創造性にフォーカスした記事5回目です。
前回◆「創造性と主観」
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長らく続いた痛みの関係はもう終わり
自分が自分と和解したから
自分が自分と築いてきた不仲を
あなたは修復したから
☆☆☆
人や外との関係というのも結局、自分自身との関係なので、
(これは抽象的な意味や喩えではありません)
ここで、人間関係について言及します。
☆☆☆
私は先日、ふと思いました。
(私は自然界や動物からの恩恵というのをとても感じていて、
ときどきアニマルコミュニケーションの本を読んでみたり、
そこともっと交流することについて関心があります。
そんなことについて意識を向けていたときに湧いてきたことです。)
人にはあまり心をひらかない人でも、
動物には心をひらいて交流しているのをよく見かけます。
動物と無条件の愛で繋がれるのは、
そこに(私たちが人間の他者にしているような)「期待」がないからではないでしょうか。
彼らのあるがままの振る舞いを、こちら(人間)も楽しんでいます。
動物に対しては、
「動物なのだから」
というわけで、自分の期待を「人に対してほど」押し付けようとはしませんね。
(アニマルコミュニケーションでは逆に、
その「動物とは、○○だ」という思い込みが邪魔することもありますが、
それは今回とはまた別の話。)
もちろん動物に対しても、期待を押し付けている場面もあるかもしれませんが、
普段、人に対して持っている期待に比べると、
「そういうものだ」と思って自由にしている隙間というか、空間があるものです。
人間に対しては、
「このくらいできるでしょ、同じ人間ならわかるでしょ、こういうものでしょ。」
と、思っているから、その期待に相手が沿わないとき距離ができます。
以前、記事の中で「荒川アンダーザブリッジ」のアニメの感想を少し書きました。
このことに関連して、私が思い出した、ある場面がありました。
ストーリーのはじめの方で、
人に「借り」を作ると喘息の発作が出てしまうリクに対し、
金星人のニノが、荒川河川敷の生活を紹介しているときのこと。
ドラム缶のお風呂に入るシーンがあります。
ニノは頼まれてもいないのにリクの髪を洗い始めます。
リクは、「これでまた借りをつくってしまう!」とあせります。
そのとき、ニノがこう言いました、
「私が洗いたいから洗ったんだ。洗わせてくれてありがとな。」
と。
(せりふは私の記憶なので正確でないかもしれません。)
リクに喘息の発作は出ませんでした。
☆☆☆
私は、人と関わるときの基本は、これではないかと思うのです。
私がしたいから、こうした。
相手から「期待するものが返ってくるから」するのではありません。
心の中で抱いている「期待」を前提としていることはありませんか。
あなたが愛するなら、私も愛する。
あなたが○○ならば、愛そう。
あなたが○○なので、私は……
これでは「取引」ですね。頭の中で条件づけられた考えに従っています。
このような期待が心の中にあるとき、
期待したものが返ってこなければ、人は落胆したり、悲しんだり、怒ったり、
不足感にかられて求めるものを得ようとします。
「私がしたいからしている」を動機にすること。
それだけのことを、「自分にゆるしていない」のは誰でしょうか。
自分がしたいからするとき、それ自体で、自然と満たされます。
自己充足され、相手や対象には、「させてもらってありがとう」の気持ちになります。
「私がしたいから」するのでないのなら、
したくないことを自分に強制しているのは誰でしょうか。
理由はどうであれ、
「あなた自身」以外に、あなたにそんな強制をできる者はいないのです。
☆☆☆
長らく続いた痛みの関係はもう終わり
君は私の中にいた
私はそこを振り返り
差し伸べる手を握り返す
私は私と和解した
外に映画を映し出すなら
よろこびのハミングや
耳をすますとギフトのように飛び込んでくる自然音
ハートのときめく音がビート・サウンド
そんなバックミュージック
楽しいダンスにしませんか
そう、あなたはあなたと手をとりあったままで
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☆スピリチュアルカウンセリング☆
★アニマルコミュニケーション・セッション★