BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

OVIRI

記事のタイトル「OVIRI(オヴィリ)」は、
ゴーギャンの塑像作品からとったもので、「野性」という意味だそうです。

今宵、私にささやかれたメッセージはこのような感じでした、

「教えを捨てよ。
生命の輝きを、ただあなたの内より発露させなさい」


このメッセージと一緒に、
ゴーギャンのオヴィリという作品タイトルが思い出されました。


外からの教え。教義。信条。
あなたがその枠におさまりきらない自己を自覚したとき、
それらを捨てなければならないときがきた、ということです。

それらに合わせて、自分をアジャスト(調整)して、
腕を切ったり足を折ったり身を縮めたりして、
ナントカ印の箱の中に自分が合うよう、押し込んでしまうと無理が出ます。


唯一無二の「表現」であるあなたは、
外から与えられた衣を着込むのではなく、

自分自身の内からささやく案内人によって、
のびのびと、その姿を存分に生かせるのです。


☆☆☆

今日は思いのほかエネルギーの重たい日で、
ふり払っても、ふり払っても、もうろうとしてしまうような、
ねばっこい眠気が繰り返し襲ってきました。

意識の中にも浮上してきていた「テーマ」もあり、

どっぷり落ち込むということはなかったものの、
へヴィーなヴァイブレーションになっているのを感じました。


そんな夜半、

これは今日はブログも無理だな。
このまま寝ようか。

と、思いながらも、なんとなく、
なにかちゃんと食べておいた方がよい気がして、

簡素な食事をしました。


すると…

栄養学的にいっても、エネルギーというか「気」的に言っても、
おおいにダメ出しをされてしまいそうなメニューだったのですが、

急に、自分のエネルギーが回復し、
霧がぱっと晴れたように輝いたのを感じました。

たぶん、出来合いのデザートを食べた後だったと思います(笑)


それは、家族が買ってきてくれた「白玉ぜんざい」みたいなデザートでした。
私はあずきがそんなに好きな方ではないのですが、
白玉に魅力を感じて、冷蔵庫から出していただきました。

時間が経っていたので白玉も固くなり、
味も、私自身の感覚が鈍重になっていたのであまり味わわず、
やや義務的にぱくぱく食べていたのです。

…にも関わらず!


ふっと楽になって、何かよいものが自分を助けてくれたと感じたのです。

その中に含まれていた小豆や材料のエネルギー?
それを農作物として、作ってくれた人?
それとも、こねられた白玉?
ぜんざいを調理してくれた人?
流通させて、運んできてくれた人?
お店で、販売してくれた人?
買ってきてくれた家族の心?

もしかしたら、その全部かもわからないけれど。

たくさんのものが関わって、
これが私のもとに運ばれてきたのだということに思いを馳せ、
ありがたい気持ちになりました。


その中のどこかで誰かの、思いやりとか、愛とか、
あたたかい、よい意図がこめられていたのではないでしょうか。

それが本当に自分を助けてくれたように思うんです。


こういう経験をすると、「モノそれ自体への四角四面な判断」よりも、
「思い」、
感謝の気持ちにまさるものなし、と思うのです…。


☆☆☆

その後、軽くなったエネルギーのまま洗面台に向かい、
歯を磨いていると、今度は、

どこからともなく、ふわっとオレンジ様の香りが漂いました。

柑橘類のオレンジそのものというよりも、花の香り、
本で読んだことのある、

カルタゴネロリ

という言葉が浮かびました。


周りを見回しても、そのような香りを放つものはありません。


そして、ディーヴァとか女神のような、
髪にカチューシャみたく花を連ねて飾った、
やさしくあたたかい女の人がほほえんでいるイメージが見えました。

すっかり、心が明るくなってしまいました。


こうやって、ちょっとしたチャンスも逃さずに、
いつも助けてくれるんだねぇ…。


☆☆☆

いくつか前の記事で(「地球人生を経験するという、ポジティブな制限(意図)」)、

beats-and-love.hatenablog.com

自分の表現を変えたい気持ちが強まっていること、

「ああなのです、こうなのです、と、
何かを説くようなスタイルは違うと思うようになってきた。」

…ということを書いていましたが、
数日、相変わらずそんな感じの記事は続いていますが(笑)、

このとき私が感じていたことは、実は、

日常の中で起こっていることをもっと書いていきたいな、
ということだったんです。


スピリチュアルって特別なことじゃなく、
私たちの生活、生きることそのものだから。

その要素はどこにでもあり、
毎日の中に発見があるから。

雲の上の理想的概念、なんかじゃなく、
ものっすごく実用的で、自然で、普通なこと。


冒頭で出した「オヴィリ」のイメージも、
私たちの中にある源の力、野性、

それは人間の思うような「サヴァイバル」や「弱肉強食」のことなんかではなく、

むしろ自然との調和や、踊る生命、内なる賢さのことであろうと。


日常の中で慈しむ。
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この話題は、次の記事「大天使ハニエルの月経前サポート」に続きます。

beats-and-love.hatenablog.com

 

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