◆「旅立つ君へ(死のこと)1」……全4話あります。
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ぴのが亡くなってしばらく経って、
「もう大丈夫かな」と思った頃、
どうしてもうさぎが見たくなり、とあるペットショップに行きました。
そこにはいつもうさぎがいたからです。
とてもかわいいうさぎ達に、
ケージの隙間から指を入れて、そっとなでるとき、
私は「はっ」としました。
無意識に、相手に、ぴのと同じリアクションを期待していたのです。
ぴのは当然、私が手を出すと「なでて」と鼻やおでこを出してきたし、
そのあと必ず、私の手を、お返しになめてくれるのでした。
この順番が逆になることもありましたが、
いつもそうしていました。
その反応がないことに、当たり前のことながら、
私は「ぎくっ」としたのです。
彼らのうさぎらしい動きはすべて、ぴのに重なりました。
そのせいで、私は人目もはばからず泣いていました。
でも、それはぴのではありませんでした。
他のうさぎには、ないもの。
それは私たちの絆。心の交流。
その後、往生際悪く、
妹と2人で、「ふれあい動物園」のうさぎに会いに行ったこともありました。
でも、そこでも結局同じ気持ちを味わいました。
どこにもぴのの代わりはいない。
しゅんとして、私は言いました、
「私はうさぎが好きだったんじゃない。もちろんうさぎも好きだけど、
それ以前に、ぴののことが好きだったんだ、と、わかったよ。」
妹も、まったく同じ気持ち、と同意しました。
肉体は朽ちて消えていくけれど、存在は消えない。
心の絆、愛の交流は残る。
私の心が悲しみの嵐を引き起こしていたとき、
私はぴのの姿を、得意の夢でも見ることができませんでしたが、
心が静まり始めた頃、じょじょに、
その姿を別の次元で見ることができるようになりました。
亡くなった直後は、自分の思い出すぴのの姿が、
生きていた大半がそうだった、健康で元気だった姿ではなく、
死の直前の、苦しそうな姿ばかりなのが悲しかったです。
でも、私が夢で会うぴのは、
驚いたことに、私の日常の記憶をはるかに超えて、
一番元気だったころ、若かったころの姿でぴょんぴょんとやってきます。
あるときの夢の一部をそのまま引用します。
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…あのなつかしい、ツッテン、ツッテン、という、
ぴのが床を走り回る音が聞こえる。
まさか…と思って見ると、本当にぴのが走り回って、
元気いっぱいなのが見える。
まだ体が少し小さくて、若いときの姿。
観葉植物を、のびあがって食べようとしている!
…ぴのをさわってみる。
そうしたら、あたたかかった。
涙がばーっと出て、目がさめた。
あまりにリアルすぎて号泣が止まらず、今見たことを家族に話した。
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実はこの夢の直前、私は別の「亡くなった人」に会っていました。
それは、私のまったく知らない外国人の女の人で、
その人の人生と、ことづて(残した人へのメッセージ)も見てきたばかりでした。
こうした体験はときどきあり、体に余韻を残すことがあるので、
横になって休んでいるうちに、もう1つの夢として、ぴのの夢を見たのです。
ああ、亡くなった者たちの次元に行ったんだな、と思いました。
それは、私たちと「別の場所」にあるわけではありません。
重なって存在しています。
結局、私たちは、今も霊(スピリット)です。
愛している者がたとえこの世を去っても、肉体の形態ではなくなっても、
あなたとは心でつながっています。
愛したものとの絆はなくならない。それは、今もあります。
どんな人の死別による悲しみも、癒されますように。
☆スピリチュアルカウンセリング☆