BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

外に見えるものからあなたの内に気づくこと

私たちにとってこの世界の出来事は、
自分の外で起きているように感じませんか?

だけど、「論」としてではなく実感として、私はこうお伝えします。

形……つまり、その表現形態(あらわれ方)はさまざまだけど、
心の中身が、外にあらわれているのだと。

☆☆☆

たとえば、「会社」に対し色々と苦しくなって辞めた人がいるとします。
フォーカスが変わり、新しい世界で自分のことをし始めるかもしれません。

それでも、もしその人の内側に、
「会社」という形態に対して持っていた、“心の中身”がそのまま変化せず残っていれば、

もはやその人は「会社」に属していないというのに、今度は、
たとえば以前「会社」で経験していたような“質”を携えたかのような「人」が、
人生に密接にかかわってきたりするんです。

あれ?
この感覚はどこかで……

そう気づいたとき、“それ”が外のものではなく、自分の中にあったのだとわかります。

そうか!
システムも、規則も、
「会社」という形態を通して自分が色々感じていた、思っていたことも。
もしかして自分の中にあったのか!?と。

もちろん、逆のベクトルのことも言えます。

たとえば、ある人は、海外の南国リゾートでくつろいだとき、
本当に楽しくて幸福だったとします。

こんな風に思いました。

「あぁ、ここはなんて良い所なんだろう!
ただじっと椅子に座って、鳥の声に耳を傾け、花の香りをかぎ、
空気を肌で感じているだけで、ゆったりした気持ちで幸せだ!」

そうしてゆっくりと飲み物をひとくち飲み、味わいながら、心地よさを感じるのです。

ところが。

その南国リゾートで味わったのと同じ感覚を、その人は突然、
ある朝、いつもいる“ここ”、日常の中で味わえるのだということに気づくのです。

目覚めてふだんの身支度をする途中で、ふと驚きます。
あれ?なんて美しい鳥の声だろう。

やさしい気持ちで目を閉じ、耳を澄ましてくつろぐと、
まさにお気に入りの地で味わったのと同じ幸福感と安らぎが、
“ここ”で味わえることがわかったのです。

あぁそうか!
あの素敵な場所も、私の中にあったんだ!

☆☆☆

体験は心の中から、あらわれます。
“世界”は、まるごと意識の中にある、という言い方でもいいのですが。

それを、外のものとして見ることで、
自分の心の中身に気づかなくすることもできます。

けれども、私の場合で言うと、結局夢で自分の心の中身を見ます。

たとえば私が、自分の根源的な意図から逸れて何か不自然なことをしていたり、
起きていることを状況や人のせいにしているとき、
私は、私の「ごまかし」をあらわにしてくれる内容を夢で見ます。

逆に、状況が芳しく思えなかったり、先が見えないと思って眠りについても、
私がベストを尽くし、「自分」にしっかり足をつけているとき、

バイタリティーあふれる楽しい夢や、癒しの質をもつ夢を見るのです。
(眠る前とのギャップはものすごい、ということになりますが 笑)

☆☆☆

自分の「内に」あると知る、ということは、
罪悪感を抱え込むための方便でも、
自責の念にまみれて身動きとれなくなるための認識でもありません。

あなた自身の内面にフォーカスすることは役に立ちますが、
そこであなたが自分を責めてしまうと、
本来なら「お知らせ」として見せてもらったものを、
自身に向ける刃、破壊的な道具として使ってしまうことになります。

自分に向けようが、人に向けようが、その使い方では刃は刃ですね。

あなたの心にあるものを凶器と見る必要はなく、
刃と思ったものは、よく見ればただの中立な道具です。
自分自身や人に向けて振り回すことをやめ、
クリエイティブに、もの創りをするための小刀として使うことができます。

それは「創造」のエネルギーと自覚を持って同調することです。

自分の中に、力があることを知ります。
それは枯渇してもいないし、絶えてもいませんでした。

困難な状況に光を差し込ませたければ、
自分自身の意図で光を当てることができるのだと、知ります。

☆☆☆

夢を観察していておのずと気づくのは、
それをただ「眺めている」だけではなく、
ここ(起きている間の現実)で役立ててこそのものであるということです。

夢で経験することを置き去りにせず、
起きている間の意識によっても、統一感をもって実行しなければ、
自分の描きたい絵が完成しない、というようなもの。

ですから、夢においても現実においても、色々な表現を用いて何度も何度も、
自分が自分にそれを知らせるのです。

たとえ話です。
あなた自身がミーティングをして予行演習までしたのに、
こちらの夢(起きている間の現実)にフォーカスしたら、
怖れやビリーフ(信じていること)という濃霧に酔っ払ってしまいました。

「全部見ているあなた自身」は何度でも、再チャレンジします。
ありとあらゆる手段で自分に知らせます。

自分が、本当は知っている自分を「裏切ること」が苦しみなんです。
ヴェールをめくれば、本当は知っている自分とは、安らぎそのものなんです。

他者を思いやるときも、この自分から相手を見ることができないと、
ずれて通い合わなくなってしまいます。

「ひとつ」なのは、その位置から眺めたときだからです。


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