タイトルは完全に今のフィーリングでつけています(・ω・)
これから書くことは、モノローグ(独白)みたいな感じかもしれません。
非常に個人的な気付き、感覚です。
そんな人もいるんだー、って感じで読んでいただければ幸いです。
☆☆☆
生活の中で、なりふりかまわずに困惑しまくっている自分をみていたら、
かつてないほどに自分が好きになってきました。
あぁ、人間なんだな、かわいいな、って。
それで実感したのが、精神世界の教えも、実践も、
自分の人生をよくする以上の何ものでもないなって。
それは分離を示す意味でではなく、投影機としての自分、
この「私」をありのままに生きることがいかに大切か、身に沁みたということです。
「ハフトゥー(have to)」が取れていませんでした。
自分ではもう、だいぶ「脱いで」いたつもりでしたから(笑)、
現在のリアルとは言えない、「想定した自分」を、
自分がまだ、今もって追いかけているということを知りませんでした。
私にとって、「成長、学び」の望みは、「ありのまま」に含まれます。
自然の流れといったらいいでしょうか。
それは途切れのない、わくわくするプロセスであり、それ自体は苦しくありません。
でも、
こういう私はいいけれど、こういう私はだめだろう。
そういう風に自分で自分を見なしていたことが、
苦しい葛藤を生み出していたように思います。
そうなると、はみ出して持て余す自分、が残るし、
何かが欠けてる、不足している、無力だという感覚が、つのります。
だけど、苦しみながらも、じょじょに実感していったのは、
自分から発生するあらゆる感情も想念も、愛しく感じられるということでした。
なぜなら、どんなにひどかったり、強烈な、と思えるそれらも、
原材料は愛だとわかっているから。
そうとしか感じられないから。
おかしな話ですが、「地」の愛が、凌駕しているんです。
(あなたが創造者なら、自分の作品をどう見つめますか?
私なら、すべての登場人物も、作品の世界も、愛しく感じます。
その登場人物がどんな様子であれ、その世界がどんな様相であれ。)
愛という言葉を出しましたが、それについても、
愛の在り方の理想というのをたくさんもっていればいるほど、
自分を苦しめます。
一見高尚に見える「ひろい愛を目指す」気持ちですら、
「今ないものを目指す」という在り方によって、
現在すでに存在している愛を見失う可能性もあるのです。
本当に、それをどう見ようと、すべての状況の中に愛はあります。
そしてここに密接に関係しているのが、「力」の感覚でした。
自分が力に満ちている、源泉があるということを忘れると、
力を「外」に探さなければならなくなり、
その間、あらゆる体験にみなぎっている「地の愛」がわからなくなります。
☆☆☆
こんなにも、こんなにも、こんなにも、
私は精一杯、私を生きていた。
どんなに「理不尽」と自分が自分に印を押しても、
自分が好きでない感情で自分をいっぱいにしていても、
それも全部、生きているっていうことだった。
そうするたびに、自分を知っていく。
その途方もないエネルギーを、自覚していく。
それ自体がよろこびでした。
私が「目指す」私など、どこにもいませんでした。
そして、世界を見回せば、「同志」がたくさんいました。
バカバカしい理想(こうでなくてはならない私)は消えていきました。
というのも、ほんとうに「十分だ」と思ったからです。
十分だ。
でもパラドックスなのですが、
そのときに、まるでたくさんの夢が花開くみたいに、
胸が高鳴って、色とりどりの希望が流れ込んできました。
バイタリティーで満たされていきました。
これだけのパワーがあるなら、何も困らない。
そのとき、そのとき、私は私を生きるだろう!
この世界を体験すること、すべてが、本当に楽しみです。
本当に、それだけでした。
☆☆☆
さて、私の内にある真実と非常に共鳴している本として、
「セス」というシリーズのチャネリング本があります。
(ジェーン・ロバーツがチャネルで、夫のロバート・バッツが記録した本。
お2人とも今では亡くなっています。日本語訳は2冊出ています)
その中で、愛や憎しみに関する、とてもわかりやすい記述があります。
私のお伝えしたいこと、そのままと言ってもよいほどです。
特定の箇所を抜き出すよりも、全体をおすすめしたいところですが(笑)、
ところどころ引用してみます。
(引用元の本はこちら↓)
「セス・ブック 個人的現実の本質」
- 作者: ジェーン・ロバーツ,ロバート・F・バッツ,ナチュラルスピリット編集部
- 出版社/メーカー: ナチュラルスピリット
- 発売日: 2012/02/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「憎しみの存在を否定することは愛を否定することです。
だからといってそれらの感情が“反対のもの”だというわけではありません。
愛と憎しみは異なった側面であり、違ったふうに経験されるのです。」
「自分の子どもに「大嫌い」と言われると、ひるむ親がいます。
ほとんどの子どもたちは機敏にも、
あまり正直であってはならないということを学びます。
その子どもが実際に言っているのは、
「ほんとに大好きだよ。どうしてぼくに対してそんなに意地悪なの?」、
あるいは、
「ママのこと、こんなに好きなのに、わたしたちのあいだに何があるの?」
ということなのです。
こうして子どもが反発するのは自分自身の愛をしっかりと理解しているからです。
しかし憎しみがわるいものだと教えられている親はそういうときに
どう対処していいのかわかりません。」
「さて、あなた方はたいてい、憎しみを言葉に表してはいけないというだけでなく、
憎しみに満ちた考えは憎しみに満ちた行為と同じくらい悪いものだと教えられます。
あなた方は徐々に慣らされてきて、誰かを憎むことを夢想するだけで
気が咎めるようになり、そのような考えを自分に見せまいとします。
そして多分あまりにうまく隠しおおせてしまうので、自分が意識レベルで
何を感じているのか自分でもまったくわからなくなってしまいます。
感情はそこにあるのに、怖くて見ることのできないあなたには見えません。
あなた方はそれほど自分の現実(リアリティ)と分離され、
自分の愛という感情と断絶されているのです。」
「憎しみの絆はあなた方を結びつけますが、
その絆はもともと愛にもとづいています。
けれどもこの場合、あなた方は理想的なものとのあらゆる違いを
いっそう膨らませて誇張し、主にその相違に注意を集中させます。
どんな場合でもこういうことはすべて意識的に利用することができます。
それにはただ正直であること、そして自分の感情と観念に気づこうとする
確固とした決意が必要です。
憎しみに満ちた空想でさえ、放っておけばひとりでにあなた方を和解へと戻し、
愛を解き放つでしょう。
親あるいは子どもを叩く、死ぬほど叩くという空想は、
ずっと追っていけば愛と理解の涙になります。」
「アファメーションとは、あなたであるところの人として、
あなたの現在において自分自身を受け入れることです。
そうして受け入れても自分の、なければいいのにと思う特性や
苛立たしい習慣に気づくかもしれません。
「完璧」であろうとしてはいけません。
先に述べたように、あなた方の完璧という概念は、
その先の成長はないほどに成就した状態を意味していますが、
そのような状態は存在しないのです。」
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