今夜の話題は、「地球との蜜月期間が終わり…」。
私の近頃実感していることです。
お彼岸用にと飾ってあった菊さんたちがあまりにも輝いてて…
君たちは本当にきれいだね♪
どんな人の感受性も、だんだんと変化していくものだと思いますが、
ここ数年間に起こった私の変化は、本人としても不思議なものでした。
何か主要なきっかけがあったということもなく、いつのまにか、
ずいぶんとものの感じ方が変わってしまっていて、戻らない。
変化したのはものの「見方」というよりは「感じ方」と表現したい、つまり、
意識してどうにかするものじゃない、感受の仕方というようなものでした。
それを、なんとか言葉として表現するならば、
「自分は地球に属しているというより、“宇宙”に属しているのを感じている」
という基盤のもとに、ものごとを感受していると言えばいいのでしょうか…。
少し違うような気もするけれどこれよりいい表現が今は思いつきません。
宇宙という言葉にあえてクオテーションマーク(“”)をつけたのは、
「物理的な意味での宇宙」という意味ではなく、
地球に限定されない世界、ということを表現したくて使っているからです。
かつて私は、なんだかんだ言って地球への強い愛情を持っていました。
地球が大好きでたまらない…
どんなに生きることに困難を感じていたときであっても、
その基礎の愛情は、豊かに噴き出ているのを感じていました。
それはブログ記事の表現にも、途中まで散見することができます。
まさに、タイトルにつけた「地球との蜜月期間」です。
それは生への執着とは全然違っており、純粋に、
「地球」というものへの強い愛情を抱いていたのでした。
ところが…
決して、地球に絶望したからとか何か具体的理由があるわけではなく、
気づくと私は、先ほど書いたように、どうしても、
「宇宙的な視点で生きる自分」の感じ方が優勢になってしまい、
地球は、その中での仮の拠点のような感覚が強まってしまっているのです。
これは、理屈で言えば、
以前から私自身そのように思っていたことではあるのです。
ですが、現在はそれが「完全な実感」に変わってしまっていて、
「地球蜜月期間」の自分の感覚には、もう切り替えることができない、
ということがはっきりしてしまいました。
決して地球のことをどうでもいいと思っているとか、
もはや地球への愛情を持っていないという意味ではないのに、
それでも「地球大好き期は終わった」と、実感せざるを得ないのです。
地球の「枠」の中にあるものにほとんど強い興味は持てなくなり、
その「枠の外」にあるものの方を意識せざるを得ない。
正直いってこの状態が「一過性のもの」だったならば、
私もさほど気にすることはなかったでしょう。
でも、そうではありませんでした。
この実感を、どうにか1つの記事として読めるよう言葉にしてみたのが、
◆「人生に飽きることと余生」という記事でした。
その最後の方で、
「唯一、まだ興味を持って何かできそうだな、と思っていることは、
認識され切れていない存在の側面…異世界と呼ばれるあれこれや、
一般に宇宙人やら精霊やら、架空扱いされているあれこれ、
そういった存在の窓口や案内役になることでしょうか。」
と、書きました。
実際に今、私の意識にかろうじてあるものは、
「人類の意識転換の手助け」
地球外の文明や、地球以外の世界の存在を人々が認識する、
その気づきをスムーズに受容するため、意識を移行するための補助。
つまり、地球外の文明や異世界への案内役。
(もちろん地球外の文明から、人間の文明へと参加する場合の案内も含む。)
こんなことが、いつのまにか心に浮かぶようになったのです。
まだまだ架空の話、SFファンタジー的に捉えられてしまいがちな、
色々な世界のこと。
一見、それに関しては、
時代はあまり動いていないように見えるかもしれませんが、
それらの新たなフェーズを認めるすぐ近くまで、人々は来ています。
ですから、
あなたがもし、他の次元のことについて考え始めたり、
この地球という文明だけではないことを思い出しても、
おかしなことだと不安にならずにいてくださいね。
あなたのそういった認識も、自然な形で、この現実と融合していくのです。
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