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BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

アメリカ留学の思い出、表と裏編

雑記・音楽

前回の記事「表の顔と、裏の顔」を書きながらアメリカに思いを馳せ、

留学中のこと、そして現地の高校での話をまた書いてみたくなりました。

ほんとに、かいつまんだ一部なんだけど…それでも長くなりそう。

(過去記事にも、留学時のエピソードはちらほら登場しています。

ご興味ある方は、ブログ内検索を利用してくださいね。)

お茶でも用意して、くつろいで読んでください。


 



ちなみに学校事情について、☆前回の記事☆の方にも少し補足したのですが、

アメリカでは、高校進学は義務教育です。

地域の公立高校にはそのまま進むことができます。

日本のような受験もありません。


私の通っていた地域の公立高校は、なんとカフェテリアをはさんで、

隣にある小学校兼中学校の建物とつながっていました。

カフェテリアは同じ場所を、時間をずらして両校が共有して使うのです。



私のいた地域では、エレメンタリースクールとジュニア・ハイが一緒になっていて

(日本に当てはめると小学校と中学校)、8年生まではその建物で勉強し、

9年生から、ハイスクールに来ることになっていました。


つまり、日本でいう高校には1年早く入ってくるので、

Freshman(1年生)、Sophomore(2年生)、Junior(3年生)、Senior(4年生)、

の4学年が高校にいました。


私は日本の高校2年の夏から編入したので、Juniorに入りました。

日本人の私の目から見ても、Junior やSenior は見かけも大人びていますが、

Freshmanは明らかに幼いな!という印象でした。年齢的には中3ですからね。


ただ、学校に慣れていくにつれ、外見は大人っぽい他のアメリカ人生徒も、

中身は日本人の高校生より幼いことが多いな…と感じるようになりました。

これは以前の記事でも書いたように、地域性もあるかもしれません。

私の滞在先は南東部(ケンタッキー州)、白人多め、都市まで超遠いど田舎です。

留学組織が無作為に選んだ留学先なので、行ってみて驚きの連続でした。

当時の私自身の、アメリカに対する予備知識が不十分だったのもありますが(笑)



カフェテリアというのは、昼食をとる場所です。日本でいうと学食に当たるかな。

3種類くらいのメニューがあって、その中から選んで買いますが、※

(※こちらのメニュー・調理ともに他のアメリカンフードより質が悪いくらいで、

学生が毎日これを食べて大丈夫なのだろうか…?と思わせる内容でした('_' ;)

実際学生にも評判が悪く、それもあって下記のチョイスにする人もいたのかも…。)

キャンディーバー(スニッカーズ等の各種チョコレートバー)や、ポテトチップス、

棒のついたアイスクリームや、飲み物単体の販売もあって、

中にはそれしか買わない人もいました。


たまに、フィールドトリップ(野外授業)でランチボックス(弁当)持参のときなど、

大体シンプルなサンドイッチと小さい袋のポテトチップスかプレッツェル、

好みで小さいりんご1個、という感じで、日本人の感覚だと驚くかもしれませんが、

ポテトチップス等のチップス類や、キャンディーバーも立派なサイドメニューです。



そしてこのランチタイムは、私にとっては地獄でした。

というのも、生徒達は仲良しグループやカップル同士集まって、

テーブルを占領するからです。


この地域では見かけない、学校唯一のアジア人、そして留学生である私は、

控え目に言っても、最初は不思議な珍獣を見るような視線で見られました。

(過去にヨーロッパからの留学生ならこの学校に来たことがあって、また、

ポーランド人の男子学生も私と同じ家に一緒にホームステイしていましたが、

彼らは少なくとも外見は似ているので極端に浮いてる様子はありませんでした。)

それは遠巻きな視線で、話しかけてくる人は基本的に、ほぼいません。

通りすがりに、からかう奴はいましたが…。


ホストシスターのうち、高校に通っている方の女の子(年下で、Sophomore)が、

案内の一環として、最初は自分たちのグループに連れていってくれたのですが、

言葉のなかなか通じない私の世話が明らかにめんどくさそうになっていき…。


学年も違うことだし、毎回ホストシスターを探してただそのグループにいる、

というのもなんだか違うなと感じた私は、適当に「ここ座ってもいい?」と尋ね、

色々なグループのテーブルに果敢にも入ってみたのです。が…

彼らの会話に混じれることはなく、ほぼ空気のような存在でした。

どこに行っても、空気の存在。そこで食事するのは、は、針のむしろ…。



この頃の自分を振り返ると、今の私とは感性があまりにも違うので、

今の自分なら何でもないことでも、当時はつらかったんだなぁ、

と正直思いますが、その当時はその当時の感じ方でそうだったんですよね。


そうやって、ランチタイムをやり過ごすことは本当に苦だったのです。

学生たちは一番楽しみにしている時間ですが。

自分なりに、部活動に入ってみたり、「積極的」と思える交流は、

色々やってみたのですが、孤立したまま全然なじめませんでした。


本の学校ではそんな経験をしたことがなかったので、

ひとりの時間になると、日本の友達に手紙を書くことを楽しみにしていました。

また、友達からのエア・メール(懐かしい!)が届くのが本当にうれしかったです。

別の地域にいる留学生同士の友達も何人かいて、やはり絵ハガキや手紙で、

彼らと現状を報告し合うのも楽しかったし、すごく支えになりました。



ホストファミリーとも、形式上は問題なくやっていたものの、

実はギクシャクしており、様々な問題も実感していた私は、

だんだん手帳のカレンダーに×印をつけて、1日1日が終わり、

遠い帰国日が近づいてくるのを心の支えにするようになりました。

とにかく、つらかったのです。


今でこそ懐かしく思い出すことができますが、当時は真剣に悩んでいました。


カフェテリアでのランチタイム問題は、いっとき、

気さくに一緒にいられる友達を見つけることができて、解決した時期がありました。

それは楽しくも短めな期間でした。

それについてはこの後、詳しく書きます。



その時期が去ってしまい、カフェテリアの時間がますますつらくなっていた頃、

私は、「ランチタイム中はトイレに閉じこもっている方がまだまし!」と考え、

ほんとにトイレの中にいた時期がありました。

他にひとりでエスケープしていられる場所はなかったし、

人の出入りが多いので、案外気づかれないものなんです、トイレ。


しかし個室にずっといると、

「あのチャイニーズ、まだ入ってるの?」なんて、

人がいないうちタバコを吸いに来たやんちゃな生徒たちが言っているのが聞こえ、

「チャイニーズじゃないって!!」

と、内心ツッコミを入れたこともしばしばありました。



そのうち、ランチタイムに「フレックスタイム」というルールが学校で導入され、

お昼休みを前半・後半2つに分けて、前半にお昼を取った人は後半、

後半にお昼を取った人は前半、「フレックスタイムの活動」として、

どこかの教室に行って課外活動みたいなことをするというルールになりました。


活動といっても、仲良し同士で同じ活動を選んでおしゃべりしていたり、

入室したもののぼーっとしていたり、パソコンのゲームをする部屋があったりと、

そんなに真剣な活動ではなくゆるやかな活動でした。


このおかげで、私は前半・後半ともに移動してどこかの部屋にいることができ、

ランチタイムにカフェテリアにいく必要がなくなったのでした♪ちゃんちゃん♪


…って、克服しなかったのかよ!と思われた方、その通りです。

私の記憶にある限り、私は途中からカフェテリアの昼食に参加しませんでした。

帰国する時までね!!

誰も気づいてなかったのでオーライ!だったんですよ(…余計涙をさそうか?)。


それにホストファミリーが食道楽な家庭で、

車での帰宅時にデイリークイーンやらマクドナルドやら寄って、

ほぼ毎日、育ち盛りの13歳の子(Junior Highにいる)の間食をさせるので、

一緒に帰る事情上、毎回お相伴することになっていた私は、昼食抜きでもまぁ、

そう困らなかったんですよ。

食事としても、カフェテリアのランチは積極的に食べたいものではなかったし。



前置きが長くなりました。


そんな一時期、私が仲良くなって楽しいランチタイムを過ごせた…

のは、シェルターから来ていた子たちがいた時期でした。


シェルターとは、家庭の事情で家にいられない子たちが暮らしている場所です。

理由は様々だと思います。


そしてその子たちは、どういう事情でか詳しく知らないのですが、

ひとつの学校にずっといるということはなくて、たいてい数週間もしたら、

他の学校に移ったりするのか、いなくなっていました。


シェルターの子たちは、他の生徒と比べると見るからに貧しそうだったり、

まとっている雰囲気が違ったりしていました。


ここにいる、この地域からほとんど出たことがなく、

「幼稚園から高校までずっと一緒」な顔ぶれの生徒がほとんどの中、

色んな経験をしている目をしていました。


一部の生徒を除いて、やはり遠巻きにされているシェルターの生徒を見たとき、

私は彼らに声をかけてみることにしました。


すると、こころよく私を迎えてくれたのです。

留学生であるということは、拍子抜けするくらい気にしていませんでした(笑)

これ、もしかすると、都市部でアジア人も多い地域の学校だったら、

はじめからこんな感じだったのかもしれません。



とはいえ、仲良くなってもすぐいなくなってしまう…

そんな彼女たちの中で、比較的長くいる子がいると、私はうれしかったです。


彼女たちとは、仲良くなって普通の友達同士のように電話をしようとしても、

電話を繋いでもらうのすら難しいという環境でした。

(今のように学生が携帯を持ち歩く時代ではありません。)


彼女たちがそれぞれどんな事情でシェルターにいるのかは、

特に語られたこともないし、私からも聞いたことはありませんでした。



中でも、陽気な人格で印象に残ったのが黒人のミネーシャです。

この学校では黒人の生徒も少ない方で、さらにシェルターの生徒となると

ますます珍しい存在でした。


でも、彼女は持ち前の際立った個性でグイグイとなじんでいきました。

どこにいても彼女の世界を、崩さないのです。

また、この学校では少しでも珍しい格好をしているとじろじろ見られるのですが、

彼女は当時のファッション雑誌に載っているようなおしゃれを取り入れて、

目立っていました。


この頃私はまだ、洋楽といったらビートルズとかロックとかしか知らなくて(笑)

ヒップホップやR&Bもこちらのラジオやテレビで流れているのを知った程度。

自分がブラックミュージックが好きだということも自覚していなかった頃です。


でも、彼女のパワフルなあり方や、少数ながらいる他の黒人生徒の親切さ、

(白人の生徒に比べ気さくで、よく声をかけてくれました。実はこれは、

校内で「不良」と言われている白人の子たちの一部もそうでした。優しかった。)

彼らの特徴あるリズミカルな歩き方や、独特の発音などに感銘を受けていました。



ミネーシャは、数学が苦手で、同じ数学のクラスにいたので、

担任の先生に指示されて、放課後私の「Tutoring」を受けていました。

masumiが数学が得意だから、個人授業をしてもらいなさい!ということなのです。


ちなみにこちらでは私は数学ができる人になってしまいましたが、

それはアメリカの高校での数学が日本よりずっと簡単だからというだけでした。

多くの留学生が、この体験をすると思います(笑)

また、英語をしゃべることは下手でも文法はクラス一の成績を取ったりしました。

話せることと文法の習得度は別物、ということですね。


放課後、ミネーシャと一緒に数学(代数学)の教科書を前にしながら、

私が下手な英語ながらもなるべくわかってもらえるように説明すると、

「Are you genius !!!????」 (genius=天才)

と言って、本当にすごく驚いてくれるのです(笑)

同じクラスの生徒の中にはこのやりとりを一緒に見ていて、

空気に加わって、楽しそうに笑っていた人たちもいました。


彼女には、そういう周りを楽しくさせる明るいムードがあったのです。



ミネーシャは、前日までいつも通りに過ごし、ある日学校に来ませんでした。

それっきり、会えなくなりました。


シェルターの子たちがいつ去るとか、どこに行ったとかは、

学校の側から特に説明されることはありませんでした。

もしかしたら彼女たち自身も、知らなかったのかな?

保護の観点から、事前に教えてもらえなかったりしたのでしょうか。

私も聞かなかったから、わからないけれど。


でも、アメリカ人で私を屈託なく受け入れてくれる人たちがいた、ということは、

とても大きな心の支えになりました。


やがてシェルターの子以外にも数人、わりと仲良くなった子はいたのですが、

カップルや親友同士でいたりすると邪魔したくなくて(気遣い屋だった私)、

先述のようにランチタイム問題は、そのままで終わってしまいましたね~。


そして、

これに関連して、もしかすると過去記事のどこかに書いたかもしれませんが、

目の当たりにした差別の中でも個人的に印象に残った体験があります。

☆☆☆


私はホストファミリーとの関係に耐えられず、留学の残りの期間を考えて、

途中で「ホストチェンジ」を申し出たことがありました(ホスト先を変更すること)。

今の私から見れば別の接し方や関係性も築けたのではないかと思うけれど、

当時の自分の力量では精一杯頑張ってもそうなっちゃったんですね。


お世話になっている相手にとても言いにくいことなので、何度か留学機関の、

地域担当カウンセラー(だいぶ離れた場所に住んでいるアメリカ人)に相談し、

慎重に考えて決めたことだったのですが、ホストファミリーにはショックを与え、

そのとき、「仮の良好さ」は崩れて関係は悪化してしまいました。


とはいえ、その家庭ではお父さんが「ワンマン」で、

こっそり家族のメンバーにときどき嫌われているという側面があったので、

いつのまにか「ねぇ、お父さんのせいなんでしょ…」という話にされてしまい、

ホストマザーと、父に贔屓されていない娘である一番下のホストシスターとから、

「私たちには、気持ち、わかるよ…」と親近感をおぼえられ、

そんな流れでこの2人とは結束が強まる、という結果になってしまいました。

私側の理由は、決して、お父さんについてのことではなかったのですが…。


結局、ものすごい反対にあってホストチェンジはできなかったので、

この先も最後までこの家にお世話になるのなら、もうそういうことでいいや…

とうやむやになってしまいました。


そして実際、このお父さんはキレると大変だったのです。

私はむしろ、かわいがられていた方だったのだと後でわかりました。



私がホストチェンジを申し出たとわかったとき、ホストファーザーは怒り狂い、

口論の中でなぜかペーパーナイフをキラつかせながら、

「大体お前は、いまだに学校に友達もいないんだろう!」

と、そこに話を振ってきたので、

「います。今仲良くしているのはミネーシャです。」

と、私が答えると、

「誰だ、それ?」と、学校専属の進路カウンセラーであるお母さんに問いかけ、

彼女がシェルターからの生徒で、黒人女性であるとわかると、

「シェルターの、黒人の生徒なんて。ふふん」

と、鼻で笑ったのでした。


ここで、

「シェルターの生徒だと何がいけないの?黒人だと何が違うの?」

と、ショックと怒りをおぼえた当時の私でした。


でも、振り返れば、このおうちは学歴高めの中流(やや上?)白人家庭、

末っ子のホストシスターが黒人の生徒に恋をしてうきうきしていたとき

(恋バナはよく出るので、その時期誰が好きかとかは私もよく知っていました)

運転席のお母さんに、助手席から、

「ねえ、Mom、私がもし○○(黒人の生徒の名前)と結婚したら、困る?」

と嬉しそうに話しかけたら、

「そうね…それは困るわね…そういうことは考えないでほしいわ」

とまじめに返答されて、ホストシスターが沈黙したことがありました。


彼女が恋していた黒人の少年は、私も同じバンドのクラスで見ていたので、

(バンドとは、吹奏楽のクラス。バンドの授業は中高合同。)

とても穏やかで気のいい少年だと知っていましたから、

個人として素行が悪いとかそういう理由での答えではなさそうでした。

実際、その後ホストシスターが、相手が黒人だといけないのか?

みたいなことをいくつか質問して、気まずい空気が流れていた覚えがあります。


…これは予測にすぎないのですが、かえって、

ホストファミリーのようにやや知性の高さを意識しているような家庭ではなくて、

もっとフランクな家族だったら、そんな風ではないのかもしれません。

実際、ホストファミリーたちより生活水準は低そうな人たちの方が、

なんというか気さくだったり、逆に差別がなさそうな感じだったり、しました。


このへんは私が観察して感じたことなのでなんとも言えませんが、

そういった人たちの中にももちろん、差別する人はいるでしょう。ただ、

中流以上の家庭と見なされる人たちで、知的水準が高いと自負している人ほど、

内心でははっきり差別していても表ではそれを見せない、という二面性が、

育まれていたように思うのです。


たとえばキリスト教の教会の集まりであるとか、

私はどういう集まりなのかよくわからなかったのですが、

素敵な豪邸に住んでいるご婦人の「婦人会」らしき集まりに連れて行かれ、

日本からの留学生として紹介され、お話ししたときなど、

皆さん上品で、知的で、博愛精神にあふれているのですが、

と同時に、それが宗教の概念にただ従った結果であり、

果たして心の底からの、内面に裏打ちされた姿勢であるのか…という点では、

私には、なんだか違うように思えたこともあったのです。



表では笑顔で、国際交流に熱心で、教会の活動にも貢献している、

そんなホストファミリーでしたが、私の見た人間としての姿は、

本音はまた違うところにもあるのだな、と感じました。

私に対してだけではなく、ポーランド人の男性留学生に対しても同じで、

よくそのことについて2人で話し合ったものです。

それは、長期暮らしてみて初めてわかることでした。


そして、その歪みは、日本人の「本音と建前」とはまた異なる表現で、

細かい部分は違えどアメリカという社会全般にも見受けられるものだ、

…と暮らしながら感じたのでした。


☆☆☆


その後、仕事、特に精神世界に携わる仕事でアメリカ人と関わってからは、

「話がよく通じる!」と感じる体験が多くなり、

アメリカ人だとか日本人だとかを意識することはとても少なくなりました。


やっぱり社会人になってから、興味や目的を共有しながら関わる人たちとは、

国や人種や文化背景に関係なく話しやすいというのがあります。


ただ、そのように出会った人の中でも一部、「アメリカらしいなぁ…」と感じさせる、

びっくりするような「体面と内面のギャップ」を見せてくれた人たちもいましたが、

それはその表現、表れ方が非常にアメリカ的だったというだけで、

どの国にもそういった二面性を持つ人はいるものですよね。



今回は書かなかったけれど、留学中も、その後も、

私にとってアメリカの大好きな点も多々あります。

生活の中で、アメリカだったら…と恋しく思う、という場面もあります。


ただ、アメリカの他の地域に留学した人たちの話や、

私よりずっと長期滞在しアメリカの大学を卒業した妹の話を総合して考えても、

アメリカの姿はもはや、かつて日本で「典型的アメリカ」として見られていたような、

憧れられるような?華やかなイメージとは程遠いと感じています。


一見自由そうな見せかけとは裏腹に、不自由。

どの文化にもある程度は、あることなのだけど。


リアルに顔が浮かぶ人たちがいて、親しんだアメリカだからこそ、

今後の展開をポジティブな観点から見続けたいです。



そして、どんな経験をするとしても、ただ情報を眺めたり空想したりすることと、

「人々の顔や声を思い出すレベルで関わる」ということとは感覚が異なるから、

日本以外の国でも暮らしてみたいとか、別の文化の人々と関わりたい、

そう感じることがある方は、あなたの内から湧いてくるやり方で、

どうぞそれを「実現」してください!


苦い思いも、面白さも、びっくり体験も…

味わわないよりは、味わうのが楽しいよ。



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