◆「無ベースから有ベースへ1」からのつづきです。
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私には、ときどき、「どれも私でない」という孤独感がありました。
孤独といっても、寂しさというより、空虚で遠い感じ…。
それは、私の思うような私は存在していない、ということです。
これが私、なんていうものはない。
そう感じるのは、夢で、たくさんの人生を体験していたからです。
その設定は色々でしたけど、どの「私」も、リアルでした。
あれを否定するならば、今の私も同様に「無い」。
現在「私」と思っている、このブログを書いているような私、
それだけが確かな「私」だと思うことは、無理でした。
目が覚めて、起きる、
確かに今の氏名を持ち、生きている私がいるらしい。
しかし、この人生だけが唯一絶対リアルだとは、とても言えない。
明らかに、「夢」という形で体験したあの私も、この私も、
全部私なのだ。
私は、「何を私と思うか」という違いがあるだけで、
「これだけが私だ」というような、確かな存在ではない。
虚構…その不確かさに、ときどき、ふっと、空虚さが押し寄せるのでした。
それでも、そんな私でも、
確かな「リアルさ」を感じる、存在の「芯」を感じることがありました。
「何が私か(自分の身分)」は確かでないけれど、
そういう意味で私は「無(空虚)」だけれど、
他者や、外にあるものを愛しているとき…
そのときだけは、私は「確かさ」を感じるのです。
しっかりとつながった、力強い「芯」があるのです。
それは究極の「有」です。
自分が在る感覚です。
愛しているとき、私は、「唯一絶対のリアル」を、その力を、知っています。
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このまえ、こんな言葉が降りてきました。
すべての苦しみというのは、
それに従った結果ではなく、
それに逆らった結果である
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全身で、全体で、湧いてきたものを体験しないとしたら、なぜでしょう。
あなたは、どこか、部分的に、セーブしていませんか。
全身全霊でそれを感じていますか?
ちょっと足だけ入れて、冷たいプールを嫌がるように、やめていませんか。
ともに流れることを、何が邪魔するのでしょう?
もし、あなたがそれをせき止めているとしたら、何のためでしょう。
これは良い、これは悪いと、判定しているからではないでしょうか。
怖れているからではないでしょうか。
無いものを体験することはできない。
それがすでに「有る」から、あなたは「流れ」を生み出しています。
そんな「流れ」を、怖れるとしたら、なぜでしょう。
それを生み出しているのは別の存在ではなく、あなたです。
自分を疑っているから。
存在である「源の自分」を信頼していないから。
存在のベースを、思い違いしているからではないでしょうか。
私たちは、黒でも白でもない
陰でも陽でもない
それらを含有し、生み出すもの…“ベース”である。
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ここはあなたの遊戯場
あなたが遊び戯れる世界
あなたが好きにくつろげる家(HOME)は、ここなのです
私たちはどこかに帰るんじゃない
私たちはたくさんの目を持つ多面体…それだけ
だから自分を、2つに分けないで
心を2箇所(TWO DIFFERENT PLACES)に置かないで
あっちに「本当の私」がいる…?それで、あなたは幸せですか
ここにいない「本当の自分」を追い求めるのに忙しいとき、
排除されたあなたは、置き去りにされたあなたは、どこへ行くのでしょう
あらわれてくれた側面を、切り捨てるから、
それはあなたを追いかけるのではないですか
否定するのは何のため?
あなたは全身で、全体で、それを体験していますか
次回へつづきます。
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