私たちが、よろこびレス(よろこびのない状態)になったとき、
生きる意欲を失い、実際に生命力も衰え、死にたくなるのはなぜでしょうか。
私は、それは存在(being)自体の自然な状態・性質に、
よろこびの波長というものがあるからだと認識しています。
分子や原子、もっと微細なレベル、存在しているものとその表現すべてに、
この波長があって、それが「存在するものの天性の質」。
ということは逆に、そこに波長を合わせればいつでも、
その天性のよろこびを発見することができる、ということでもあるのです。
私たちは、「よろこび」というときも、
つい相対的なよろこびとして、形として捉えがちです。
たとえばよろこびと、落胆や失望、
よろこびの状態と、それに対になる暗澹たる状態、落ち込み……など。
幸・不幸というのもそうです。
「生きがい」というものがあるというのは否定しません。
楽しいこと、自分の魂が歌うことをどんどん認めるといいのです。
何も「楽しみ」がなくなってしまうと、生命力が枯れたようになってしまいます。
でも、生きがいを「追求する」、「探す」ことが目的になってしまうと、
かえってそれに苦しむことになります。
「私には、生きがいがない」
「趣味を探さなければ」
「目的を見つけなければ」
これは、あなたへの負担、重荷ではないでしょうか。
探さなくても自然に、普通に日常を生きている中で、
あなたの心のオシログラフを観察していてほしいのです。
その波形がビーンと動くところはどこでしょう。
あるいは、かすかにでも、大きくなるところは?
ちょっとうれしい、なんだか幸せだ、胸がときめいた、あったかくなった。
ふわっと、心が、ひろがったようだ。
たくさんの感覚があり、それは見逃してしまうほど小さいかもしれませんが。
いつのまにか作ってしまった「形」にこだわらなければ、それを外していけば、
あなたは今、耳をすまして、天性のよろこびに波長を合わせることができます。
☆☆☆
「生きている」というのは、ただ生体として生きているということではありません。
また、「これを満たせば、これができていれば、生きている!」
という保証があるものでもありません。
仮に、誰かや何かに承認印を押してもらえたところで、
当人の魂が、精神が死んでいれば、どうでしょう。
本人の基準なのです。個人個人の心によって決まるのです。
☆☆☆
私はスピリチュアルという分野で使われている言葉や、
魂、スピリット、ときに天使という言葉も用いますが、
そんな説明も全部、今この現実でのあなたの力にならなければ、
意味があるとは思いません。
この舞台に焦点を合わせているあなたには、
この舞台に焦点を合わせているあなたなりの存在意義があり、
すべてがつながっていて、分断されているものなど何もないということは、
ここ(この人生を味わうあなたのハート)も、充実してしかるべきだということです。
私たちはこの舞台をあえて経験して、
ここで表したい、ここに表現したいことがあるのです。
☆☆☆
ヴィーヴル。
フランス語で“生きる”という意味でした。
今日はこの言葉が浮かんできました。
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