前々回、「表現」について書きました。
◆「表現することへの怖れ」
これが私にとってもいいきっかけとなりました。
記事では、根底にある自分の考えにかなり「コースの世界観」を当てはめていましたが、
元々の自分の「スピリット情報」の方に立ちかえり、
しかも新情報も加えて、書いてみたくなっていることに気づいたのです。
今後も特に決まりはなく、コースの話題、説明は引き続きすると思います。
でも、今回から、「新シリーズ」を始めます!
このアイディアが浮かんだとき、私は駅構内(地下)を歩いていたのですが、
コースの世界観を意識することから、そろそろ自由になって、
枠を広げて自分の情報を書こうかな…と、ふと思った瞬間、
聖ジャーメインが、
(サン・ジェルマンとも呼ばれます。以前記事に書いた、私と親しい?、
錬金術のマスターとはこの存在です。はじめまして♪ 笑)
「…ぃよしっっ!」
と、大よろこび!!Σ(^∇^;ノ)ノ
イェーイ!!やったぁぁぁ!と、ガッツポーズでもしているかのような、
ノリノリの波動が伝わってきました。
このお方、皆さんにお伝えしたいことが沢山あるようです。
いままでの記事にも、要素としてそれを含むことはあったのですが、
私がコースの内容を気にして、制限していました。
どんなスピリットも、何かを「強制」したりはしないのですよね。
だから、私の、自主的な決意が大事なんですね~。
☆☆☆
さて、まず第1回めは、私の過去の記事に登場した
「エゴの創造」と、「神の創造」の意味について、
それから「起こる出来事」との関連について、尋ねられたことがありまして、
もしかしたら同じように疑問に思っている方もいるかもしれないので、
イントロダクションとして、より自分の理解に忠実に描写していきながら、そこにフォーカスしてみます。
☆☆☆
「源(大もとの、すべてである自己)」というただひとつの存在があります。
ひとつの存在である「私」が、意識を「投影」して細分化します。
そうやって、自分の内を、探求できるようにします。
ひとつの意識から投影され、細分化した「私」の存在が、スピリットです。
細分化しても、ホログラフィックに皆が、同じ全体情報を持っています。
スピリットはそれぞれが「自発性」を持ち、個性も持つことができます。
考え得る限りのすべてがここにはあるので、それらをそれぞれが探求します。
これは、「知りたい」という意欲…そして、創造性のあそびです。
スピリットが創造するときも、やはり「投影」をします。
自分の意識の中で、創ったものを外に見るのです。
わかりますよね…。
もともと、「源」は、意識で、内にあるものを投影することで、創造したのです。
だから、スピリットも、同じやり方で、それを繰り返すのです。
このように、創造というのは、永遠の合わせ鏡のように続いています。
けれども、究極的には一者の意識内での遊びです。
どの存在も「私」の分身だからです。
こうして全体が細分化を体験することではじめて、
「自分が自分に出会う探検」ができるということは、何度か書いた通りです。
「ひとつの全体」であるときには、
すべてが「ただある」状態なので、何かを知る必要がありませんね!
先日の記事、◆「百億光年の孤独」に書いたことも、そういうストーリーでした。
☆☆☆
さて、じゃあこの、今体験している物質世界は何?と言いますと、
やはり、これも「私」の意識の中にあることに変わりはありません。
しかし、「私」の意識の中で生まれたスピリットたちが、
協力して創っている幻想の世界というのが、この世界です。
なぜ幻想という表現を使うかというと、スピリットではない私、死ぬ私、
源から切り離された私というのが信じられる世界だからです。
私たちは今もスピリットなのに、それを忘れることができています。
そう、この世界が特殊なのは、スピリットの投影であるところの
私たち人間が、自分が何者であるかを忘れている、
創造者の自覚を失っている、ということでした。
この創造は、神(全体)の中の、
「忘れてみる探求部」ということができるかもしれません(笑)
今だって、意識全体を使ってしまえば、「物質世界」はこの通りには存在しません。
意識の中の一部に「信念体系」という衣装(覆い)を着せ、
制限を設けたために、錯覚できるというゲームです。
つまり、この「信念体系」を着用するということは、
装置をつけてヴァーチャルリアリティーのゲームに参加しているようなものです。
装置をはずせば、あなたは今もスピリット以外の何者でもありません。
また、「霊」としてのあなたが、肉体に入っているのではなく、
この世界のすべてはスピリットの意識の中にあり、
当然、肉体というものもその中にあるのです。
つまり、本来あなたは全体の中のどの意識になることも可能なのですが、
全体の中のピンポイントでしか物を見られないようにする装置が、
自我なのです。
☆☆☆
自我を形成するためにまとう信念体系は、
ゲームに入るときに同意している共同幻想だったり、
自分がこの人生においてやってみようと決めた、
テーマに関係するものだったりします。
(地球という星で、このような国があり、時代はいつで、人間とはこういうもの…
等、すべて信念体系です。体験に必要なので身につけたのです。)
この独自の形、「あなたという窓」を通して、
スピリット(あなたの本体)が意識を外に投影しているわけです。
つまり、「自我(個としてのあなた)」は、
スピリットのフィルター(型)の役目を果たしています。
自我がない状態だと、あなたは、今の形を維持することはないでしょうし、
「特定の個人(私だけの私)」として、
この物質世界の体験にフォーカスすることができません。
☆☆☆
さて、この「投影」による創造システムなのですが、
物質世界の中における創造は、2つの「衝動」に基づいています。
1つは、スピリット(全体意識、源とつながった自分)からの導き(意思)。
もう1つは、ゲームの信念体系に染まり、ゲームをリアルだと錯覚し、
自己保存(自分を守ること)を求める自我からの衝動です。
私が以前、「スピリットの創造」と「エゴの創造」と表現したことは、これを指します。
どちらも、あなたの動機となり、心の内からやってくるように感じられ、
実際の行動のきっかけとなり、それがあなたの人生を決めていくのですが、
スピリットの方は「高い意識状態の創造」、エゴの方は「低い意識状態の創造」、
と言うことができそうです。
(ここでいう高い、低いは、善悪ではありません。)
投影の源はいつもスピリットである自己ですが、
自我というのは、それを歪めるはたらき、間にあるレンズとして働くため、
それが通されるか、通されないかで、外にあらわれる事象も変わってきます。
たとえるならば、
外へ向かう光源がスピリットだとすると、その途中にあるガラス板が自我。
自我が透明度のある状態(本来の姿)、あるいは「オフになっている」ときには、
そのままスピリットの現実が映し出されます。
自我がたくさんの信念で曇っていたり、いつも隙なく装着されていれば、
それを反映した現実が映し出されます。
具体的にどんな違いがあるかというと、
「高い意識の創造」は、調和や愛の性質を実現します。融合を促します。
「低い意識の創造」は、不調和や怖れの性質を実現します。分離を促します。
(ここでいう融合と分離についても、
様々な信念体系をすでに身につけている私たちには、
外の状況を見ただけでは正確に何が起こっているか判定できません。
そのために「判断を手放し」、心を確かめ、真の自己の導きに従います。)
どちらにしても、外の現実は私たちの意識(内)から投影され続け、
その仕組み自体を止める方法はありません。
ですので、内の状態が、どちらの意識にフォーカスしているのか、
で、体験することも変わっていきます。
長いので、いったんここでアップします!
「愛が本質2」に続きます!♪
☆スピリチュアルカウンセリング☆