BEATS AND LOVE

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主体性のありか~ただそのものと向き合う~

「自分がこうしたい」と思っていることに、どれだけ従っているかを素直に点検すると、面白い発見があります。

もちろん究極的に言えば、全てが「自分がこうしたい」と思っていることに該当します。
仕事に行くのがいやだな、と思っていても仕事に行く場合、そこにどんなに「やめられない」事情が背景にあろうとも、「やっぱり行く」こと自体は、最終的には自分で決めているし、
生きるのがいやだな、と思っていても、今日も肉体を持って目覚めたなら、魂のあなた自身が「まだこの人生を生きる」と決めているということです。

人生の「望まない」出来事でさえ、あなた自身がその経験を本当に許可しなかったら、起こること・経験することができません。

そんな風に究極を見れば「全部が自分のしたいこと、自己決定」になるけれど、それよりフォーカスするレベル(層)を下げて、「考えに分裂のある自己のレベル」で見るならば、日常の中でどれだけ「主体的に」自分のしたいことをしているでしょうか。

それが今回の話題です。

決定するときの動機を見る

些細な物事の決定を含めて、自分が何かを決めるときの動機を見ていくと、自分自身の感覚に従うという意味での「主体性」をどれくらい持っているかがわかります。

逆に言えば、「他者由来」の動機で動いていることがどれくらいあるかも、わかります。

一例。あなたはお昼にパンが食べたいなと思ったのですが、最近読んだ「糖質制限」の情報を思い出し、炭水化物をとることに後ろめたさを覚え、その決定をやめました。
そして、何を食べるかをなかなか決められなくなり、迷います。

こんな場合、最初の「自分の感覚」よりも、「読んだニュースなり情報なり」の方を信頼することに決めたということです。これは、選択です。
糖質制限を例に用いたのは、ブームの影響で、本人が糖質制限をしたい人なわけではなくともその情報に影響を受けてしまっているケースがあると、周囲を見ていてわかったからです。

健康にまつわる情報や、何を食べるかという分野で「情報に影響されやすい人」は一定数いるけれど、あなたはそうしたいでしょうか。
自分自身が心からそうしたい場合は別ですが、ただ恐れから「こうしなければ体に悪いのだろうか、いけないのだろうか」と考えるときには注意してください。
あなたの動機を自覚するのです。

また、一例。
あなたはある道具を買おうとしていました。
理由はないけどなんとなく「これがいいな」と感じたメーカーのものがあって、価格帯も大体想定通りだったのですが、同種の品の一覧を見ていると、もっと安価なものや、さらに高くて名を馳せているものなど、色々な「選択肢」が目に映ります。

そこで、それらの選択肢も含めようと、各商品説明や広告、色々な人の「口コミ」を見始めると、あなたは目移りして一体どれが欲しいのかわからなくなりました。迷ってしまうのです。

自分の使用法なら、安いもので十分用が足りるのかもしれない。
いや、でも、作りが粗雑で長持ちしなかったらそれもいやだな。
いっそ、みんなが太鼓判を押している、歴史あるブランドの高価なのを買おうか……。

と、最初はなかった様々な考えが浮かぶのです。
そのときの動機の推移をはっきりと観察するなら、最初の自分の感覚を信頼せずに押しやり、根底にある「失敗したくない」という恐れに従って、他者の意見や「商品説明、広告」などの方へ信頼を置く「選択をした」ということです。

そして、ウェルカム・トゥー・ザ・ワールド!
私たちの世界には、そういった心が「参考にできる」様々な情報で溢れています!

しかし、参考情報を漁っているときでさえ、あなた自身の心に注意するなら、あなたが本当は「何を望み、何を感じているか」わかるはずです。

ただそのものと向き合えば?

周りがどう思うか、どう言うか、じゃない。
あなたがただその対象と向き合ったとき、どう感じているのでしょうか。

それはモノだけじゃなく人生の選択でも一緒です。

この年齢になったら、結婚してなきゃおかしいんだって。
→あなた自身は「結婚」がしたいの?
「結婚」というものに「自分自身は」何を思っているの?

この仕事をするには、長年の下積みやコネが必要だそうだよ。
→あなた自身はその仕事をどう展開していきたいの?
「自分自身が」その仕事にどう向き合っているの?

こんな格好をしていたら、みんなに馬鹿にされるよ!
→みんながどう思うかよりも、「自分自身は」どんな格好がしたいの?

こうした具体例を果てしなく挙げていけば、これを読んでいるあなた自身の人生にも、はっと該当する点が思い浮かぶかもしれません。
はたして自分の主体性を信頼し、活かすことはできているのかと。

気づけば、決定の拠りどころが、自分ではなく外側に置かれていること。

外側というのは、あなたのパートナーなり家族なり、親しい友人なりも含みます。
繰り返しますが、どんなことも、きっかけ自体は外の情報や他者の意見であっても、本当に「あなた自身が心からそう思う」ことであるなら、それはいいのです。

問題は、「自分がそうは思っていないのに、外に影響されて自分の考えだと思い込むようになった場合」です。

残念ながら私たちは、その姿勢が深刻なトラブルを人生に持ち込むということについて、多くの場合「十分に自覚的じゃない」のです。

主体性を失うということは、魂を枯れさせるということ。

しかしその主体性は、本当には「なくならない」のです。
主体性のありかが、「奥に隠れて」しまうだけ。
だからこそ、その二重性がトラブルに繋がります。

なくならないのだから、あなたが見ようと思えばそれは明らかです。
何であれ対象となるそのものと、自分だけとで向き合ったとき浮かぶインスピレーションは?

あの人がああ言ったこう言った、 この情報はこう言ってる、こんな統計が出てる、すべて無視して浮かぶものの方を見逃すな、ということです。

濁りなく自分自身の心に沿うことができるとき、その結果としてどんな展開を迎えようとも、エネルギーは通り、あなた自身の内側はクリアーなのです。

結局外のガヤガヤは、自分の恐れの声にすぎない

ここでまたフォーカスのレベル(層)をぐっと上げた観点、本来の「自己」の立ち位置から見てみると、あなたが現実に取り入れているあらゆる「他者の声や外の情報」は、何らかの形であなた自身の声です。

あなたが全く共鳴しないものは、あなたの人生に現れないか、現れたとしてもあなたは目もくれずにスルーして終わります。

あなたが何らかの形で「引っかかる」物事は、あなた自身の内側にあるものがベルを鳴らすがゆえに、響いているわけです。

創造者としてのあなたの心の中身が変わったら、外の世界も変わります。
何よりもその前に、外にあるものに対するあなたの「反応」が変わります。

人は、自身にとって本当に不快なもの、不利益であると認めたものからは、遠ざかります。
嫌な気持ちになったり、苦しいと思いはしても「同じ状態にいる」とき、自分自身の心の中の「それが必要だ」と思っている部分によって、そこに釘付けになっています。

それらをほどいていくには、ただ自分の動機、そうする根拠を知るしかないのです。

 

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