決め付けてしまいます。


動物とコミュニケーションをとれる人がいたら、

鋭い観察や訓練・学習による賜物か、特殊能力か、と感心するくらい、

私たちはそのリアリティーを「分断」しているのです。


そんな場合でも、人間に対しては、

コミュニケーションがとれるということ自体に対する疑いは持たず、

コミュニケーションの内容に気を遣うことはあっても、

ほぼ何も考えずにコミュニケーションをするでしょう。

「できるかな?できないかな?果たして伝わるのかな?」とは考えずに。


一方で動物に対しては、最初から、

「これは伝わるのかな?」

「できるはずがないか」

などと考え、疑う「壁」のようなものが心の中にあると気づきませんか。



それは私たちの中に、先に、

「動物とはこういうもの」という観念があるからです。

私たちがそうだと習ってきたリアリティーを信じているからです。


そのように観念のフィルターをかけているときには、

相手を自分と同じ、ひとつづきの「魂」として見ていません。


“動物”なんだというフィルターを通して見ている限り、

たとえあなたが、ある動物に対して、

「こう伝えているのかな?」

と気づいても、

観念の方を“基準”にしてしまった結果の自信のなさから、

「いや、気のせいか…」と打ち消すことが多くなります。



私自身も、そうでした。


なんだかんだいって、かわいがっていたうさぎが存命だったころには、

もしかして…と感じること、伝わってくることを、

百パーセント素直に信じることはできませんでした。


でも、亡くなってから、それらが「本当にそうだった」と気がついたのです。

後になってただそうとわかった、確信に至ったということもあれば、

うさぎを飼っている他の方のブログ等をいくつも見ているうちに、

「あ、やっぱりそうだったのか」と理解したことも多々ありました。


意味を人間語に訳すなら、

「遊ぼうよ」

「やったー♪(よろこび!)」

「もっとこれ、飲めるよ!」

など、本当に色々と語りかけてくれていて、

私はそれらを受け取ってもいたのに、

「そうかな?でも、そうじゃないかな…」

という程度の認識の範囲から当時は出ることがなかったのです。



それはやっぱり、自分の「動物への思い込み」の方が強くて、

そんなに意思疎通ができるはずがないよね、わからないよね、

…と、思っていたからでした。



でも、今になって思うのです。


「動物」だから、このようなはずだ。

このくらいしかできないはずだ。

人間とは、これだけ違っているはずだ。


私たちが当然のように信じている色々なことの方こそ、

どこまで一体本当なのでしょうか。


まっさらな心で、彼らと関わるとき、

あなたの意識には何が届くでしょうか。


動物とふれあう機会がある方は、ぜひ、

あなた自身がその答えを体験してくださいね。


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