以前◆「帰ってもらえる?」という記事の中で、
私があの、2011年3月11日を海外で過ごしていたことや、
その後に起こった体験についてを書きました。
これから書く話は、そのときからさらに1ヶ月か2ヶ月後くらいだったか…
(つまり東日本大震災からそのくらい後)に、夢の中で体験したことです。
ときどき書いている、亡くなった人をご案内する内容で、
こちらの記事もそれに当たります。ご参考にどうぞ。
◆「共鳴現象と感情、亡くなった人を誘導すること」
☆☆☆
このとき私は夢の中で、またしてもチーム(自分+2、3人?)で、
活動していました。
このエリアが福島県だということがわかりました。
背景は夜でした。
私たちはとある建物の、とある場所にいました。
それは一般の住居だと思うのですが、
コンクリート建ての建物で、私たちが探していた人は、バスルームにいました。
バスルームといっても、シャワーカーテンのかかっているバスタブのある、
わりと狭い個室で、ユニットバスだったかもしれません。
とにかく、私には現代のその建物も見えますが、
同時に、そこに重なって存在している女の人がおり、
その女性は百年~もしかすると数百年前の女性であると感じました。
長い髪の、当時にしてはたぶん長身だったのではないでしょうか、
ほっそりした女の人です。
年の頃は30代?
昔の人だからひょっとすると20代後半くらいなのかもわかりません。
(というのも、彼女がいわゆる、
「いかず後家」として周囲に見られていたことが情報として伝わってくるのですが、
当時のお嫁にいく年齢から考えると、その基準って今より早そうですから…)
彼女は下を向いて、ただ立っているのです。
現在ではバスルームになっているその場所に。
生きている私たちでいうと、頭がぼんやりしてよくわからないけど、
とくに意識してないけど、何かあってそこにいる、という感じ。
何かあって…
この女の人には何があったのでしょう?
それは、彼女は、お母さんを待っていたのでした。
彼女の生きていた当時、水害があったのです。
(私は津波かな、と思いましたが。詳しいところまではわかりません。)
そして、多くの人が亡くなりました。
この女の人もそのとき亡くなった1人ですが、
一緒に暮らしていた母親と避難している途中か、
それとも避難する間もなくあっという間だったかわかりませんが、
とにかく、「母を待っていなくては。」と、思っています。
そして、この場にいるのです。
こういうことが、彼女を見ると自然とわかります。
そして、ここからがいつものチームプレイです。
気づくと、チームのひとりが、年配のおじさんになっています。
その当時の人の服装で。
(※夢の中で、外見はどのようにも変えられます。姿って本当はないので 笑)
笠をかぶってわらじとか履いていたかも…(ちょっと記憶が曖昧です)。
そして、女性に、気さくに、
「おーい!みんなもう○○(寄り合い所とか集合所みたいなところ)に、
集まってるよー。
あんたのお母さんもみんなとそこにいるよ、炊き出しもしてるよ、
待ってるからおいでー。」
みたいなことを、その人のなじみの言語で言いました。
そうだそうだ、というように、チームの他のメンバーも、
いつのまにか彼女のなじみの、村の人になって呼び掛けています。
彼女を囲み、私たちはよく馴れた、あたたかい雰囲気をつくります。
今回の水害はたいへんだったね、
さぁ、みんなもう先に避難しているからそこへ行こう、
あんたも休みたいだろう、お母さんも待ってるよ…
そんな感じで、促します。
女の人は、半ば夢みるような表情のまま、
何も言わずに、うながされるままに私たちの輪に入り、
ぶじに移動してゆきました。
説明しますと、いつも、私は大体ここまで。
ここまでできたら、肉体にフォーカスした人間の管轄ではないのか、
非物質的な存在が引き継いでくれます。
案内された人は、その存在たちと去って行きます。
ちなみに、私が一緒にいる「チーム」の人は、非物質的な存在と思われます。
ではなぜ、亡くなったことに気がついてなかったり、去れずにいる人たちに、
非物質的な存在が最初から声をかけないの?
彼らは守ってくれているんでしょう?
と、疑問に思うかもしれませんが、
人の意識がこのような状態にあるとき、
生きている間の波長ととても近く、
つまりそちらに強くフォーカスしているので、非物質的な存在たちに気づきません。
ですから、私のように現在、肉体にフォーカスした自分がいる、
要するに「生きている人間」のヴァイブレーションを持つものが、
こうした次元で働きかけることで…
より自分の波長に「近い」ものが声をかければ、
そのヴァイブレーションがあれば、彼らも耳を傾けることができる、
非物質的サポーターたちのことにも気づくことができる、ということです。
私はそう理解しています。
☆☆☆
この出来事から目が覚めたとき、すごく不思議でした。
福島という場所…
今、毎日のように取り沙汰されている場所であるけれど。
なぜ、今回の震災で亡くなった人たちではなく、
数百年前に亡くなったあの女性のところへ行ったのか。
ふつうに考えれば、直近にあれだけ大きな出来事があって、
たくさんの方々が亡くなったのだから、
そこへのお手伝いに結びつきそうなものです。
個人的に、私の父方の実家が福島なので、
それではあの女性について、
祖先とか血縁とか…と、思いを巡らしてみましたが、
どうも直観センサーにはピンときませんでした。
もともとこういった活動は、私としては意識してしていることではなく、
自然に起こることなので、不明な点が多いです。
いずれにしても…
もし、亡くなった誰かのことを案じながらこれを読んでいる方がいたら、
どうぞ心配しないでくださいね。
生きている間も、亡くなってからも、見守られていますから。
そして、あなたの思いも、伝わりますよ。
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