BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

凡庸でありたい気持ちと、凡庸な人などいないということ(映画「アマデウス」と共に)

「普通がいい」って思うことありませんか?

人は、天才や、抜きん出た才能を持つ人や、それを発揮する人、活躍する人を羨望の眼差しで見つめることがある一方で、「自分はその立場になりたくない」とひそかに思っていることがあります。

決して、誰もが目立った活躍をする人になる必要はないのですが、自分自身の創造性を活かすこと、生きたいように生きることに着目したときに、あなたの中にもあるかもしれない、その「相反する思い」を眺めていくと興味深い発見があるでしょう。

今回はそんなお話です。

映画「アマデウス」で、サリエリの精神を殺したものは何か

私の大好きな有名な映画、「アマデウス」の中では、象徴的に、天才・モーツァルトに対するサリエリが出てきます。

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ご覧になったことがない方、簡単なあらすじはこちらをどうぞ。
アマデウス (映画) - Wikipedia

以下、史実ではなく映画に沿った世界観から、お話しします。

サリエリは、同時代を生きる音楽家である自分をモーツァルトと対比させて「凡庸な人間」と思い込み、劇中ではそう発言もしています。

彼自身のその「思い込み」こそが、彼を苦しめた正体であり、彼にとっては「事実」にもなるのですが、実はサリエリも十分に、第一線で活躍している音楽家であるということが、私たち映画の鑑賞者からは見て取れます。
映画の中のモーツァルトを天才とすれば、サリエリは秀才と表現する方がしっくりくるかもしれない、という「個性の違い」はあっても。

サリエリは、音楽を理解しない父親のもとで育ちながらも、音楽への情熱に忠実に自らの道を歩み、周囲からも評価されて宮廷作曲家になっているという「成功者」です。

モーツァルトの才能に感嘆したとしても、それがただの称賛の気持ちであれば、彼は彼のままでいられたでしょう。 

ところが、彼は「比較」しました。

「自分はこうだが、彼はこうだ」
「彼はこうできるが、私にはできない」

といった具合に心の中で逐一、「私」と「相手」を個人的に結び付け、同じ土俵の上に並べて比べたのです。

こうした心のあり方になると、私たちはもれなく破壊的になります。

あるときはその勝負に勝つが、あるときは負ける。
心の内で、そんな熾烈な「競争」が始まります。
その上、自身の根底にある思いは一貫して、「私は負けている(劣っている、価値がない)」なのですから、その勝負はゲームにすらなりません。
自分の価値が脅かされているという発想の根本から、「苦しみ」という結末が保証されているのです。

勝っても負けても、精神の安らぎのない戦いです。

思い込みを持ったあなたが勝負している相手とは

そのように「比較」による思い込みを抱くとき、あなたが勝負している「相手」は、実在する他者(対象)ではありません。

どんなシチュエーションであれ、サリエリのような気持ちになってしまったとき、 そのことを自覚してください。

あなたは、あなたの内側で作り上げた「自分を脅かす相手」と勝負しているのです。
それをこそ恐れているのです。

それは幻影で、あなた自身の想像によって作られた産物です。
でも、思い込みの中にいるあなたにとっては「リアル」であり、対象としている相手が自分の描く怖れそのものとして生きて、活動しているように見えるのです。

たとえば映画の中のサリエリは、音楽の道に協力的でなかった自身の父親と対照的に、自らの人生を捧げてモーツァルトの才能を援助するモーツァルトの父親が、羨ましかったでしょう。

それによって息子、モーツァルトが苦しんでいる部分もあることを認めつつも、そうした人間的な葛藤を利用して彼を苦しめることを思いつくほどに、サリエリにとって「モーツァルトは打ちのめす対象」になるのです。
なぜ、そこまでするの?
彼(モーツァルト)は、自分の得られないものを「不当に得ている」と思っているから。
神様は不平等だ!という怒りや悲しみ、恨みを感じているからです。

映画の中では、このことは度々サリエリと「神との関係」として描かれます。
サリエリは、自身の内では「神に反逆」しているのです。

人間は、最初は神と取引をする。
どうか、私の願いを叶えてください。 そうすれば、私はあなたに忠実に生きます、と。

願いが叶って神との蜜月が続くときもあれば、苦しい祈りが続くときもあるが、
結局それはままならないと知ると、心が折れて、今度は反逆をする。
神を恨む。

怒りや悲しみ、絶望が噴き出す。
そして決意する。もう、あなたになんかには背を向けて、ひどいことをしてやる、と。

でも、実際に私たちが挑んでいる相手は、いつでも「自分自身」です

凡庸な者など誰もいない 

サリエリが、モーツァルトが神に愛されているのと同様に、自分もまた、神に愛されていると確信することができたら。

それぞれの個性も、才能の表し方も違うけれども、同じように価値があると認めることができたら。

映画の中で、あの物語は生まれなかったでしょう。

彼がそのようにできなかったのは、自分への評価、自己価値を見誤っていたということ、根本にある自己信頼が見出せなかったということにありますが(モーツァルトの存在は、サリエリの心にあるそれを点火する格好の「燃料」になってしまっただけ)、私たちの日常ではそれに加えて、冒頭に書いた通り、自ら「凡庸でありたい気持ち」が関わっていることがあります。

出る杭は打たれる、と確信していたら?

「出る杭は打たれる」。
このことを信じているとき、自分の能力を発揮することに制限をかけます。

当然です。わざわざ「打たれたい」人はいないし、そもそも自分自身がこれを信じていると現実に、あなたが何らかの形で「能力がある」とか「抜きん出ている」とか「活躍している」と思っている人たちの「不幸の証」も目にします。
ううん、それどころかあなたも行動で、あるいは内心で、「出る杭」を打っていることもあるかもしれませんね。その観念を信じているのなら。

だから、身を持って、「出る杭は打たれる」をますますリアルに実感します。

人から叩かれ、悪しざまに言われ、「あれでは、気苦労が多いに違いない」。
「うわ、あんな風に扱われてまで、活躍したくない。」
「自分はそこまで強くない。」

それならば、目立たずひっそりと、誰からも放っておいてもらって、静かに暮らしたいよね。
そんな思いをしてまで、「打たれて」まで、何かをするだなんて、代償が大きすぎる。
自分の創造性はもちろん発揮したいけど、隠れてこっそり行うこともできるはず。
つつましくやってれば、うるさく言われないでしょ。

そんな気持ちになります。

そしていっそ、「凡庸である方が幸せ」という思いが説得力を持つかもしれません。

普通がいいよね。
普通が幸せだよね!

気苦労をしょいこみたくないあなたは、それをモットーにします。

……漠然と思い描く「みんな」の中で、たぶん「同じように」普通と思えることをして、波風立てないように、その中にある幸せをかみしめる。
そこから外れないためには、常に周りをしっかり、注意深く見ていないといけないけどね!

その選択自体はちっとも、悪くなんかありません。
あなたがそれで満足しているならば、あなたはちょうどよい自分を生きているのです。
あなた自身が心から満たされているのなら、「さらに自分を啓発」しようとする義務なんかありません。

ただし、あなたが「自分に言い聞かせて」いるならば、そこに別のものが潜んでいます。

普通がいいよね、普通が幸せだよね、結局そうだよね、と、怖いからそうしているならば。
心の奥にある何かに蓋をしていると気づいたら、自分に問うてみてください。

「普通」の範囲って、何?と。

セルフプロデュース論に気をつけて 

私はそんな風に、あなたの「心の中で採用している基準」を見つめるようにお伝えします。
それは有益です。そこにあるものは、あなたの人生をじかに形作っているからです。

その一方で、個人個人の活躍が注目され、色々なあり方が模索されている時代だからこそ昨今よく見られる、型にはまったセルフプロデュース論のようなものには気をつけてください。

あなたの「強み」を見つけること。
それを他者にもわかるよう、コミュニケーションすること。
自分はこんな人間ですと伝える方法を考えること。

あなたが活動していく中で、確かに、それらが必要なこともあるかもしれません。

でも、その方法や形すら、マニュアル化されていませんか?

ある人にとってうまくいったやり方は、ある人にとっては役立ちません。
皆が同じやり方に従うと、それはただの「型」になります。

根本的なことを確かめてください。

あなたは、「私は凡庸な人間ではありません。こんなことも、あんなこともできるんです」と、声を上げる必要性を感じていませんか。

凡庸な人間などいないということを今一度思い出しましょう。

あなたがあなたでいるとき、あなたは最も「非凡」なのです。

この世に二人と同じ人間はいません。
スピリット、魂としてのあなたの個性も、唯一無二です。

このことを信頼しているとき、「人からどう見られるか、どう見せるか」と思い悩む以上に、あなたにはやりたいことがあるのではないでしょうか。


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