こんばんは。
今日のテーマは、「悲しみとのつきあい方」です。
人生の中で、ものごとは、変化してゆく。
時は過ぎ去り、ほら、今日は、もう昨日とは違う今日だ。
何もかもがひとところにとどまっていてくれない。
同じままでいてはくれないのに…
心の一部が、そのことに追い付かない。
頭ではわかってる。理解している。
日常は、流れている。
でも、心の一部がまだ、同じところをぐずぐずしていたいのだ。
止まっている。ついていけないでいる。
「悲しみ」の淵にとどまっている。
☆☆☆
人生の中では色々な悲しみを経験します。
別離や、何かを失うこと、変わってしまうこと、
あなたの中でどうしても受け入れられないと感じること。
そんなとき、「悲しみ」とどうつきあったらよいのでしょうか。
ただ脇へ押しやっても、悲しみ自体はなくなりません。
かといって、悲しみの中に「自ら好んで浸っていても」、
あなたの気持ちは滅入るばかりです。
悲しみを吹き飛ばそうと「から元気」を出しても、
心の一部が枯れてしまったような感覚がつきまといます。
ものごとの合間に…ひとりになった、ふとした折に…
悲しみが、「まだここにいるよ」と、浮かび上がってくるのです。
「悲しみ」それ自体を、
望ましくないもの、悪いもの、あなたの人生を邪魔するもの、
…というようには捉えないでください。
なるべく早くそこから離脱しなければいけないもの、
と、あせらなくていいのです。
そして、自分の内面の感じ方を人とくらべてはいけません。
このくらいのペースで回復すべき、とか、
あの人はもっとつらい立場なのに自分より元気にがんばってる、とか、
「つらさ」を比べることは意味がないのです。
その人はその人だし、あなたはあなたです。
また、出来事や状況などの「表面から見た様子」だけで、
内面に起きていることを判断することはできません。
自分の感情を過小評価も、過大評価もせず、
ただそういうものとして受け止める必要があります。
また、自分の内から浮かび上がってくる気持ち、
さまざまな思いに、寄り添うことはいいのですが、
「かわいそうな私」という思いに深入りしないよう気をつけてみてください。
それは「悲しみ」そのものを受け止めることとは少し違っていて、
その視点は、あなたを本質から「逸らす」もの。
あなた自身の本当の気持ちに寄り添うこととは、
違う性質のものが混じっているからです。
あなた自身のそのまんまの気持ちに直面するよりも、
他者や状況に向かう「はけ口」や、
「何らかの理由という出口」を作ってしまっています。
ですから、そんな風に自分をあわれんでいるときには、
その奥に怒りや、別の主張がないかどうかを調べてみてください。
悲しみは、とくに邪魔しなければ、あなたの日常の中で、
あなたにちょうどよいペースで、発散されていきます。
それは自然と、自己治癒していきます。
たとえばこんな経験はありませんか。
あなたが何気なく、目についたDVDや映画、漫画や本なんかを選び、
それを観賞してみたら、意外なほどに自分の心の状況にぴったりで、
どうしてこれを選んだのだろう?たまたまだったのに…
と、驚く。
毎日、もう自分はそんなに悲しんではいない、と思って暮らしていたのに、
涙が止まらなかった。
奥にひそんでいた悲しみが湧き出て、たくさん、泣けた。
こういうとき、あなたの「表層で自覚しているよりもさらに奥の部分」が、
あなたに必要なシチュエーションを整えてくれたのです。
あなたにちょうどよいタイミングで、ちょうどよい形で。
もちろんこれを、ヘルパー存在たちが協力してくれている、
と言ってもいいでしょう。
あなたにとって安全な形で、
あなたは、少しずつ、必要なら何度でも、
あなたの悲しみを解放していくことができます。
「悲しみに忠誠を誓って」暗くしている必要もないし、
「悲しみを抑えつけて」明るくする必要もないし、
ただ、ぜひ、自分の気持ちがちょっとでも自然に向くことには、
楽しめる程度に参加して、笑えるときには笑って、
そして、あなたの悲しみを「お荷物」と嫌がらず、
「心を暗くするもの」と邪険にせず、
すりむいた箇所の傷が気づくと治っていたように、
何度も悲しみがおとずれて、
先に光など二度とないように思えても、
じょじょにそのインパクトが薄れてきて……
気づいたら、そんな悲しみがあったことをすっかり忘れていた。
その苦しさを、同じように体験することはもう、できなくなっていた。
そんな日が必ず訪れることを、どうぞ覚えていてください。
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