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BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

慰めのサイクルから抜けられますか

今回は「慰めのサイクルから抜けられますか」というタイトルで、スピリチュアル系とひとくくりにされがちな様々なワークについて思うことや、私たちの意識にこれからますます必要となるであろう在り方について、書きます。

「変容する」、「変化する」、「癒す」……あなたの意識フォーカスのシフトを多様な表現で呼ぶことができますが、たとえばあなたが何かのセッションを受けようとするとき、何を期待しているでしょうか。

おそらく、多くの人にとって「精神世界・スピリチュアル」というカテゴリの中に、霊能者やサイキックやヒーラーやチャネラーやセラピストがごちゃ混ぜになっていて、その違いを認識していないことがあるかもわかりません。

もちろん、あなた自身の直観で惹かれているならその対象が何であってもいいのですが、いちアドバイスとしてこんな風にお伝えすることができます。

あなたの心が「慰め」を必要としていると感じているときには、いわゆるサイキックや霊能者やチャネラーの元には行かない方がいいかもしれません。少なくとも、よく吟味した方がいいです。

☆☆☆

私は、たまたま最初は「セラピー」の領域からこの分野に入ってきて、そこから他の様々な「精神世界・スピリチュアル分野」の人々を見てきたという背景があり、その上、自分でセッションをするだけでなく、この分野の色々なことを教える講師をお世話したり、アシストする仕事に就いていた時期があったので、一歩下がって「観察しやすい」立場から見ていました。

もちろん私の経験しなかった分野もあって、たとえば、日本の霊能者についてはほとんど知りません。関わる機会がなかったからです。

ただ、国内・国外のセラピストと、サイキックやチャネラー、ヒーラー等の講師たちは見てきました。
また、自分の友人や周囲の人々で、サイキックの傾向が強い人たちのことも興味を持って観察してきました。

それでわかったことは、「セラピスト」と「霊能力を使う仕事」とは、ときに全く別物になることがある、ということです。
もちろん、両者の性質を持ち合わせている人もいますが、そうでない場合も多いことを覚えておいてください。

いわゆる「サイキック」系の人は、受け取ったものをそのままストレートに出してくることも多く、そこに「慰め」や「共感」を求めることが難しい傾向があるかもしれません。

ですからもし、あなたが「慰め」がほしい、自分の気持ちに「共感」してほしいと望んでいるなら、まず「セラピー」を選んだ方がいいかもしれません。

じっくりと時間をかけて、セラピストに寄り添ってもらいながら、心を癒していく。
その間、優れたセラピストは、あなたのガイドや伴走役になってくれるでしょう。
役割の種類が違うのです。

一方で、サイキックリーディングやチャネリングは「ショック療法」のように働くこともあり得ます。
相手(提供する側)の個性にもよりますが、たとえていうなら、必要なメッセージの結論部分のみをズバリと伝えて、オブラートにくるまない、ということもあり得るのです。

私は「通訳・翻訳」とも縁が深くて、自分もその仕事をしたことがあるのみでなく、何人もの通訳・翻訳者さんを仕事の関係で見て、必要なときには評価を考える側の経験もしました。

通訳もやはり、「橋架け」が上手な人、つまり日本人にわかるような表現をとって「プラス・アルファ」を加えて話すことができる人と、それができずに、英語文化の感覚のままで訳す人とがいます。
これは各自の個性とも呼べるもので、「共感力」が強い人だと、両者の文化からひとりでに必要な要素を汲み取って、理解しやすいように橋を架けていることが多いです。

ある意味では、精神世界・スピリチュアル分野の仕事も「翻訳」です。
本来言葉におさまらないことや、私たちが日常認識している「外」の領域のことを、「日常で伝わる言語に翻訳して」お伝えしているからです。


この点を理解していただいた上で、
スピリチュアル・精神世界の分野では、オブラートにくるむか否か、というのは難しい問題になってきます。
オブラートにくるむことで、「遠回り」をすることもあるからです。

私自身、入り口は「セラピー」だったのに、結局セラピストにならなかった理由のひとつも、そこにあります。
セラピーの手法によっては、「すべてクライアントに任せる」進行で、甚大な遠回りをすることがままあるのです。
そこにはたくさんの「抵抗」や「パターン」があるのですが、たとえセラピストがそれを認識していても、ただただ「クライアントに任せる」という姿勢でいると、へたをすると何年、何十年もの長期的な時間を費やすことはあり得ます。

セラピーにも、ただ受動的であるのではなく、必要な介入をしていくセンスが求められます。
それは「経験」で身に付けることができると考える人もいるかもしれませんが、実のところ、そのときに使っているのは直観的でサイキックな、第六感の領域と同じものなのです。

少し本題からそれましたが、そのように、「セラピー」と、直観や霊的能力を使うセッションとは、異なる場合も多いと考えていただいた方がいいと私は思います。

その区別を混同すると、あなたの求める“有益”な体験はできない可能性があります。(本当はすべての体験が有益なのですが。)

もちろん本人のネーミングによって、「肩書」がセラピストであろうが、チャネラーや霊能者であろうが、やっていることは一緒である場合もありますが、一応の参考になれば幸いです。

☆☆☆

ここからは、私たちがますます自覚する必要のあるテーマをお話しします。

人は、「慰め」のサイクルにどっぷりと浸かってしまうことがあります。
それは、「自分を心地よくさせる、いい気分にさせる人を探す」という発想です。
そして自身も、他者に対して同じ発想の下で慰めを与えようとします。

それが必要な時期もあるかもしれませんが、根本的に自己にチューニングをしたいのであれば、いつまでもそればかりしてはいられません。
その基準で生き続けると、「曇った眼鏡」をかけているような状態になってしまうからです。

たとえるなら、泣いたり、怒ったり、ごねたりすると「お菓子」をもらえると覚えた子どもは、今度はお菓子をもらうために泣いたり、怒ったり、ごねたりし続けます。

ちょうどこの間、ドッグ・トレーナーのシーザー・ミランを記事に取り上げました。

beats-and-love.hatenablog.com

シーザーの犬の扱い方・考え方がいつも適切とは限りませんが、私には気づきをもたらすものでしたので、例に挙げさせてください。

シーザーの番組で取り上げられているケースを見ていると、多くの飼い主が、犬が不安定で落ち着かない状態のときに「かわいがったり、食べ物を与えること」で、なだめようとします。
人間の赤ちゃんに対してするみたいに、「おー、よしよしよし。大丈夫よ。ほら、いい子ね。怖くないのよ!」と、迎合して慰めようとするのです。

ところが、シーザーいわく、それをすると犬には逆効果です。

犬は、望ましくない状態のときに「報いられ、褒美を与えられ、力づけられる」ことでまた、その状態や行動を繰り返します。

人間の対応が、悪循環を生むのです。

ではどうするかというと、犬が望ましくない状態になったときに褒美を与える、かわいがるのではなく、飼い主は落ち着いたまま、犬が安定した望ましい状態にあるときに、褒美を与えたりかわいがったりして知らせ、力付けるのですね。
「それだよ、それが望ましいあり方だよ。」と行動で示すことでコミュニケートするのです。

この教えは、人間にも共通する部分があります。

あなたが、「傷ついたり、不安定な状態にいるとき、人から関心や心地よい慰めをもらえる」と信じていると、傷ついたり不安定な状態に長くとどまろうとします。
ある意味では、そのような態度によって「外をコントロールしようとする」のです。

さらにそのとき、あなたの「望んだ通り」の対応をしてくれる人は「いい人」で、そうでない人は「悪人」になります。

もちろん、そんなやり方をしていると自分がつらいし、不幸なのですが、それが「パターン」として学習され、身についてしまっていると、人生の中でそれを繰り返してしまうのです。
本人としては「無意識に」しているかもしれません。

ある人が期待に応えてくれなかったら、その人のことを変えようと苦闘するか、別の「期待に添う人」を探すことになります。
自分を「満足させる」外の人を探して、取っかえ引っかえするのです。

シーザーの番組の犬の例では、常に「ハードル」になるのは人間の側です。
飼い主が、「でも…そんな態度をとったらかわいそう」と考えるからです。ここには結び付いている「感情」もあって、その感情を犬に移入(投影)しているのです。

犬のためになっていない「愛し方」を、手放すのに困難を覚えるのは、
自分の価値観では、そのように「慰め」を学習して生きてきたからです。

穏やかなエネルギーで、きっぱりと主体性を持つ。
それが人間にとって困難になってしまったのはなぜでしょうか。

「恐れ」があるからです。
自分を殺し、何か他の者になることで(自己犠牲)、関係性が円滑になると信じて生きてきたからです。
あなたが、家族なり、友人なり、恋愛などのパートナーなり、仕事なり、何かの関係において誰かに「自分をいい気分にさせてほしい。心地よくさせてほしい」と考えるとき、あなたは「ずれています」

自分自身にチューニングできていません。

調和した関係を築くことと、その望みとは、全くの別物です。
そのことをぜひ、思い出してください。

他者は、あなたをいい気分にするため、満足させるために存在しているのではないし、
あなたを嫌な気分にさせるため、不快にさせるために存在しているのでも、もちろんありませんよね。
いずれも、「曇った眼鏡」をかけていると、そのように見えてしまうだけです。


あなたがあなた自身にチューニングすると、「慰め」は要らなくなります。

誰かから共感してもらったり、「心を埋めて」もらわなくても、自分の中心に戻ることで、「満たされたWhole(全体)」の感覚を持つことができるのです。

もちろん、共感や慰めの表現を示してくれる相手への感謝の気持ちを持つことはできますが、「共感や慰めがどうしても必要だ!」とは思わなくなるのです。


愛を「慰め」と取り違えないこと。

これはとても大切です。 

あなたがあなた自身であるとき、他者に対しても、その調和したエネルギーから関わることができます。
その結果として、それぞれの意見を異にしたり、別々の道を歩むことがあっても、それは両者にとってちょうどいいことなのですよ。


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