この内容は、とある作業中にやってきて、今日のブログではこれを書くんだなって、
とっても書きたかった記事なのですが時間が少なくなってきてしまいました。
さくっと書いてみます!
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私たち人間は、よい、よりよい、最善、などの価値観を持っていますが、
こう見ることはできるでしょうか。
「どれも等しく最善だ」
どれがどれより良いということもない。
私たちには「基準(信じてるモノサシ)」があるので、
たとえば、ゲームは早く上がれた方がいいとか、
この方がいいに違いないとか、
ときに疑うこともなく、信じているのです。
それは地球人ならではの、
地球の記憶、地球ゲーム由来の価値観なのかもしれないですけどね。
さっきのたとえを使うなら、
「ゲームは早く上がれた方がいい」
これも、「価値観のひとつ」にすぎないことがわかると思います。
この基準で、自分にとってのゲームの攻略法を知った人が、
「ここはさ、この道を行くと早いんだよ。」
と、自分にはこれがよかったのだ!という内容を人にアドバイスしたとして、
相手が、別の道をまわっていくことで見たいものがあったり、
一見迷ってみえるような体験をすることで、
何かをじっくりと味わったりしたいのだとしたら……、
それは表面だけ見ていても、わからないことです。
「競争」はないし(それは人間の概念)、長い目でみればどれもよし。
そんな中で問題があるのは、ただ、何もかも自分で選んでいるのに、
「チョイスが無い」と思い込むことだけなんです。
視野狭窄に陥るということです。
たとえば、ある状況について「なすすべがない」と感じていて、
自分が被害者であることを信じていると、不平不満が湧いてきます。
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もし、この人生を「与えられたものをこなすだけの人生」と信じていて、
自ら「そう決めている」人がいたら、その場合には、この記事は不要です。
ただ受動的であるだけじゃない、
内面に次から次と湧く創造の芽をもつ、受動の中にある能動について、
自覚したい人へ向けて書いている記事だからです。
現実的であるということは、チョイスがないとあきらめることではありません。
チョイスがあると知っていて、「正確に見る」ということなのです。
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今週末は連休ですね。
お休みの方もそうでない方も、それぞれよい週末を☆
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