今日は私の最近感じていることから。
時期でいうとだいたい今年に入ってから…くらいでしょうか、
明確な境目はわからないのですが、
「世界が変わったな(別な世界に来たな)」
と、感じています。
これ、「世界」の方が変わったという表現は正確じゃなくて、
自分のフォーカスする世界が別なものに移った…ということなのですが、
かといってそれは単に、
「ものの見方や感じ方が変わりました」という意味ではありません。
そうではなく、
「並行現実」という概念を聞いたことがあると思いますが、
私たちがフォーカスしている「世界」というのは何通りも、
この現実とかなり似ている現実も・あまり似ていない現実も多数存在していて、
その多種類ある中で、自分の見ている世界が、
「あ、違うヴァージョンの世界に移行したな」
と、感じているということです。
今までの現実というメインストリームがあったとすると、
その流れに付属するシリーズの現実の中でも、
このごろ、なんだか「分岐」がはっきりしてきたんじゃない?
と、感じているのです。
それは、これまでの「主要な流れ」として見えていた世界の中でだって、
本当はそれぞれの個人が厳密には「違う世界」を経験していたのだけれど、
概ねは、合意の現実として大体みんな似たような世界を経験できていた…
という現実から、
だんだん、それぞれの意識によって大きく「かけ離れていく」、
並行現実のシリーズの中でも、おのおのの「違い」が大きくなっていく、
という印象なのです。
今はまだ、お互いの見ている現実がかなり異なっていても、
「かなり違うな」と認識しながらも、
「同じ世界を共有している」という認識でいられるのですが、
やがて、それは「離れ過ぎて」、「違うものになりすぎて」、
本当に「別々の並行現実」として分かれていくのではないか…
と感じています。
このことは、以前から、
スピリチュアル分野の一部の情報の中では言われていたことではありました。
かなり昔、それを最初に聞いた頃の私の反応は、どちらかというと否定的で、
なんで?それって「分離」しちゃうということ?変じゃない?
…と腑に落ちない気持ちで、同意はしませんでした。
実は「すでに」たくさんの現実があり、
この世界はたったひとつの世界ではないのですが、
(つまり、いずれにしても多数の現実は存在している)
当時は、このあたりのことがしっかりと理解できていませんでした。
ところが、何年も経ていくうちに、体感的にというか、
自然とわかっていったこともあって、
「あぁ、これを言っているんだな」と、腑に落ちるようになりました。
定期的に会う友人にも同じ実感のある人がいて、
(その友人も最初は私同様に懐疑的でした)
互いの近況や気づきをシェアしつつ、
ゆったりとながらも現実が分岐していく流れを感じるよね、
最近とくに加速している感じがするね、
などの認識を話し合っていました。
それが、ここにきて、私としては、
「かなり勢いを感じる」という状態なのです。
結局、私たちは「個人レベル」で見ても「創造者」であり、
自分がどんな世界を経験したいかを自分で選びます。
意識的に選ぶか、無意識的に選ぶかの違いはありますが、
誰もがそのようにしているのです。
なお、どのような世界がより良いとか悪いとかの評価はなく、※
(※それは喜劇の映画とシリアスな映画と、アクションものの映画と…
様々な映画を並べてどっちがいいとか悪いとか比べるようなもの。
「好み」や、「何が見たいか」、「どんな趣味か」によりますよね。)
自分の意識が何を意図するか、です。
この数日間は、かなりこのテーマに沿うお話をしてきました。
「悪意」や「恐れ」が人間の信じている幻影であること、
それは病のようなものであること、
手を替え品を替え…お伝えしてきましたね。
あなたの根底にある観念、信じていることは何でしょうか。
あなた自身の信頼を「何に置くか」によって、
あなたの意識が投影する(共鳴し、選ぶ)映画の内容は変わります。
それは、自分がどんな世界にいるのかをあなたが決めるということです。
「こんな世界にいたいなぁ」と願っていても、
心の中では恐れでいっぱいだったり、
内心は「性悪説」を信じている…というような場合、
あなたの心の中で信じているイメージの方が「世界」に反映されます。
その選択があなたの満足いくものでなかったら、
選び直す
ことをすればいいだけです。
どのような「現実の経験」も、そのために役立ってくれます。
あなたが何を信じているかを見てください。
あなたの心がぐらぐらするとき、観念と観念がぶつかりあっています。
何に信頼を置くのかを、自分で選んでください。
自分で選んだら、それ以外の多種多様な観念については、
いちいち「踊らされず」にいていいのです。
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