BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

自分の希望を持つことと、期待することとの違い

だんだんと冷え込むようになってきて、そういえばもう12月だものなぁ、とはっとします。

今回は、「自分の希望を持つことと、期待することとの違い」をテーマにお届けします。

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まず、「期待」をテーマにした過去記事には、こちらがあります。
今回の記事内容と深く関連しており、基礎となる情報もあります。↓
「どんな期待してる?期待を調べると面白い」

beats-and-love.hatenablog.com

また、前回の記事も、流れとして繋がっています。
「共感というものに距離を持つようになると」

beats-and-love.hatenablog.com

希望は自分の中のもの。期待は外に向かうもの。 

自身の意識や心の使い方に自覚的になると、中には、「中立になる」ということを心がける方もいると思います。

いったん、中立になってみる。
それは物事をまっさらに戻して眺めるのに役立ちます。

けれども、私たちには生まれながらに個性、そして魂の「こうしたい」と望んでいる傾向、目的のようなものがありますので、「何もかも中立に捉えたままで、生きられるか」というと、そうもいきません。

中立であるものに、おのおの「味付け」していくのが、「自分を生きる」という「創造」でもあるのです。「方向付け」と言ってもいいでしょう。
積極的であれ、消極的であれ、誰もがそうして生きています。

状況はいつも中立です。あなたがそこに意味を与え、方向を定めます。

つまり、あなたの内から自然と湧いてくる望み、自分の好み、こう生きたいという気持ちは、排除すべきものではなく、必要不可欠なものなのです。

元々内にある希望を失くそうとか、中立に「どっちでもいい」状態にしようとか、無理をしてはいけません。それでは、あなたの心に負担をかけてしまいます。

あなたがあなた自身の希望を知ることは大切です。
それを自覚することは、人生の自然な一面でもあります。

その一方で、「期待」には、気をつけてください。
「希望」自分の内側にあるもので、自分に作用するものなのに対し、「期待」は、 外を巻き込みます。
もちろん、期待が自分自身へ向かうこともありますが、それは他者に対するのと同じように、内と繋がった自分ではなく、外なる自分(自分というキャラクター)への期待なのです。

希望と期待の違いをわかりやすくするために、例を挙げましょう。
あえて日常の中のシチュエーションから考えやすいよう、瑣末な例を挙げますよ!

希望を述べることは宣言、期待をすることはコントロール。 

あなたが誰かと一緒にお昼ごはんを食べに出たとき、「私は今日はパスタが食べたいな」と、自分の希望を述べたとします。
希望を述べることで、あなたは自分がどうしたいかを相手に伝えることができます。
もし(本当は自身の希望があるのに)、希望を述べることさえできずに黙っていたら、「この人確か、パンが大好きだったね。サンドイッチのあるカフェを探してあげた方がいいかなぁ」なんて相手が気を回して、実は相手も自分も全く希望していない方向へと、進んでしまうことすらあり得ます(笑)

希望を述べた時点では、自分自身のことを「表明」しているにすぎません。
「私は、こうしたい」という宣言だということです。

ところが、これが「期待」になると、どうなるでしょうか。

たとえば、あなたが「察してもらいたい」という期待を持つタイプだったら。
希望は伝えないまま、内心「パスタが食べたい。気づいてよっ!」と思いつつ、色々なお店の並ぶ通りを一緒にうろうろします。
そして、「ここもなかなかいいね(心の声:入ろうって言ってほしい!)」なんて、希望しているパスタ屋のウィンドーを眺めたりします。
ところが相手は「うん、でもあっちも見たいな」なんて言って、別ジャンルのお店を見に行ってしまいます。
「察してもらいたい」期待を持つあなたは、「察してくれない」相手にやきもきするかもしれません。

この例ほど極端でなければ、希望を述べた後から、期待が生まれます。

あなたは「パスタが食べたい」と自分の希望を伝えたので、相手がそれに従ってくれることを期待しました。
前回は相手の希望に沿ったから、今回は私の希望に沿ってパスタ屋さんにしてくれるよね……など、その期待にはひょっとするとあなたなりの「ルール・根拠」もあるのかもしれません。
ところが、相手は「ほんと?私は定食屋がいいな。定食屋のメニューにも確かパスタがあったから、一緒にどお?」なんて言います。

ここでがっかりしたり、腹が立ったり、内心もやもやするというのは、「相手が自分の期待に沿わないことに対する反応」です。

希望を持つだけの時点では無かった、「相手や状況へのコントロール」が生まれています。

「希望」は自分の中のもの、外に表現することはできても、他者をコントロールすることとは関係ありません。
「私はこれを希望します」と言っても、そこに関わる者たちがどう反応するかまでは求めません。自分が、自分の希望に沿って行動することはあっても。
一方、「期待」は、外をコントロールして特定の結果を作ろうとします。
それが実現しなかったときに、反応を起こします。

期待によるコントロールは、他者も自分も不幸にする

たとえばあなたが親で、息子なり娘なりがいたとします。
「この色、○○(息子や娘)に似合う!着てみない?」
と、あなたが発言した場合、これは希望でしょうか、期待でしょうか。

単に、「わ、これ素敵だな。○○に似合いそう!」と思っただけの発言なら、希望と言えるでしょう。(本来、着るものの好みは自分の着るものにのみ反映させればいいのですが、親しい人同士だと、この例のようなシチュエーションも起こり得ますよね。)

その場合、相手が「全然好きじゃない」、「着たくない」と拒絶しても、何もあなたの心に「相手をどうにかしたいという反応」は現れません。
相手の答えを受け入れて、「ああ、○○はこの服は好きじゃないんだな」とか「自分で選びたいんだな」など、状況に即した理解は生まれるかもしれません。
さらに、あなた自身の「○○にこの色は似合うと思う」という「自分の印象」はそのままで、相手の反応によってなくなるわけでもありません。自分の心も、相手に合わせて変える(否定する)必要はないのです。

これが「期待」である場合は、どうなるでしょうか。
相手がはっきり「着たくない」という意思表明をし、本人の希望を表しているのに、「似合うって言ってるのに。着てごらん!」と迫ったとしたら、これは「期待を押しつけて」います。
相手の反応や回答に、無言で気分を害するなど、態度で表したとしても同様です。
「私の期待に添わないので(自分の思うように反応してくれないので)、不快」ということを、言葉以外の表現で知らせています。
あるいは「いつも似合わない色ばかり着て。センス無いんだから。魅力を殺している」など、相手を否定し、自分の根拠に沿った説教をするなんていうパターンもあるでしょう。

これらは、他者や状況を、自分の期待に従わせようとするコントロールです。

人間関係を変えたいなら、相手をどうこうするのではなく、自分について知ろう。
自分が何を望んでいるかを含めた「自覚」を持つこと。

期待をちょくちょく押しつけてくる相手がいると、その相手にのみ問題があるかのように考えがちですが、人間関係というのは何らかの形で「両者のエネルギーが噛み合うときに起こっています」。
両者が関わり合って状況が続く場合、期待をかけられる側も「意思表示をしなかったり」、「自身の希望を肯定することを、後ろめたく思っている」ケースが見られます。

この点でも、あなたが「あなた自身の希望を自覚し、それを認めること」は大事です。

コントロールに基づく人間関係は、一見うまくいっているように見えても、不幸です。

コントロールする人は、「自分に自信がない」ために、相手を従わせ、自分の期待に沿うよう反応させることで「力を得ようとします」
そしてコントロールされる人も、もし嫌だと思っていても、「その関係性の中での仮の安全を得ている。自分自身を生きるよりは、このままの方が怖くないと思っている」のです。
自分を信頼できない者同士、双方とも、そのあり方に何かメリットがあると思い込んでしまっています。
両者のその観念が一致して、初めて持続できる関係です。

期待と、それに基づくコントロールの下で築かれる関係は、根底に「無力感」があります。
強者に見える者も、弱者に見える者も、両者ともにです。

そして、その不安感を埋め合わせようとしてまた、期待を持ち、コントロールするのです。
相互の立場が逆転したとしても、相手への期待を持ち続ける間は、そこに真の理解や平和は、ありません。

期待を押しつけ合う、コントロール合戦の世界の渦中にいると気づいたら、できること。

もし、自身も「期待に基づくコントロール」の世界にはまっていると気づいたなら、あなたがすることは、その中での「勝者」になることではなく、そこから出ることです。

このことを間違えないでください。
他者にどう反応してほしいとか、どう行動してほしいとか、状況がこう変化してほしいとかへ力を注ぐ間は、同じエネルギー構造の世界観の中にいます。

その構造の一員になることをやめるのです。
自分が、外への期待から成る世界観を保持し続けることをやめるのです。

そもそもあなたは、状況や他者を根拠に望まない影響を受けたり、コントロールされたりする存在ではないからです!
思い込みの、誤ったゲームに参加するのをやめましょう。

そして、他者や世界への期待にではなく、あなた自身の希望に沿って生きましょう。
あなたは、あなたの現実の創造者だからです。


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