BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

5次元以上の観点になじんでいくこと

今回は、「5次元以上の観点になじんでいくこと」というテーマでお届けします。
11月5日(日)の講座に向けてもふさわしい、この内容。
近頃の日々の中で、ますます色濃く実感を伴っていることでもあります。

はじめに明確にしておきますが、私たちは便宜上、「次元」という概念を使うものの、実際に「ここは○次元の世界」ときっちり分かれて何かが存在しているわけではありません。

私たちが4次元世界にフォーカスしてその経験をしていても、私たちの意識は「4次元のみ」を生きることはできないし、全ての要素を同時に含んでいます。
ある物事を、「どのように経験するか」を選んでいるだけです。

客観的に、「○次元世界」が外に存在するわけではないという点にご注意ください。

私たちは5次元的なあり方へと移行し始めている

少し前の「物理法則の観念から自由になる~意識はそこに閉じ込められていない~」という記事で説明しましたが、私たちは現在、主に4次元的な体験にフォーカスしていると言えます。

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縦、横、高さという立体を作る3次元の要素プラス、「時間」の要素も指定しなければこの世界を経験できません。

さらに、最近の私たちは、5次元的なあり方に近付いていっています。

ものの捉え方が根本からずいぶん変化したようだ……
直観的に物事を理解することが自然になった……
時の直線的な流れというタイムラインに縛られていないことを感じる……
などの自覚がある方は、まさにその流れに参加しているのです。

5次元的なあり方になると、どんな変化が起こるのか、もう少し詳しく説明します。

4次元的に想定する因果関係には、基づかない経験 

同記事でも言及しましたが、5次元以上の経験は「この世界で考えられているような因果関係」には基づきません。
物事が「同時」に存在しているのがわかり、4次元で経験しているような「一方向的な流れ」に沿ってはいないからです。

カード遊びにたとえると、私たちが今経験しているのは「次はどのカードかな」と前後関係を意識して、「順番に番号をふってカードを並べる」ようなルールです。
展開が「論理的に」、繋がって見える形を好みます。
そして、出しているカードは「一度にひとつ」という認識で生きています。
(本当は今の経験の中でも、あなたは「現在」に直面しながら、同時に「過去」や「未来」を参照していることがよくありますね。意識は依然として多次元を用いていますが、それで混乱することはありません。)

5次元以上になると、そのようなルールには基づきません。
一気に持っている手持ちのカードを、好きに出して遊んでいるような感じです。

意識が物事を創造する。それだけは「事実」ですが、4次元的発想で考える因果関係には縛られていないのです。

そのあり方は、あなたにとって身近な現象であろう「夢」で、すでに経験しています。

夢は身近な多次元経験

眠っている間に経験している「夢」は、あなたの意識が「この現実」のみに制限されていないときの様々な性質を開示しています。

夢として覚えている内容は、あなたが異次元で経験したことを、「この世界になじんだ意識の表現で理解できる仕様に翻訳」したものですが、意識の性質を知るには十分なヒントを与えてくれます。

夢の中のあなたは、日常起きているときに認識しているあなたより広大で、存在本来のあり方を垣間見せてくれるのです。

例をあげると、この世界では、私たちは論理的に情報を整理し、追うのを好みます。
その部分にものすごく信頼を置いているという、特異な仕方で発達をしているのです。
それも人類の歴史の中では比較的近年に起こっていることですが。

でも、夢の世界のあなたは、そうではありません。
夢の中では物事が「理路整然」とはしていないことに、気づいたことがあるはずです。

たとえば、あなたの話している相手が、人間なのですが「芋」になっていたとします。

この世界なら、「人は芋にはならない」という前提がありますから、あなたは「どうして芋になってしまったんだろう」、「いつから」、「どのように」などと考えるかもしれません。

ところが夢なら、あなたはそれをただ受け入れていて、物事は展開します。
芋になっている相手と会話したり、相手が芋から人間の姿に戻ったり。
仮に夢の中で何らかのリアクションをとったとしても、あなたは流れの全体を、自分のものとして「知っている」のです。
それは現象に、意識の作業が直接あらわれているからなのですが、あなたはそういった表現とダイレクトに繋がっていて、解説を必要としないのです。

4次元的な観点からこの姿勢を眺めると、「ただそうある」ということを常に受け入れているという風に見えるかもしれません。
「でも」や「だって」が必要なく、直観的に展開していきます。

5次元以上の世界では、そういったあり方が主流になります。

創作世界に多く見られる、5次元的な観点のヒント

芸術や遊び、創造力・想像力を用いる表現では、5次元以上の観点がよく流れ込んでいます。

それについて個人的にびっくりした、最新の体験をお話ししましょう(笑)

私はこの間見た映画「インターステラー」が好きでなかったので、その反動から、なぜか急に「メン・イン・ブラック」シリーズが見たくなってしまい、 何年ぶりかという長い時を経て、シリーズ全3作を見直しました。

正直言って「メン・イン・ブラック」は私の「大のお気に入り」というわけではなく、見たのも過去に1度きりだったので、自分の心に湧いてくる感覚には従ったものの、その意義までは理解していませんでした。

数年前にDVDで「3」を初めて見たときのみ、思いがけず内容に感心したという経験があったので、3を見直す「ついでに、」1も2も見てみることにしたのでした。

そうして書いた話題がこちらでしたが、このときはまだ、やはり3作目だけを高く評価していました。↓

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ところがなんと、後日すぐにまた、「もう一度はじめからメン・イン・ブラックの1、2、3を見たい」という感覚が起きました。そうしたばかりなのに、です。
元々のお気に入り映画だったのならともかく、さすがに少し驚きましたが、素直に見ることにしました。今日は1を、翌日は2を……というように。

すると……見れば見るほど、色々なことがぴたりと照合して、過去にこの映画を見たときには感じなかったこと(あるいは、感じたとしても程度が少しだったこと)が、次々とクリアーに浮き彫りになったのです。

「この現実よりは」、昔から見ていた真実に近い世界 

以前から繰り返し書いていますが、私は幼少期から、夢の中で色々な経験をしていました。
それもあって、自分の認識では「異星人・地球外生命」の存在はあって当たり前でした。
なぜ、地球ではそのことが荒唐無稽なことのように扱われているのか。
「いる」のになぜ、「いない」ことになっているのか。
私自身、今は地球人をやっていても、宇宙存在としてのアイデンティティーの方がより身近で、それは消せるようなものではなかったのです。
どんなに「地球人になり切ろう」としても、やっぱり覚えているものなのです。

この点については、後に、「地球にいる人たち皆がそうなのだけど、異星の文明との繋がりをどのくらい色濃く持っているか、認識しているかには個人差がある」と理解しました。

どれだけ自分の内側にある様々な情報・エネルギーを自覚するかには、段階もあります。
少しずつ目覚めるように、思い出すように、認識するのです。

私が過去に「メン・イン・ブラック」を見たときには、あまり自分の中のその感覚とは繋げずに見ていたのでしょう。第1作目が公開されたのは1997年でしたしね。
(公開された当時に映画館で一度見たのですが、それ以降は今回まで見ていませんでした。) 

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今になって鑑賞すると、コメディだからこそ巷に気軽に受け入れられているけど、よく見るとこれって真実を描写しているよね……というパターンです。

まず、私が今回驚愕したのは、かつて自分が夢で経験していた「組織」と、映画の中の組織「メン・イン・ブラック」がけっこう似ていたことです。
ちなみに、その夢をよく見ていたのは、映画が公開されるより前のことです。

自分が夢で経験していた組織については、活動の全容を掴んでいるわけではなく、断片的にしか覚えていません。ただ、私はその組織のメンバーで、映画の中のKとJのように移動の車の中でも訓練していたり、運転席のメンバーはあんな感じのスーツにサングラスで、雰囲気がこの映画のメン・イン・ブラックとよく似ていたのでした。
舞台は現代の地球というよりは「別の星」もしくは「地球だとしても、未来?」というのが、当時の私の感じていた印象でした。

こうしたSFのような夢を見ることを、昔の私は「一体どうしてなんだろう」と不可解に思ってもいました。常識的に考えると、自分の想像の範疇をはるかに超えていたからです。
その頃の私にはSF作品を好む趣味すらなく、そのくせ、それらのジャンルの超大作にでもなりそうな鮮明な夢を自分が見続けてしまうことに困惑していたのです。

その夢とは別に、「地球防衛隊」のような組織で働いている夢も繰り返し見ていました。
その組織は別次元に存在していて、今思うと、銀河連盟のような組織の一部なのかもしれません。何と表現していいかわからないのですが、上官は別の星の存在でした。

参考までに書いておくと、私は今でもそんなには、SFや宇宙ものの作品に詳しくありません。
映画「2001年宇宙の旅」は昔見ましたが嫌いでしたし、「スター・トレック」は見たことがないし、「スター・ウォーズ」は1作だけおつき合いで見たことがありましたが苦手でした。

そんな私が、地球を守る組織にいて様々な訓練を行っている夢を、度々見ていたのです。訓練もとてもリアルでした。

あまりにもリアルなので、当時たまに夢の内容を人に話すと、「想像力が豊かなんだね」とか「何かの映画みたい」と笑われることもあったので、相手を選んで話すようになりました。

それらを思い出すと、「メン・イン・ブラック」は、私にとってはかなり真実に近いのです。
日頃多くの人が信じている形の「この現実」よりは、はるかに真実寄りであると。
ただし、あんなに「地球を狙うエイリアン」や「闘い」は出てきませんよ!(笑)そこは映画との違いです。

思い出そう!「異常」は「日常」だったかもしれない

私たちが現在「正常」と思っていることの多くが、あるとき覆され、「新しい常識」に塗り替えられます。
このことを、「メン・イン・ブラック」シリーズはとても上手く描いているのが、今回新たに感動した点のひとつです。

2作目では、エージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)がメン・イン・ブラックで活動していた頃の記憶を失っている状態から始まるのですが……

彼がどう思い出していくのか、思い出してから味わった感覚は、というところが、作品全体の中では地味なパートでありながら、実は素晴らしい描写だと思いました。 

今信じている観念からすると「異常(もしくは超常)」であることが、「日常」だったときのことを思い出すこと。
これは私たちの意識にとって、重要なポイントを含蓄しています。
映画の中のKの目線に、あなた自身を重ね合わせてみてほしいです。

1作目、2作目とも、「地球の常識から外れる」ということをこれだけ面白く、ストーリー性も持たせ、かつ、笑わせながら成し遂げてしまうことに感心しました。

メン・イン・ブラックの組織の建物内で、様々なタイプの地球外生命・異星人がうろうろしているシーンが毎回出てきますが、あの光景も、私は大好きです。あれを視覚的に映像で見せたことは、すごく意味があるぞ!とワクワクします。

それから、ロッカー内のスペースに国を築いている種族や、小さな球体の中に住んでいる種族が出てくるなど、第1作から一貫して「大きさは関係ない」ということを示し続けていることも、素晴らしいですね。地球人は大きさの概念に囚われている、と(笑)

あとはキャラクター描写や、散りばめてあるギャグも素晴らしい。
KとJの関係性はもちろん、組織の人たちの性格も私は大好きなんですね。
互いが互いのままなのに、根底はあったかいところが。

笑わせるツボも芸が細かいというか、よく練られていて、たとえば1作目でKが、ハイスピードを出しつつ逆さまに走っている車の中で、忠告を聞かずシートベルトを締めていなかったために座席から放り出され苦戦しているJに、「リラックスしろよ、少しは仕事を楽しみな。音楽は好きか?」とか言いながら、エルヴィスのテープをカーステレオに突っ込み、ガンガンにかけて歌うシーン。逆さまになったまま、運転しながら(笑)
これは絵面としても相当面白いのですが、J(ウィル・スミス)の散々な状況を、さらに数倍の効果にするであろう点がうまい!と思うのです。
つまり、Jにとってはパニックの中、自分と違う世代の古い音楽を、Kのノリノリの歌声付きで大ボリュームで聞かされるわけです(笑)
日本風にたとえると、自分の親くらいの世代の上司の車で、お気に入りの演歌を流され、運転しながら気分良く熱唱されて閉口……という様子を思い浮かべるとわかりやすいでしょうか。

そうした「こう来るか……!」というギャグが多いところも、お気に入りです。

タイム・ハズ・カム!時は来た!

ほかにも書き切れないほど多くの「意義あるポイント」が映画内にはありましたので、それに気づくとすっかり「メン・イン・ブラック」を称賛する人になってしまいましたが。
「ときが来た」から、今になってこの映画に視線を向け、心動かされたのだとも思いました。

地球外生命との「公式コンタクト」に心が向いている人は、この映画が果たす役割に気づくに違いありません。
もちろん、繰り返しますが「怖がるためではない」ですよ!

ストーリー上、攻撃的な異星人が毎回登場するこの映画の中ですら、友好的な異星人を含む、たくさんの種族が描かれていますよね。
私たちが「地球中心」に物事を考えているとき、「ETは地球人を助けに来ている」、または、「ETは地球侵略や支配を目的にしている」、その両極端の視点を持ちがちですが、それだけではないということを思い出しましょう。
地球に興味のない存在もいれば、興味はあってもニュートラルに眺めている存在もいますし。

ひとつ言えることは、あなたが5次元以上の観点になじめばなじむほど、地球ゲームの中で同意していた観念からは解放されてしまう、ということです。

あなたの観点には、シフトが起こっていますか?
広がってゆく認識に、気づいていますか?

この話題をさらに掘り下げたい方はぜひ、来る11月5日の講座または個人セッションにもご参加くださいね!


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