今日は、自分に何かを強制しない、というお話をします。
使役動詞「せる・させる」は、必要ないよというお話です。
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◆「何もかもがスポンテイニアス」
人にも、自分にも、強制しなければならないことなど、ひとつもないのです。
そのままの自分を信頼する、そんな単純なことが、
どうして私たちには、こうも複雑なゲームになりえるのでしょうか(笑)
「こうでなければならない」と考え始めたとたん、
私たちは苦しみに突入します。
人間の頭でどう判断しようと、毎瞬、毎瞬、すべては完全です。
起こることには理由があり、私たちの頭脳はそれを理解していません。
だから、自分の思う「最善」に導こうとします。
コントロールしようとします。
しかし、「完全性」を信頼するとき、そうしてどんな状態も「受け入れる」とき、
私たちは「創造者」の力というポジションと一体になります。
神性の共同創造者として、「本来の自分」の立ち位置に戻り、
ともに流れるのです。
何かを否定している間、変えようと努力している間は、そこに囚われています。
同じ「問題(局面)」に、固着・執着することで、
自然な流れに抵抗する力を生み出すということです。
あなたの自然な願いは、葛藤しなくとも叶います。
それが魂の望み(=本当の気持ち)であるならば。
そして、魂の望みでないのなら、あなたはそれを全く希望していないのです。
欲しいと勘違いできているだけで、それは不要です。
魂=あなたそのもの、なのですから。
あなたの本当にほしいものは、そんな具体的詳細ではなく、
その背後にある「資質」なはずです。
そしてその「資質」にフォーカスしない限り、あなたは満たされません。
仮にそれを力ずくでそれ(望んだ通りの詳細)を手に入れたところで、
あなたはきっと投げ出すでしょう。
資質そのものに自分が気づくまで、それを破壊し続けるでしょう。
「こんなもの、いらなかった。ほしかったのは、これじゃない!」と言って。
私たちが信じている“完璧な姿”は、ときに間違っています。
あなたは、自分をよく知っています。
目的を持ってこの世界にいます。
そして、常に「成長」しています。
それが止まることはありません。
だから、外の世界を使って自分を体験し、「見て、学ぶ」ことをします。
「あらわれ」の背後にある、本質が何であるか。
それだけがいつも意味を持ち、
そこには、あなたの心が地図のように描き出されています。
あなたはそれをじっくり見て、「読む」ことができます。
自分の姿を、知ることができます。
背後にある愛に気づくと、あなたはこの世界の完全性に気づきます。
愛とは「都合のいい、不安定なもの」ではなく、「平等性、いつもあるもの」。
この土台に気づいたとき、感謝の気持ちに打たれるでしょう。
どうでもいいことを、どうでもいいと認めることは大切です。
あなたは生きていて、存在しています。
そしてこれからも、肉体の生死にかかわらず存在します。
「ああしなきゃ、こうしなきゃ!」
「このようにならなきゃ」
「こうでなくてはならない」
あなたの希望…決まり…そこにエネルギーを注ぐことが楽しければいいのですが、
あまり楽しくないと感じているのなら、手放すときです。
それはきっと要りません。
そうでなくとも、いいのです。
自分の定めたルールを、疑ってみるとわかります。
ありのままの姿を受け入れたとき、
「これでいいんだ」という完全性に視点を切り替えたとき、
あなたはそこにある、「ギフト」に気づくでしょう。
あなたは創造者です。
あなたは何者かが作った人生を押し付けられているわけではなく、
たとえるならば自分でシナリオを書き、演じ、そして変更までしているのです。
これは即興演奏です。
あなたの中の神性という指揮者を、信頼できますか?
神性とともに流れるということは、
いかなる状況も、いかなる状態の自分も、裁かないこと。
「これはよい」、「これはだめだ」
そんな風に自分を分けて、分けて、分けていくほど、
私たちは苦しくなります。ばらばらに感じます。
あなたという可能性に満ちた芸術を、そのまま慈しんでください。
するとあなた以外の人々も、外の世界も、そのように眺められます。
こんな愛しい作品を、型にはめる必要はないのです。
私たちは今、力を抜いて肯定できます。
気持ちよく、予想外の驚きに心を開きながら、流れることができます。
人生のどんな局面も、自分自身のどんな側面も、
たった今だって、愛しく包みこんでいるあなたがいる。
それは真実です。
「完全性、愛そのもの」の、多種多様のあらわれたちが、
この冒険をしているのだということを、思い出してください。
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