こんばんは。
30日が満月だったんですね。
私はすっかり忘れていたのですが、それでも今回も、
満月のリズムと一致して色々やっていた感じです。
満月前日の土曜日までに色々あって(手放しや解放)…
私は、金曜日の時点で、内側にはっきり洞察を求めました!
ヘールプ!
すると…ひさびさにシンボルが送られてきて、
その内容を言葉にするならば。
「それを口に入れなさい。」
…どういうことが説明しましょう。
☆☆☆
まず送られてきたシンボルは、「花」だったのですが、
それが「食用花」だということが伝わってきたんです。
そして、そのシンボルの花とは別なのですが、この日はちょうど、
私は家族の買ってきてくれた中華料理のお惣菜の中に入っていた、
「金針菜」というユリ科の花のつぼみを食べていたのですね。
はじめての経験でした。
それまで見たこともなかったものなので、
炒め物の中に入っていたそれを見て「これ何だろう?」って、
一瞬ちゅうちょしたのですが、
「食べられる花のつぼみ…?」と、口に入れてみたらとってもおいしかった。
そのことを自然と思い出しました。
すると、メッセージが展開していきました。
言葉にするならば、
「食用花はただの飾りではありません。
眺めているだけでなく、口に入れて、食べなさい。
***
<私が洞察を求めた状況に対して>
未知を怖れているということに、気づきなさい。
あなたは未知に、既知をあてはめて怖れています。
(新しいことに対して、古いこと、すでに経験したことを想定して、
それに基づいた解釈をしたり、そこから導き出される結果を怖れて、
身動きがとれなくなっていること。)」
まず最初の部分、ああ!と、思いました。
たとえば、眠っている間にみる夢や、
自分の内側からやってくるメッセージ、直感、インスピレーション、
そういうものをどんなに、どんなに、どんなに受け取ろうと、
それをたとえはっきり見ていようと、
見ているだけだったら?(笑)
受け流すだけだったら?
実際に自分がそれを口に入れて消化しなければ
(伝えられたもの、受け取っているものを自ら現実に生かさなければ)
すべて、ただ体験するにとどまり、状況は変わらないんです。
つまり、形は変わっても、似たようなことが繰り返されます。
私は、このことを、最近、身を持って実感していました。
自分で、わかっていました。
口に入れなければ。
自分で咀嚼し、飲み込まなければ。
繰り返し与えられるものがあっても、
見るだけで、食べないのなら、栄養にはなりません。
そして後半の洞察も、ちょうど今必要な見方であり、響くところでした。
わけあって自分に対する見方の、180度の転換を感じました。
おさまりどころがようやく見えた瞬間でした。
その日の「金針菜」でわかったように、
「未知」は、食べてみたらおいしいのだということです!
☆☆☆
それから、土曜日にはそれらをまさに表現していくようなプロセスが続き、
(手放し、解放、浄化の最中にすら、シンボルが出てきて助けてくれました。
それはやはり私にとって大切なことを気づかせてくれ、とても心強いものでした。)
日曜の夜には大天使ジェレミエルを感じていました。
いつかも書いたことがありますが、
大天使ジェレミエルは人生を振り返り、洞察すること(違った見方を提供すること)、
棚卸し、手放すことを助けてくれると言われる大天使です。
この流れは、私としては「なるほど」すぎて、ぐうの音も出ない感じでした。
日曜の夜、シャワーを浴びた後、
ジェレミエルのエネルギーが頭上から流れてきていることに気づき、
それは語りかけながら、私の第三の目に新しいパワーを送っていました。
そして、その日は台風が通過し、しかも満月の夜であったのですが、
私はとても珍しい夢をみたのです。
夢といっても、まれにある深遠な夢です。
その体験は、あまりにもクリアーで、はっきり、くっきり冴えていて、
私は、それにくらべると、
いままでなんて自分はボケボケだったんだろう!!!
と、思いました!
ある大切なポイントを、はっきり思い出しました。
この明晰性は、目が覚めて、起きた後もなくなりませんでした。
何か人生の具体的詳細についてどうのこうの、ということではなく、
自分のベースにある大切なことを直接呼び覚ましたのでした。
今まで、それを疑ったり、本当はどうなのだろうと考えたりできたこと自体が、
断然ぼんやりしていた証拠だな!と思えます。
日常生活に戻ると、自分の色々な側面が出てくるのはいつも通りですし、
この舞台では何も変わっていないかに見えるんですけど、
ある意味では、二度と同じように見えることはないぞ、
ということだったのかなぁ、と、ジェレミエルエネルギーと第三の目の体験を、
これを書きながら象徴的に思い出しました。
そして、これを「実際に生かす」ことが今の課題だな、と。
(記事前半からつづいている流れですよね 笑)
生かすといっても今までと違うのは、
ぴったりひとつの自分としてそれを知っているので、
「信じる」必要がないということですね。
今回の具体的詳細、中身については個人的体験なので、
言葉でなんとか内容を説明しても、
あんまり意味を為さないような気がします。
この感覚は消えません。
だからこそ、私がそれを実際に生きていれば、
そのとき、そのとき、ケース・バイ・ケースで、
ちょうどいい言葉、ちょうどいい表現で、
活用することができるのではないかな、と思っています。
クリックありがとうございます
精神世界ランキング
☆スピリチュアルカウンセリング☆