語りかけみたいなタイトルになりました、こんにちは!
uplift (アップリフト)とは、持ち上げる、高く上げること。
uplifting には、楽しくさせる、幸せにするという意味もあるらしい。
今日浮かんでくる言葉が、これだったのです。
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私は最近、いままでになかった体験、
いえ、きっと今までも体験してきていたのですが、
ここまで徹底的に認識せざるをえないところまでは、
来ないで済んでいたのだろう…という体験、をしています。
それは、具体的には、言葉が通じない
(海外だったり、外国語をしゃべるとかいう意味じゃないよ!)
という体験。
会話で、言葉のコミュニケーションで、わかりあえないという体験。
今までのやり方では、まったく、
思うようにコミュニケーションが取れないということです。
私は、言葉のコミュニケーションの力を、ある程度信じていました。
誠意を込めて、本当の気持ちを表す言葉を慎重に選んで、
心をこめて話をすれば、きっと伝わるのだと思っていた。
…今まで、それでうまくいっていたように思っていたのだけど、
ここにきて、
ああ、でも。細かく見れば、これまでの人生の中でだって、
そういうこと(言葉ではどうしても通じ合えないこと)は、
あったのかもしれないな
と、認識をあらためました。
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言葉は、嘘をつくものなんだなー、と、思います。
ということは、
「テレパシー」は、誰も嘘を必要としなくなったときに、当たり前になるんじゃないかな。
と、同時に、
言葉同士の鍔迫り合い(つばぜりあい)をするくらいなら、
言葉なんて使わない方がいいな、
とも思います。
もっと言えば、言葉のみならず態度も、行動も、嘘をつけますね。
ありのまま というのには2つの意味があって、
本当の「その人」の生(ライブ、魂)のありのままと、
色々な鎧をかぶったままのうわべの現状をありのままと呼ぶのと、
どっちも「ありのまま」と呼べるわけですが、
私は、その2つは大きく違うと思うのですが、いかがでしょうか。
ときどき、この2つの意味が混同されているのではないかと、
そして、そうするとすごく内容が違ってくるのではないかと、思うことがあります。
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後者のありのままを重んじるのであれば、
この世の中には大小さまざまな悪があると信じ、
自分はいつでも被害者になりえる、
どこで損するかわからない、とおびえる自分
も、それでよし、ということになりますね。
ただ、私が伝えたいのは前者です。
どんな自分があってもいいんだけど、
なにが本物か
は、わかっていないと。混乱してしまう。
心の中にいる悪魔に根拠はあるのか?
と問いかけることが大事。
自分の心の中、とそれを捉えていなくても…
外に「悪」があると信じることで、自分に、どんなメリットがあるのか?
そして、その根拠を後生大事に抱いていることで、あなたの中の何と、
どんな「同盟関係」を築いているの?
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ライブの、魂の、ありのままを見つめるなら、
言葉の力はさほど重要じゃない。
「見えるもの、あらわれ」の力も、最優先じゃない。
そこで使うのは、心の目や耳。
送るメッセージの送受信は、別なところで行われるからだ。
それは、うわべより、もっと、ひろいもの。
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前回の記事は一見、楽な道を行くすすめのように見えるかもしれませんが、
自分の中の真実を見つめるすすめ
なんです。
私は、その方が結局、生き方(自分の在り方)は楽になると思うのだけれど、
そのプロセスが必ずしも楽だとは思いません。
だって、「長いものに巻かれろ」では、済まなくなるから。
そして、
自分の意識を、自分がどう使っているか、
自分が、どんなものの見方を採用しているか、
気づくことになってしまうから。
気づけば気づくほど、自分の心の中の小さな動きも、さざ波も、
よく見える。
まるで、レンズが、
拡大鏡~顕微鏡まで。対応できるところが拡がっていくみたいに。
外に転嫁はできなくなっていきます。
ものの見方も、
自分だけの味方ではなくなるし、誰かの味方になるわけでもない。
ハードボイルドな感じもするけれど、ちゃんとあたたかさもある。
uplifting
自分にしか、その選択はできないし、
「外がこうなったらこうしよう」
では、進まないんだ。
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☆スピリチュアルカウンセリング☆