皆さんもこんな経験、ありませんか?
自分自身が「物質的でない次元」の経験を認め始めたら、
それを自分の現実に許可したら、
周囲の人も、それにともなって見えない次元をだんだん経験しはじめた!
そんなこと。
☆☆☆
うちの母のことなんですけどね。
精神世界の勉強や仕事に携わるようになってから、気づいたんです。
うちの家族は誰も見えない世界に興味を持っていなくて、
こういう感受性が強いのは私だけ?
…と思っていたのに、どうもあやしい人が1人いるということに。
色々なところが私とは正反対で、相いれないことも多かった母。
でも実はこの人、直感するどいんじゃ!?
というか、もし、うちの中で「サイキック能力が高い傾向」の人がいるとしたら、
母なのでは?……とね。
本人はずっと、死後の世界はない方がいい(あったらいやだ)、
人は死んだらそれで終わり、と言っていたし、
見えない世界についても、全否定はしないものの、
「私はわからない、何も感じない」。
精神世界やスピリチュアルなことへの探求については、
「そういうことに興味を持つ人の気持ちがわからない。関心がない。」
という態度でした。
そのくせ、あるときからごくたまに、「何かが降りてきたような」瞬間があって、
一緒にお茶など飲みながら他愛ないことを話しているうちに、いつのまにか、
かなりディープな「スピリチュアルなものの見方、世界観」へと話題が移り、
すると母は私が語ることをすんなり受け入れているばかりか、
しっかり理解している人ならではの的確な相づちを打つ…
という不思議な特性を発揮するのでした。
そしてだんだん、私は気づいていきました。
いや、私だけでなく妹も、母のことを聞いた私の友人ですらも(笑)
この人は、「本当は何となくわかっている人」なのだ!!
だけど、それがいやなので、極力ないことにしているのだ。
たとえば私が昔、
「動物とのテレパシーコミュニケーション」について語ったとき、
(動物にも思考や感情があり、色々と理解していることなど)
「そうかもしれないけど、そう思っちゃうとつらくなるから、思わないの!」
と答えたり。
つまり普通の否定、「はなから信じない人」とはちょっと違って…。
たぶん怖れ?をベースに、「無いことにする」発言がたびたび聞かれた(笑)
あなたの周りにもいませんか?
このような おとぼけ霊感 持っている人!
私知らない、感じな~い、見えなーい。
う・そ・つ・け!!
(私にも、まだ部分部分、その傾向はありますが。)
誰にだって霊的な感覚はあるんです。当然ね(笑)
ただ、そこに意識を向けるかどうか、
それらを受け入れているかどうか…なんですよね。
さて、そんな母でしたが、
最近は、ますます面白いことが起こっています。
以前、「死のこと」シリーズとして記事に書いたことのある、
家族でかわいがっていたうさぎの「ぴの」にまつわるエピソードです。
該当記事◆「死のこと(旅立つ君へ)1」(全4話あります)
☆☆☆
ブログで文章に書くことで、自分の心の整理とアウトプットができた上に、
読んでくださった方との体験のシェア、交流ができたこともあり、
ぴのがこの世を去ったことについての悲しみや喪失感は、
あれから驚くほど急速に癒えていきました。
そして「死」というものに対して、認識が変わっていく体験も増えてきました。
そのひとつが、「物質世界にはいないのに、いる」と感じる体験です。
私の場合、ふだんから霊(ここではすでに亡くなっている人を指します)を、
視覚的にみたり、はっきり体験するというタイプではありません。
といってまったく感じないとも言えず、
この領域については、まぁ何というのでしょうか、
「見えないものが見える世界」が当たり前、という者でもなく、
かといって「そんなの見えない世界」が当たり前、という者でもなく。
ゆえに、慎重に「審神者(さにわ)」の感覚をもって、
体験を検証する癖がついています。
これは長所でもあり、短所でもあるのかもしれません(笑)
で、そんな私の慎重な観察の結果なのですが、
やっぱり、ある時期から「ぴのちゃん」をはっきり感じるのですね。
自分の意識が別のところに向いているにも関わらず、
同時に意識の一部では、ぴのの存在を感じている、という、
面白い体験をすることがあります。
また、私の場合、
「あっ、今そこの床にいる!」と見るような体験は比較的少なめ、
「自分の内側から訪れている」感覚で、感じることが多いです。
純粋に意識内で起こっている感じ。
どちらかというと、物理空間における「位置決め」は後付けな感じですね。
表現するならば、自分の心の中にその存在とつながるトンネルがあり、
そこへ意識を向けると、生きていた頃と同じように「つながっている」感覚、
そしてその姿やあたたかさ、感触、色々なものが体験できます。
ある意味では、生きているときは「外界」に存在すると感じていたものが、
今では「内側」にいる感じ、ひとつになった感じです。
これが「記憶の再生」とちょっと違うのではないかな、と思うのは、
自分で呼び起こすというより、予期せず「訪れてくる」感じだからです。
…これって、亡くなった人の霊を見たり聞いたり頻繁にしている人にとっては、
すごくまだるっこしい説明をしているのかもしれませんね(笑)
でも私のような知覚も「橋渡し」として参考になるかもしれないので、
もう少しこの話におつきあいくださいね。
そしてね、必ずといっていいほど母が、この体験を共有するんですよ(笑)
たとえば私がなんとなく、「あれ、今そこにぴのがいるように感じる…」
と思って、家の中のある位置を思わず見つめてしまったとします。
すると同じタイミングで、
「今、そこにぴのちゃんが見えた気がして、振り向いちゃった!」
なんて母が言う。
ついこの間は、ソファーに座って一緒にテレビに向き合っていました。
ふだんテレビを見ない私も、なんとなくそこに腰かけて、
番組の展開を見ていたところで、合間のCM!
母はひょうきんにも、流れてきた車のCMに合わせて、
せりふを言ったり歌ったりしていたのですが…(笑)
私はそのときぼんやりと、急にぴのの姿を見ていました。
テレビの内容も、CMも全く関係ないのに。心の中で、です。
それは同時に、「そこのソファーの上」で見てもいました。
ぴのがソファーの上で遊びながら動いたり、寝そべったりする姿を、
生きていた頃のようにありありと見ていたんです。
すると!車のCMのマネをしていた母がですよ、突如として、
「ぴのちゃん。」
と、言うのです!(笑)
えええええっ!とびっくりして、
「なんで今ぴのちゃんって言ったの?」
と聞くと、
母「今そこのソファーに、ぴのちゃんがいるみたいな気がして」
私「私も今、ぴのの映像が見えていたんだよ。
ちょうど、ソファーの上にいる姿を見てたよ。」
ふたりで驚きながら、見えた様子をうれしく語り合いました。
☆☆☆
ここに書いた他にも、
母は母で独自の不思議体験をもう何年にも渡りしているのですが、
それについては、私も何が起こっているのか、詳しくわかりません。
ただ、その「明らかに非物質的な体験」については、
すでに母にとっても、それを報告される私にとっても、
日常のレギュラーな出来事になってしまいました(笑)
こんな日が来るとは。
そして余談ですが、
かつての私のように「見えない世界に対し超こわがり」の妹も。
彼女も、本人いわく「おねえちゃんのせい」で、
ある時期から不思議体験をときどきしているようです。
いつかは、
「ついに幽霊を見てしまった!」
と、青ざめた絵文字とともに報告してくれました。
最初はそのときの状況や見え方など詳しく教えてくれてたのですが、
その後しばらく時間が経つと、後知恵で、
「もしかして寝ぼけていたのかな、S(妹の夫)の幻覚を見たのじゃないかな、
だって白いパジャマ着てたし」
とかなんとか、「別の解釈」を生み出そうとしていたので、
「たぶん違うよ(笑)」と、人ごと感たっぷりに楽しく回答しておきました!
あと、怖がる必要ないってことも伝えました(笑)
☆☆☆
…さて。
あなたは、いつになったら「霊的感覚」認めるご予定ですか?(笑)
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