今日のテーマ「意識のグラデーション」は、
以前書いた記事内で、言葉だけちらっと出したことがあります。
その記事◆「すべては終わっているのよん」
ようやくこのタイミングで、説明ができるようです(笑)。
昨日の内容と続けてお話ししていきますので、まだの方はこちら。
◆「『創造』と『作り上げること』の違い」
◆「神の意思」
と、その前に、
上の2つの記事を書いて、お話ししておきたいなと思ったことがあります。
私がこの世界について、自己について見つめていく中で、
自分自身の様々な体験、発見、学びがありましたが、
「コース」(A Course in Miracles)は、それらをまとめるのに役立ちました。
内容が実用的だということです。
それで、そこから得たものをお伝えするために、
記事ではよくコースの用語をそのまま使って解説しています。
たとえば昨日、イエス(Jesus)の話を出しましたが、
コースという本は「イエスの声」を書き取ったという前提なので、
イエスのことが当然出てくるのです。
でも、コースの中でさえ、イエス以外にも同じような立場で、
人類の教師になる個人はたくさんいる旨が言及されています。
使われている用語や名前は、表現上のシンボルと受け取ってください。
それともうひとつ、同時に、
私は私の言葉で、私の直接体験と、インスピレーション
から得たものをお伝えしたいと思っています。
だから、昨日の記事の中でも、コースの用語を使いながらも、
「私自身の解釈と表現」が入っています。
詳細の全部がコースに書いてあることではありません。
でも、コースの内容と矛盾することはありません。
私の考えとコースの考えが大きく矛盾していたら、
私自身、学習が進められなかったでしょう(笑)。
以上の点をご理解の上、記事を楽しんでいただければ幸いです。
☆☆☆
さて、それでは今日のテーマ「意識のグラデーション」。
ここでいう意識とは、consciousness のことなのですが、
この体が朽ちてなくなっても、「あるもの」だと考えてください。
そういう意味でこの言葉を使って、話をすすめます。
意識には、グラデーションがあります。
つまり、全部ひとつながりになっていて、
その中で、いったりきたりできるということです。
何かの、ボリュウムつまみを思い描いてください。
ボリュウム最大(MAX)のときと、最小(MIN)のときがありますね。
それらは続いていて、
途中のボリュウムだけ切り離されて感じられることはないですね。
これを意識にあてはめると、
意識がMAXの状態のとき、ひとつの神の子(ONENESS)。
意識がMINの状態のとき、エゴ。
実は、どちらも同じもののグラデーションです。
☆☆☆
エゴは、ボリュウムを最小限に絞ったときのように、
神の子であることを「忘れた」状態です。
神の子というアイデンティティーを携えた意識を、
最小のところにまで絞ってます。
それゆえ、代わりに、
自己のアイデンティティーを別なものに置いています。
そう、この世界では、1人1人がまず「体」に置いていますね。
私たちはこの世界で、自己と体を同一視しています。
エゴというのは、何か別の世界からきた魔物で、
あなたに「取り憑いて」いるわけではないのです(笑)。
神の子が、遊んでいるうちに、自分がなんであるかを忘れちゃった!
その状態がエゴです。
だから、今現在も、意識が100%の状態にないだけで、私たちは変わらず神の子です。
最大限に自己の正しいアイデンティティーを認識すれば、
自分を「神の子」以外であると感じようがないわけですが。
ところで、
「神の子」と「神」の違いは何なのでしょうか?
昨日の記事からこれ、気になっている方いませんか?
私は、学習の過程でそこがとても気になりましたよ(笑)。
このことを説明するには、今までも記事に書いてきた、
「時間はない」ということや、「動きはない」という説明が、
役に立つかもしれません。
☆☆☆
神とは、全体です。
ひとつの全体、実在であり、そこには動きがありません。
STILLNESS(静寂)と言っていいかと思います。
全部がそこにある。つまり不動です。
神は不動の全体。
すべては神の中にあり、すべてであるものを神という。
一方、
先の記事で、「神の子」は神の思考である、と述べました。
神の子は、神の考え(アイディア)なのです。
言い換えれば、動かぬ神の動的な部分、
神という全体の中を移動する「神の手足」です。
ちょっと無茶なたとえかもしれませんが、
私たちの体全体を神にたとえると、
その中を移動する血球や細胞、体を構成するパーツの目線が、
「神の子」であると呼べるかもしれません。
神に動きはありません。
「神の子」は、その中を動きます。
そして、ここが大切なのですが、
神の意思と、神の子の意思はひとつ、です。
神から切り離された、独自の意思を持つ神の子というのは、ありえません。
神の思考が神の子なのですから。
ですから、
話をこちらの世界の方に向けてみますと、
今私たちが体験しているのは、
神の意思=神の子の意思=自分の意思
を、忘れたふりができる、間違えることができる
という、とてつもないゲームなのです!
ここ、笑うところです!宇宙的なジョークというか。
地球体験は人気があると思います(笑)。
☆☆☆
意識の話に戻します。
意識というのは、そのようにグラデーションがあり、
グラデーション(動き)があるということは、
意識は「知覚」の範囲内であり、
全部が自分になったら、知覚は存在しなくなる…ということです。
「私」と「私でないもの」があるから、
「観察するもの」と「観察されるもの」があるから、
知覚があるのだということがわかりますね。
つまり、「神」は、意識の外(変化しないところ)にあり、
知覚を超えています。
知覚のある私たちは、内なる自己「神の子(=Holy Spirit)の声」を通して、
(=意識のボリュウムつまみを大きい方にチューニングして)その意思を受信します。
大きな自己の表す調和をそのように翻訳して、個のレベルでも理解します。
一方で、
エゴの意思というのは、この世界の中で、
自分を「勘違い」しているアイデンティティーから発生しますから、
自分を体と思い、有限と思い、他者や神と切り離されていると思い、
罪があると思い…、
それゆえに「体」の存続を第一に考えるし、
自己と同一視したものを外の攻撃から守ろうとします。
エゴの意思と、神の子の意思、
どちらも自分の中にあるのに、こんなにもずれてしまっているわけ、
おわかりいただけたでしょうか?
私たちがどのような幻想を抱えているか、
クリアーになりましたか?
☆☆☆
ちなみに、
私はたまに記事で「宇宙人」の話をしますが、
他の星や設定(物質宇宙でないのもあるだろうから)の体験とて、
それを体験しているのは同じ「神の子(ひとつの大元から派生した存在)」です。
ゲームの中のエリア、舞台が違うだけ、と表していいでしょう。
ただ、遊びに入るときの意識のボリュウムつまみは、
どのへんに設定されているかが、それぞれ違うと思いますが。
☆☆☆
いかがでしたか?
どんなにエゴの意識に同調しているときでも、
あなたも、私も、
神の子以外のものにはなれないのだということ、
はっきり伝わることを願っています。
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