ここのところ、意識の第二の目覚め、とでも呼びたくなるものを、
体験している気がします。
第一の目覚めが、「真の自己との再結合(気づき)」だとすると、
第二の目覚めは、「世界の、別な姿の開示」と言えそうです。
コースでいうところのREAL WORLD(本当の世界)を見るということです。
そこで見えるものは、目に見える世界の根源となっている、「本質」です。
それは、「心の目」でしか、見えません。
普通に生きていても、人はそれを「感じている」ものなのですが、
ここにきて、ばっとヴェールを引き払ったかのように…
その「相」の存在を実感しつつあります。少なくとも、視点の移行を感じます。
それに意識を合わせると、「言葉」で表現しているものが大方「虚」であること、
目に見えるリアリティーが、いかにたびたび本質を歪めてしまうか…ということが、
なかなか衝撃的です。
この歪みについては、睡眠中の「夢」の認識が、参考になります。
夢の情報の、私たちが起きた後に記憶している「具体的詳細」は、
すでに「頭脳(表層意識)の翻訳、歪み」を受けて、変化してしまっています。
その奥にあった本質は、感触として覚えているかもしれませんが、
起きている意識で「夢の内容」を振り返っても、
日常の頭脳で分析、解釈を試みると、大きく道を外れてしまうことになります。
夢の本質は、「外の世界を知覚している意識」によって、適宜、
なじみのある現実に結び付けられているからです。
これと同じことが、起きている間の現実でも起きていると言えるのです。
私たちは一見、本質のみで構成されている世界との間にある、
「ヴェール(意識の中の境界)」を越えられません。
でも本当は、自分の気づかないところで、
1日に何度も、その境界をやすやすと越えているのです!
これは、同時に存在しているのに、隠された世界。
見ているのに、見ていない現実…
まるでそんな感じのものが、れっきとして存在しているということです。
ここのところ、「統合」についてお話しすることが多いのは、
内なる統合へ向かうことで、
私たちは現実の別の側面に気づいていくと思うからです。
前記事で、「ハウルと動く城」の話を出しましたね。
◆「根源的な痛み」
(映画を見たことのない方、すみません!ここからそれについて語ります。
結末にもふれているから、楽しみたい人はご注意!)
☆☆☆
私は、あの映画を見たときに、その世界がまるごと、
自分の内面の、象徴的なストーリーであるかのように感じたのです。
まず、私は、ハウルそっくりでした。
自分のマジカルな力を知っており、向上、学ぶ意欲もあり、
それを自分の許可できる範囲内の、安全な現実の中では使ってもいました。
でも、同時におびえていました。
(赤ちゃんをあやすかのような色とりどりのおもちゃや、気休めのお守り、
たくさんの魔術的な品々に囲まれて、「怖いんだ…」と告白していたハウル、
ベッドで休むハウルの姿を思い出してください。)
そしてまた、ハウル同様、「人知れず世界と戦う」ことで、
それ(自分の中の怖れとの戦い)を充足してもいました。
でも、その試みは間違っていました。
私の中には、ソフィーもいました。
自分の美しさを否定し、一見「事故的な」外の要因からくる魔法のせいにしながら、
本当はおそらく、自分の心によって老けこんでしまったソフィー。
何かに耐えるように生きてきて、若さを失ってしまった。
2人とも、対極的なキャラクターのようでいて、
自分を制限しているという点では同じです。
でも、ハウルとソフィーが手をとりあったとき、
愛によってお互いがお互いのために目覚め、自分を解放したとき、
あの映画の中では、あっさり外の世界の「戦争」は終わってしまいましたね。
あの部分、急速な展開については、批判もあったと聞きますが、
私はあのストーリーは、あそこで戦争が終わってこそ、意味があると思います。
カルシファーですら、あの現実の中で、排除されませんでした。
それは、「契約」を解いただけで、自由になっただけで、去りませんでした。
流れ星の降る中で、「孤独な」少年ハウルは、
カルシファーをのみこみました。自分の心臓と引き換えに、契約しました。
それによって、魔力を維持していると思っていました。
でも、契約が無効になっても、大丈夫でした。
魔法はとけても、ぶじでした。
これらの一連のすべての光景が、私たちの内面的リアリティーの「象徴」に、
感じられるのは私だけでしょうか?
私たちの持つさまざまな要素の「統合」が見えたのは、私だけでしょうか?
☆☆☆
時間は幻想です…。
各時代の歴史が、一直線上に続いてある、と見えるのは、
きっと、私たちがそう思っているからです。
そう見ることで、そこから学ぼう、と思っているからです。
本当はたぶん、各時代、各時代の「完成」があり、
私たちが、文明的なものも含めて、過去のいつかと比べて「進化」しているとは、
必ずしもいえないのでしょう。
私は、「アセンション論者」ではありません。
ただ、厳密に、「今」のことを思います。
この体験をやっている「今」、
どの人もが、全体の一部であると同時に個でもあり、
意図された「完成」に向かっており…
その内容は、目に見える形や、頭脳の提示する基準でははかれない。
スピリチュアルな、精神世界的な基準ですら、形式は、あてにならない。
ただ今の「輝き」を、目にしたとき、言葉も知的概念も意味がない。
「神」を外に想像し、色々な衣装(観念)を着せるのは、人間の習性です。
「リアリティーの真相」を見ると、ちっぽけな「判断」は、崩れていってしまいます。
今回はなんだか散文調でした(笑)
ここにある、エッセンスが伝わることを願います~。
それでは、よい週末を☆また次回!♪(*^ ・^)ノ⌒☆
ブログランキングに参加しています
クリックありがとうございます!
精神世界ランキング
★スピリチュアルカウンセリング★