こんばんは。
今日のテーマは、「客観は形を変えた複数の主観」です。
私たちは、自分と、自分でないもの(他の人や多種多様な存在)がいる、
と考えるので、「主観」と「客観」があるのは当然のことと認識しています。
これは、私の意見。でもあれは、私の意見ではない、という風に。
そういった区別は、この現実を経験するのに必要な前提ではありますが、
さらにもっと「奥」を見つめるなら、
私たちが「客観」と捉えているあらゆるものの見方は、
実は、自分自身の中にあるのです。
「私」の外はありません。
あれも、これも、私とは違う、とあなたが感じるあらゆるものの見方も、
実は「あなたの中に」あるもので、
あなた自身の解釈を経て生まれている、受け取っているという意味で、
「あなたの複数の主観」でもあるのです。
このことをわかりやすくするために、「夢」を想像していただきましょう。
あなたの夢の中では、様々な登場人物やシーンがあらわれますが、
それらも全て、あなた自身の意識の中にある映像です。
たとえば、あなたの夢に登場したある人物は、
あなたの心の一部を象徴的に、形として翻訳した結果、
そのような人物の姿になって表れているということです。
夢に関してのこのことについては、心当たりがあったり、
そうだろうなぁと受け入れることができる方も多いと思います。
一方で、「この現実」を見ている限りでは、
Aさんの意見はAさんに属し、
Bさんの感想はBさんに属し、
そして私、Cの思いはCのものである…
という風に、分けられるものだと錯覚をしているのです。
でも、この現実も夢と同じです。
あなたが見ている・経験している現実は、
すべてあなたの中にある現実なので、
この例でいうAさんは、あなたバージョンのAさん。
Bさんも、あなたバージョンのBさんということになります。
例に従ってあなたをCさんとするならば、彼らの存在は、
C-A, C-B…と表したいくらいに、
「あなた」という主体に属して経験されている便宜上の「他者」なのです。
ですから、「客観的に考える」というときにも、
「客観」ではなく、自分の中の「複数の主観」を経験しているにすぎません。
どんなに“他者の意見”を想定しているつもりでも、
あなたの中にある複数の主観のヴァリエーションを経験している、
ということなのです。
そうとわかると、
「人の目を気にする」ということも本当は幻想で、
あなたは、あなた自身の考えに怯えているのだ、
あなたが分散させ、外に投影している「自分自身の目」を気にしているのだ、
ということに気づくのです。
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