BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

贖いや償いの概念のエネルギー体と出会う

本題の前に、まずは土曜の講座の最終お知らせを。
ご参加希望の方がいらっしゃったら、まだお申込み受け付けています。
課題やお手続きがありますので、前日(金曜)がしめきりですよ。↓

beats-and-love.hatenablog.com

今回は、「贖いや償いの概念のエネルギー体と出会う」です。

宗教、特にキリスト教に関わるテーマなので……
キリスト教に違和感をおぼえたことのある人の方が理解しやすいかもしれないです。 

これは眠っている間の夢や体外離脱ではなく、私の意識がある状態で、リラクセーションのため横になって休んでいたときに体験したことです。

コンシャス・チャネリング(自覚があるままのチャネリング)と同種で、意識はこちらにあるけれど、同時に他の体験もしているという状態です。 

☆☆☆

私はこのとき、意図してキリスト教やイエスの存在について考えていたということはありませんでした。

ただし、振り返ると、前日のことですが、外国の事件のニュースを見てキリスト教について考えた瞬間がありました。
亡くなった方とそのご遺族について祈るとともに(※遺族の方がキリスト教で、それに基づくコメントをされていました)、やはり亡くなった加害者の心の痛みについても祈ったのです。

そのとき私が考えたことは複数ありましたが、おもに考えていたことは、「亡くなった人が大丈夫だということを、遺族の方が認識することができたら少しは心が楽になるだろうか…」という、最近フォーカスしていた「死後生」についてのことでした。

痛ましい事件そのものについてももちろん考えたのですが、同時に、「死」はないということが当たり前に認識される社会になったら、今よりも人々は癒されるだろうかということに思いを馳せていたのです。

時間としては短い間のことでしたが、前日のその心の動きは、この体験の「引き金」になったかもしれません。

☆☆☆

まず、今回の体験に入るとき、私はリラクセーションの誘導CDを聞いていました。

いつもと同じくらい睡眠はとったはずなのに、どうも朦朧として眠気を感じやすかったので、短時間横になってリラックスしようと思ったのです。

CDはリラクセーション誘導の言葉が入っていますが、宗教的な背景や概念の言葉は入っていません。音楽もほぼ入っていないものでした。
それで体をゆるめることに集中して、眠らなくてもすっきりしようという魂胆でした。

ところが…

こういうときヴィジョンが見えることはよくありますが、今回は、思いがけずイエス・キリストのような存在があらわれたのです。

とはいえ、それは地球の歴史に現れた「イェシュア」さんその人ではありませんでした。
人々に教えを説いたご本人ではなく
人間の考えた宗教的な「イエス・キリストの概念」からできた「エネルギー体」だったのです。

つまり、聖書の教えや“キリスト教”の信じる概念によって、人々が作り出したエネルギー的な存在です。

その存在はもちろん純粋な光(=エネルギー)からできているのですが、「傷」の集合体を象徴した姿をしていました。文字通り、傷でできていて傷だらけなのです。

その「人間の作ったエネルギー体のイエス」は、「すべての罪や傷を引き受ける」存在なのでした。
彼の示すメッセージは、こういう内容でした。

「私が、あなたがたのすべての罪を引き受けます。私が人類すべての犯す罪の代わりに、すでに十字架にかかったのですから、あなたがたにはもう罪はないのです。裁いたり、咎めたり、苦しんだり、怒ったり、憎んだり、悲しんだり…しなくてよいのです。」

彼は、「どんな傷も私に預けなさい」という存在でした。
彼が代わりに十字架にかかり、贖ったので、それは無効になるのです。

その存在の、傷だらけながらも気弱なほほえみ、優しさに、私は思わずこう聞いてしまいました。

「あなたの傷は?あなたの痛みは?」

エネルギー体はこう答えました。

「私は、この世の傷がすべて幻想だと知っているから、痛まないのです。」

それはその通りです!
私たちのこの世界、現実が「劇」であるとわかっている視点からは、痛みはありません。
それが私たちの本質的な視点でもあります。

私はこの体験をしながら、一方で、
「なるほど。キリスト教をこれまでとは違った角度から見ることができて興味深いなー。」
なんていう風にも思っていました。

でも……その傷だらけのエネルギー体を見ると、違和感をぬぐえませんでした。
人間の罪の意識や苦しみの「依代(よりしろ)」のように作られた存在。
本来のイエスの教えは、このようなものではないはずだけど。

そうか、これまで人間には、概念としてこういう存在が必要だったのか…。
(※悪魔や堕天使としてのルシファーという概念が必要だったのと、同じですね。)

ひとつの歴史の道筋として、そう認識するとともに、
「本当のイエスは、こういう存在ではなかったはずなんだけどなぁ。」とも思いました。

誰かに「肩代わり」させるように説くことが本意だったわけではない。
「自分は特別な神の子だから、それを引き受けてあげますよ。」と説く存在だったわけではない。
これでは、人々の自己の「外側に」罪を引き受ける「ミット」的な存在を創るだけで、(そしてその存在を尊いものと崇めさせて、)終わってしまう。

人間が罪と信じているもの、傷や痛みと信じているものの根源を見ると、信じていた通りのものではなかったということがわかるから、その思い込みは消えてしまう…という点が大事なのになぁ。

このエネルギー体の「贖いのイエス」が引退できる日が来るといいなと思いました。
人々が、そのような概念上の存在を必要としなくなればいいのだけど。

そしてキリスト教に限らず、他の文化の宗教でも、「○○を代わりに引き受けてくれる神様」という観念は存在します。

するとやはり、人々の概念によって作られたその通りのエネルギー体に出会うこともあると思います。

☆☆☆

この体験の後も引き続きリラックスしていたら、ところどころ眠ってしまいそうになり、今度は気づいたら体外離脱していました。

あらららら……と思いつつ、一通り飛び回ったり色々体験して体に戻った後は、「すっきりしているけど疲れて」いました。

つまり、リラクセーションを行う前の妙な眠気や、けだるい感じはすっきり取れたのですが、その一方で、ラソンを走った後のような疲労もあったのです(笑)

たまに、夢の活動や体外離脱の後、たくさんの運動をした後のように疲れることがあります。
しばらく、エネルギーがぐらぐらしていることもありますよね。

そういうときは、何か食べ物を口にすると回復しやすいですよ。
この目的では、水や飲料よりも、固形の食べ物を摂取することをおすすめします。

いずれにせよ、今夜は睡眠を優先して眠りたいと思ってます(笑)


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