こんばんは。
今回のテーマは、「問題を愛しすぎると」です。
自分の人生に、問題を持ち込みたい人なんていないよ?
誰も、問題を愛してなんかいないって!
そうかな?
本当に、そうかな?
「問題がある状態」を好んでしまっていないでしょうか。
愛するとか、好むという表現に語弊があるなら、
「そこに一定量のエネルギーを常に向けている状態」
と、言い換えてみましょう。
人生の中に、何らかの問題がいつもある。
どうしてこうも、気苦労が続くのか…
そう考えるとき、その要因は「外」に属していると思い込み、
人生とは自分の外側にあって「起こる」もので、
問題もそのように無作為に構成されたように感じてしまいます。
つまり、あなたの計り知れないところで、問題は起こる。
そして、それがひとたび自分の現実にもたらされたなら、
決して心楽しくなくとも「解決」しなければならない、と。
でも、「外」というのは存在せず、
すべては自分の意識の反映なのでした。
ここは、あなたの夢、あなたの意識の創造の世界なのです。
そうなると、問うべき場所は「自分の中」になってきます。
ふと、「外を凝視し、釘付けになる」サイクルを止めて、
自分の内側に疑問を向けてみます。
なぜ、私はこんなにも問題を作るのだろう。
問題に取り組もうとするのだろう。
すると、こんなことに気づくかもしれません。
人生に何らかの問題があること、
そして、問題を解決しなければとエネルギーを向けることに、
アディクトしているのかもしれないな、と。
それが常態になっていて、習慣になっていて、
そうじゃない生き方に目を向けていないのかもしれないな、と。
問題のない人生…
問題の「解決」にいそしまなくていい人生…
それを想像したとき、安らぎよりも、
なんだか不安や疑念や空虚さが感じられて居心地が悪いようなら、
あなたは「問題に関する観念」を持っているのです。
観念の例はこの後いくつか挙げますが、そんな観念を持っていると…
「いかに問題に取り組まないか」という発想はあまりにも奇想天外で、
「どう取り組むか」ということしか考えることができません。
苦闘しなくていいということを知りません。
もっと易しくていいんだ、というアイディアにおびえます。
そんなうまい話があるわけない!
そんなのずるをしている、何かおかしいに違いない、
…色々な疑いが湧いてきます。
あるいは単に、
「えっ!そうしたら(問題がなくなったら)、することがなくなっちゃう!」
と、思うかもわかりません。
大丈夫、それもまた観念です。
問題をそんなにも作り続け、一生懸命解決し続ける、ということがなければ、
その分のエネルギーを他のことに向けることができますね。
苦労して問題解決をするから、やり甲斐や充実感があるのだ。
問題を乗り越えたから、幸せだ。
たとえばこんな「方程式」を信じているとき、
問題がなくなるということは、
やり甲斐、充実感、幸せも手に入れられなくなることを意味するのです。
おっと!なんか変じゃないですか?
でも、それでは、問題をなくすわけにはいきませんよね!
もしもあなたが、やり甲斐や、充実感や、幸せがほしいのなら。
あるいは、
「創作をする人は、苦労して苦労して、心の葛藤を持っているものだ」
などの、創造性に関する観念もあります。
すると、問題がなくてハッピーな状態では、創作ができない、
「創造性も枯れる」と考えてしまうことになるのです。
人との絆、人間関係やロマンスでも、
「障害があるほど情熱が燃え上がる」
なんていう言葉も聞きますね。
ん!?障害がなくても情熱が燃え上がるということは不可能なのでしょうか?
その方程式、なんだか疲れてしまいませんか?
これらの観念はどれも「ただの観念」ですが、
信じている間は、方程式は有効で、そのように人生を経験します。
あなたが強く信じている観念があると、他の可能性に目隠しをします。
そうと信じていること以外の他の選択肢が、
あたかもないかのように経験し続け、生き続け、錯覚してしまうのです。
さて、あなたの内面にはどんな定義があるでしょうか。
ひょっとして…心の安らぎや、平和や、あなたの真に心地良い要素より、
問題を愛しすぎていませんか?
★このテーマは次の記事◆「プロセスが楽しみであるとき」に続きます。
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