右寄りでもなく左寄りでもなく、
上寄りでも下寄りでもなく、ジャスト真ん中。
ただそのままであるってことが、こんなに精妙だとは(笑)
無理になにかになろうとする。
黒か白かの結論を出そうとする。
示された値になろうとする。
ロールモデルを追いかける。
でも私は、私の真ん中。
よそおわない、つられない、
よくもない、わるくもない、
抵抗ゼロ。
黒から白への濃淡の中には、
本当はたくさんのグラデーションがありますよね。
その1ピクセルをとって、
「これは黒だ」
「いや白だ」
白寄りだ
黒寄りだ
そんなことになんの意味があるのかな。
グラデーションのどんな自分も、
グラデーションがあると認めるだけで、
パレットのカラーは無限大にあるだけで、
「私」の中にはたくさんたくさんのいきいきしたカラーがある
それだけのことなのにね。
決めたがる、
分けたがる、
自分の方位磁針がぐるぐるしているとき、
なんだか余計なものを取り込んでいるのですよね。
水平器ってありますよね。
水準器ともいうらしい。(知らない人はこちら→ウィキペディア「水準器」)
あの、液体の中に気泡が入っているものを思い浮かべてください。
あのまるい泡って、自分の手に持ってるとき、
計器をかたむけても、かたむけても、
どの角度にむけても、持っている自分にとっては同じ位置にあるよね。
計器という囲いの中では、
それが計器の「端」だったり、「右や左」だったりという表示になり、
移動してることになるんだけど。
そんなイメージ。
外から見た位置づけがどこにあっても、
かたむけても、かたむけても、自分の真ん中には合ったまま。
真ん中にいるとき
そのとき、そのときの色、そのままでいい私である
枠組みからどの位置に見えたとしても
ジャスト まんなか(笑)
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