BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

人生は「ちょっと怖い」方へ踏み出すといい

12月も半ばを過ぎ、年末感が増してきましたね。

明日の講座&懇親会「オーラ視と一年の総まとめ」は受付終了しましたが、12月中~来年以降の★個人セッション★は引き続き受付しております。

一年の締めくくりに、ご自身の意識や心の中の整理をするセッション、
また、2018年を迎えてから、新しい年のあなたのフォーカスをクリアーにすること、進みたい方向への自覚をオンにすることなどにも、セッションをご活用いただけます。

そんなタイミングで……
今回の記事の話題は、「人生は『ちょっと怖い』方へ踏み出すといい」です。

情熱や、わくわくするときめきを感じづらくなるわけは?

私たちは変化する存在、必ず変化してしまう存在なのですが、変化の中にはスムーズに自然に受け入れられる変化と、あなたの中でどうもギクシャクしたり摩擦を起こしたりと、ある種のインパクトをもたらす変化とがありますよね。

変化に対する抵抗や葛藤、戸惑いが起きるとき、心の中には恐れがあります。
変化の過程にあることを感じ取ったとき、すでに「変化の先にあるものを想像して、それを何らかの形で危険であると見なしている」のです。
すると、「何とかして現状に留まろう!」と、自分の心の中で起こっている流れに逆らったり、止めようとしたりします。

ところが、あなたの心の奥底では、恐れはありません。
あなたは変化したい、進みたいのです。
でも、「人間の世界になじんで、地球仕様の借り物の衣装を着ているあなた」 がそれをゆるしません。
あなたは「人間らしく教わり、身につけた観念」によって、自分にブレーキをかけます。
こうして、自分の中での分裂・対立が起こります。

もし、長い間、この状態が続いたらどうなるでしょうか?
始終綱引きをしているような力の使い方は、疲れますよね。
本当に疲れてしまうから、無気力になります。
行きたいけど危ない、進みたいけど怖い、そんな観念の下で、あなたは自分の力を「発揮させない方向へセーブ」し、物事をはなから「あきらめる」ようになります。

まるで情熱の感覚自体を忘れたようになってしまいます。
その炎は、隠れているだけで、消えたわけではないのですが。
わくわくしたりときめいたりは、自分には起こらないような気がしてきます。
本当は、わくわくやときめきの芽は、今でも味わっているのですが。

これまで知っていた世界や、みんなの輪から外れていくと、生きていけなくなる!?恐れのささやき。

どうしてこうも「恐れ」は、力を持つように見えるのでしょうか?

多くの場合、私たちは「生存」についての観念を、恐れの根底に持っています。

「死」が自分の存在の終わり(消滅)であると考えている者にとって、死を避けることは絶対優先のミッションです。

あなたは、死に繋がる可能性を避けよう、避けようとする……。
その中に、「人との関係」ですらも入ってきます。
人との関係に、生存の観念があるとは、どういうことでしょうか。

あなたは今回、地球人の子どもとして生まれて、こんなことを学習しました。 
小さな頃、子どもは親なり、その代わりとなる保護者なり、誰か自分の世話をしてくれる人がいなければ生きていけません。
そういった存在に気に入られるかどうか、見捨てられないかどうかは、ストレートに自身が「生存できるか・否か」を意味します。

その観念は、大人になるにつれ、なくなることもありますが、もしそのまま残っていたらどうでしょう。
あなたが色々な人間関係の中で味わう葛藤や恐れは、根底であなたの「生存(命)の問題」に繋がっているのかもしれません。

また、子ども時代、大人から教わることの中に、人の和を乱さないこと、「村八分」にならないよう気をつけることまでもが含まれるかもしれません。
そう教えられるベースには、やはり生存に関わる恐れの観念があります。
それは人間が本来持っている思いやりや、調和といった教えのことではなく「生きるために(死を避けるために)他者に合わせよう」という観念です。

人の輪から外れたら、あなたは孤立して死ぬかもしれません。
人に嫌われたら、ひどいめに、恐ろしい目に遭うかもしれません。

こうした観念をしっかり吸収し、心から信じたなら、「代々バトンパスされた観念を受け継ぐ地球型人間」のいっちょあがりです。

「生存のためには、すべてを犠牲にしても仕方がない!」

でも、それなら、何のために生まれたのでしょう!?
ただ生きるために?

あなたは死によって終わる存在ではないし、自分の現実の創造者である。

このような恐れの根本は、あなたが「真の自分」を思い出したときに氷解します。

あなたは何度も死を経験したことのある「存在」で、今回の人生が終わったとしても存在しています!
そして時間の概念で言う「死後」のあなたも「生まれる前」のあなたも、今いっせいにあなたの中に在るのです。

たとえで説明しましょう。
ある面白いストーリーの本に没頭して、登場人物になり切っていた読者が、本を読み終わり、本から目を上げた後にも存在しているように、
あなたもまた、この特定の人生から焦点を外しても、存在しています。

これを思い出せば、「生存」への観念は塗り替えられ、死は違った枠組みで捉えられます。

では、他者についての問題はどうでしょうか。
あなたは他者を、自分と分離して存在していると見なしているかもしれません。

けれども、あなたの現実に登場する他者は、皆、あなた自身です。
あなた自身を映し出している、あなたバージョンの他者です。

あなたは、自分の意識によって他者という「像」を創ります。
そのようにして、あなたの現実の中でのすべての他者を体験します。

人と繋がるとか・繋がらないとか、
輪から外れるとか・外れないとか、

それらは幻想・錯覚の中での問題にすぎません。

すべてはあなたの中にあるからです。

心惹かれるけれど「ちょっと怖い」は、ブレイクスルーの兆し。

こうした理解を持った後でも、あなた自身の真のアイデンティティーをふと忘れてしまった折に、まだ恐れが顔を出すかもしれません。

そのとき意識的に気づいてください。
どんな理解も、「実用」されなければ本当には理解されていないということです。

あなたの惹かれるあり方や生き方、物事に対して、そちらへ向かいたい・行動を起こしたいのに、「ちょっと怖い」と感じるとき、どうしますか?

この「ちょっと怖い」は、直観で「嫌だ」とか「ノー!を表す感覚」のことではありません。それとは区別してください。
あなたが全く心向かない方、嫌な方へと進む必要はないからです。

そのようではなく、自ら心惹かれたり、自然な流れとして向かっていることがわかるけれど、前半でお伝えしたように「その先にあるものを恐れて怖いと感じている場合」の話です。

そんなときには、自分の恐れの内容を、しっかり認識しましょう。
あれこれリスクや失敗のシミュレーションをしているとき、それが必ず起きるからとかリアルだからという理由ではなく、「本当に進みたい方向へ進むのが怖くて、私はこういった感覚を起こしているんだな」と、自覚するのです。

抵抗をあるがままに、脚色せず、余計な力添えもせず見つめれば、あなたはそれ以上、恐れに巻き込まれることがありません。
恐れを「見つめる」あなたは、恐れによってではなく、自らの本心に従って決断を下すことができるのです。

本当に自分が望んでいることに向かうとき、あなたにとってはそれが大切だからこそ、「自分自身に一致する」動きだからこそ、惹かれる気持ちと共に恐れるということがあります。

別な自分になるのが怖い、ということもあります。

自分自身と一致してしまうと、「周りに合わせていた自分」、「これまで信じていた世界に対して調節・妥協していた自分」から外れてしまう可能性があるからです。

そんなときは思い出してください。
新しいあなたには、そのあなたに調和する新しい世界と、新しい人々が待っています。

それでもなお、もはや心に響かない旧世界に留まりたいでしょうか。

人生において、自分の心が向いているけれどもちょっと怖い方向へと実際に踏み出すことは、あなたの本心の選択を肯定し、ブレイクスルーを起こすことへのGOサインとなるのです。


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