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BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

情報とあなたの心・フェイクニュースに思うこと

まず雑談から。前回記事でブログデザインをカスタマイズしたお話をしましたが、↓
「個性まで中立化してしまうと人生はつまらない」
ちょうどその翌日、スマホユーザーと会う機会があって…他の話題に夢中になっていた折、
「あ、そういえばねー、ブログのデザイン変えてから表示が見づらくなっちゃったよ!」
と、思い出して教えてくれたので、実際に見せてもらいました。

そしたら、パソコン表示の「幅」を変えたことにより、スマホ表示にもそれが反映されて乱れてしまっていたんですね。
それまではどうだったかを聞いたら、問題なく読みやすかったということなので、幅は元に戻しました。

私が使わせてもらっているデザイン「Simple Gray」はレスポンシブデザイン対応ですから、幅などの設定は(スマホ用に個別にカスタマイズできる人以外は)いじらないほうが得策だったようです。
使い始めるときの、レスポンシブデザインにするための設定は、作者様のサイトの説明を参照しましたよ。↓
はてなブログ『Simple Gray』のテーマをレスポンシブデザインに対応させる方法」

hacolife.hatenablog.com

読みづらい表示になっていた期間、スマホから読んでくださった方はごめんなさいね!
あと色も、想定したほどにはヴィヴィッドになっていなかったので、もうちょっと(読むのを邪魔しない範囲で)調整しました。気分に合わせたアレンジをしながら、自分にフィットしたブログになっていくと嬉しいです♪

さて、今回は「情報とあなたの心・フェイクニュースに思うこと」をお届けします。


近頃はフェイクニュースがよく話題になりますね。
昨年のアメリカの選挙時あたりから特に、この言葉の認識度が高まったように思います。

ネット上ではフェイクニュースが拡散されやすいと言われています。
私も実感したことがあって、ときどき息抜きに海外情報の紹介サイトを見ることがあるのですが、その中で話題になっていた他愛もないニュースが、実は創作だったと後で知ったことがあります。

何かの害になるような情報ではなかったのですが、事実と違うことがわかると何とも言えない気持ちになりますね!

なるべく情報の「ソース」まで見るようにしても、ソースそのものが作り事だった場合、その場で真偽は確かめようがないこともありますよね。

様々な意図からの作りごと、場合によっては本人も信じてしまっている「事実と違う情報」、必ずしもフェイクニュースの定義に当てはまらない情報も含めて、「情報」とどう向き合うか考えさせられる時代になりました。


いえ、言うなれば昔から人類は「情報」に影響されてきたのです。
ネットや現代社会はそれを象徴的に、スピーディーに見せてくれるかもしれませんが。

多くの場合、人間は、確かな「モノ(物質)」によって生きているように錯覚していますが、実は自らの思考、想念によってこそ動くので、どんな情報を自分が信じているか・取り入れて採用しているかが人生に影響します。

となると、「偽の情報を流すな!」とその発信源をどうにかしようとするより、自分自身が何を選ぶか、どうして選ぶかに自覚的になることの方が大事なのです。

昔から、そのことをよくわかっていた人たちの中には、意図的に情報を流したり、「偽書」をあえて作って流布したりして情勢や歴史を動かそうとした人もいました。
そして実際に、「多くの人間の認識のスタンダード」になったものもありました。

でも、そういった試みも、本来は個人個人が「自分の内側に沿って情報を選ぶ」ということを実践していたら、効果はないのです。


じゃあ、信じたいことを信じたらいいの?
と、疑問が湧く方もいるかもしれませんが、そのとき自分の内側を精査する必要があります。

自分の選択の動機となるのは、静かな「直観」なのか。
それとも、自分自身の「情動」に動かされているのか。

たとえば、フェイクニュースやある種の情報には、
人々の情緒に訴えよう、情動を揺さぶろうとする内容が見受けられます。

対象が元々持っている観念にFeed「えさを与えて」、感情を増幅させて満足させる試みです。

「○○が嫌いだ!」、「気に食わない!」と不満を持っている人がいたら、その人がちょうどよくガソリンにできるような情報を提供する。

「感動したい!」、「良い気分になりたい!」と思っている人がいたら、いかにも感動できそうな内容や、心あたたまる情報を提供する。

そして「共感」を狙うのです。

それでも、本人の中に元々持っている観念が関わらなければ、針はどちら側へも揺れない、動かないのですが。


一方で、誰もが持っている「直観」は、そういった情動とは関係のない「目」です。

「どうしてかはわからないけど、これにはのれない」
「なぜかはわからないけど、私はこっちには進みたくない」
「感動すべきなのかもしれないけれど、私の心には響かない」

そんなとき、あなた自身はどこに向かいたがっているかを、あなたの内側が教えてくれているのです。そしてそれは「あの人と同じ」、「皆と同じ」である必要がありません。

「みんなが」・「多くの人が」、こう言っている、こう感じている、だから本当らしい。少なくとも「一考の余地があるはずだ」。
理性は外を参照して、あなたをそのように説得しようとするかもしれません。

ところが、そういったルールや観念に「関係ないところにいる」直観は、あなたの余計なフィルターを通さない「声」なのです。

情報を元に憂慮したり、嘆いたり、立腹したりしていることに気づいたら、あなた自身はどう感じ、何を選ぶかを自覚する方向に意識を切り替えてください。

内を精査する代わりに、感情が外の情報とブランコのように「一緒に揺れているとき」、なぜ自分がそうしているのかを振り返ってみましょう。

すると、その元にあった自分自身の「観念」に気がつくことができ、
「あぁ、私はこういうことを信じていたんだなぁ」
「そこから、こういう感情を抱いていたんだなぁ」
と明らかにすることができます。

どんなに有益に見えるものも、必要に見えるものも、賢そうに見えるものも。
確かめるところは一つだけ。あなたの心には本当に響いているの?
あなたは、そのゲームに、乗りたいの?

それを「あなたの事実」として、あなたの人生(=あなたが創造しているリアリティ)に取り入れたいの?

あなたの心は、ちゃんとその答え、指針を持っていますよ!

 

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