ブログで色々なことを書いてきたけれど、
根底は一貫しつつも、
「ああ、今ならこういう風には言わないなぁ」
と、思う表現も、過去の記事の中にはけっこうある。
たとえば今だったら、「自我が死ぬ」というような表現は、
使おうと思わないですね~。
また、今でも書いていることの中にも、
「これについては、詳しく語ろうとしたらもっと言葉が必要だなぁ」
と思うこともあって、
「理由」というのもそれである。
「理由」は探さなくていい…
それはこの「時」のある世界では、先に理由を見つけないといけない、
と、思われているから。
それがわからないと動いちゃいけないとか、
変化できないと思われているから。
じゃ、理由はないのかというと、あるのである。
それを見るためには、「大きな視点」が必要なのですが、
それはこの現実にフォーカスしている私たちに「未知」というわけではなく、
「心の奥ではなんとなく知っている」
というものなのです。
だって、境目はないから…
私たちは結局ひとつの自己だから。
いわば、自分がこの世の演じ手(体験する人)であると同時に、
監督、シナリオライターでもあるんですよ。
瞬間瞬間、自分の内から湧いてくることに従う…
ということは、内には「それ(理由)」があるわけで、
それを知っている視点…全体としての自己を、
個の自分とは違う、別物なのだ、
はるか遠くの謎めいた存在なのだ、と思うことが、
私たちの分離の感覚を呼ぶわけです。
私もそうですが、いわゆるサイキックな感覚、
第六感に気づきやすい人は特に、
その「理由」を垣間見ることがままあると思います。
そして、それを知ることは、助けになります。
なぜなら、そこには誰も「咎め」を受けるものがいない。
批難されるべき存在や、罪の存在がいないから。
誰もが尊いスピリットとして、自分の目的をもって、
そしてまた全体でひとつとして、生きているのがわかるから。
そして、そこにはたくさんのポテンシャル(可能性)があるわけです。
私も、いまだに「自分を責める」思考のループにはまることがあります。
なんとかしなきゃ、
私がいけない、
もっとこうすべきだ、…etc.
だけど、たとえていうならば、「遠い視点」
カメラをぐっと遠くに引くような、
心の中心の奥深くにある、静かな目線、
あれがあらわれると、察することがあるのです。
そこにある「理由」を。
(ただし、理由は固定のシナリオなどではない。
むしろ現在を足場に、全体とつながるひとつの自分として、
自分が理解し、選択しながら発しているものなのです。)
すると、自分の「目的」や「課題」※もわかります。
自分の心に、どんな観念を持っていて、
これを通して、自ら望んで拡大しようとしているんだな、
とか、
私にはこういうことがよろこびで、こういうことが魂の望みなのだな、
ということもわかるのです。
(※ちなみに、「課題」というのは課せられた修行とかではなく、
目的と結びついており、自分自身が望んでチャレンジしていることです。)
それは、心のアイテムをチェックするような作業です。
すると、私は、私にとってパーフェクトな環境、
パーフェクトな出来事、パーフェクトな人間関係を、
具現化しているのだということもわかります。
(もちろん、私の心が変化したとき、
それにともなって外の見え方や状況も変わります)
私に関わるもの、生き物、人も同様ですね。
関わる相手の「目的」や「課題」もまた、眺めることができます。
そこには、自由意志のもと、独立した存在としてのスピリットがあると同時に、
つながった全体としての見事な連携プレイが行われています。
私は、以前はその視点をときどき疑っていました。
そういうものははるか彼方にあるもので、そんなものを垣間見ることは、
傲慢だと思っていたからです。
しかし今は、自然と見えるそれは、信頼に足るものだと思っています。
その根拠は、先ほど述べたように、
それが誰にも非がない視点である、
平等で愛に基づく視点である、という一点に尽きます。
選択肢はあります。
しかし、どの選択をしても、あなたの前には、
その時点のあなたにとってパーフェクトな出来事が起こります。
ですから、正しさにこだわって、「間違い」を怖れないでください。
「結果」を想定して、怖れないでください。
それよりも、
そのときそのときの「素直さ」が大事だと私は思います。
そうしていれば、なんでも正直なあなたを知る機会になるから。
プロセスそのものに意味があります。
体験それ自体がギフトです。
内なる叡知…さらに大きい視点を持つあなたは、
個としての視点を使いながら、ジョイントセッションをしています。
自分の中に色々な視点をつくって、
その各視点が、独自の表現や自主決定権を持って、
つながったままで、芸術を多種多様に展開していく。
実際、あなたが「個」だけであるということは、今もないのです。
わかりますか?
今、こうしている間にも、あなたは「大きな自己」との意識のグラデーションを、
いったりきたりしているわけです。
フォーカスを自在に変えているのです。
あなたは本当にひとつなんです。
だから、どんな状況にあっても「引け目」を感じなくていいのです。
自分を決めつけ、価値判断してしまう必要はないのです。
開き直りでも、自己否定でもなく…
いわばしなやかな、「折れない心」でいるという感じでしょうか。
ぺこっと曲がったり、大きく揺れたりしても、中心に戻るものだから。
あぁなるほど、クリエイティブな表現だったなぁ。
さて、次は何が見えるかな?
内なるセンサーが教えてくれます。
自分の心の中の材料をしっかり見ると、理解が深まります。
そして、「創造者」として、
私はどんな表現、選択がしたいかな?と、考えることができます。
よく、人間関係や場所に「呼ばれた」という言い方がありますが、
そのとき、
呼ばれたし、呼んだ
という風に見ることが大切だと思いますね。
すべてを発している「中心」は、あなたの中にあるからです。
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