今日浮かんだ言葉は、「軽いタッチの起き上がりこぼし」。
起き上がりこぼしって知っていますか。
色んな素材のがあると思いますが、
空洞になっている中に重りが入っている人形のようなもので、
倒しても、倒しても起き上がって中心に戻ります。
つついても、横にしても、
そのままということはなくて起き上がる。
私たちの中にも「源(根源の自己)」という重り(重心)があります。
人生で何度「転んだり」、「倒れたり」、「傾いたり」
したように思えても、
重りの作用で本来、自然と、もと(中心)に戻ることができるんです。
私は、小さい頃見たことのある、
ビニール製の起き上がりこぼしを思い浮かべていました。
あの中には空気がつまっていて、
あとは重りがあるだけだったな。
私たちも「中の空気」の軽さを思い出せば…
でも、これがもし、「空気」ではなく、
自分の中に、実体のある「砂」が詰まっていってしまった…
これは重さを増す一方で、どうにも取り除けない…
と、そう思っていたら?
「砂。」それが本人にとってはずっしりとした重さを持ち、
「起き上がれない」感覚になるのではないだろうか。
「軽いタッチ」
あなたが力を与えたものは、あなたにとって「重さ」を持つ。
(軽さとは、「いいかげん」とか「ないがしろ」という意味ではない。
真剣で、かつ軽くあれる。
だって、これは真剣な遊びと言ってもいいのだから。
一方、深刻であるとき、重い。)
源…私たちの核はリアルであるけれど、
それ以外は「空気のように軽いタッチで。」
何度かたむいても、ゆらゆら揺れても、
大丈夫だって知っていたら。
もっと、生きることは楽しくならないか?
そしてまた、思ったのです。
起き上がりこぼしが「外からつつかれている」、
「外の力で揺らされている!」
と思うのも、本人にはそう見えているだけで…
それすらも、自分内部の力だから。
揺らすのですら、自分自身。
☆☆☆
それぞれの存在の核にあるものを信頼しよう。
重くなったな!
自分が、自分の中に「砂(重さ)」をためているな!
そう感じたら、「それは空気である」と、素材を思い出そう。
幻想の「重さ」に打ちひしがれた後にも、
あなたはぴよっ!と起き上がることができるよ。
すると、胸に希望があふれてくるのを感じる。
世界は新しい。
軽いタッチで、あなたは、何度でも新しいあなたの輝きを見る。
「重さ」なんてまるで存在しなかったかのように、
何でもなかったみたいに、
「存在の核」へのチューニングは新鮮で、
湧き上がるよろこびに満ちている。
思わず感謝が湧いてくるくらいに…。
希望を見失いそうになったとき、
この変な言葉を思い出して、
「軽いタッチの起き上がりこぼし」
いつも今がスタートだ。
あなたは自分の望みを知っている。
探さなくても、勝手に流れてくる。
内なる火を、今も、絶やさずに保持しているのだから。
希望の光は、あなたの核にあり、それが消えることはない。
だから、源の性質、生命の炎、普遍の愛については、
懲りるな。
違うものを信じそうになったら、ただ気づいて。
翳りが忍び寄ったとき、重さに沈みそうになったとき、
あなたがそう決意すれば、
本当に、そうではないものを見ることができることを忘れないで。
絶対的なハッピーエンドを信じる力を、閉じ込めないでね。
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