もう、こんばんはの時間ですね!!
今からでも書ける記事ということで、
週末に見てメモしておいた夢の話をお送りします。
同じ「文章を書く」でも、夢の話の方が、私にとっては
「体験したことをただ言葉におろす」
という感じで、簡単なのですね~。
ちなみに今回も、すでに亡くなった方との交流でした。
その中で、今までブログでは書いたことがなかったパターンだと思うのですが、
私の体験では、このケースもわりとよくあります。
では、内容を書きますね。
☆☆☆
※夢の中で体験したことなので、私の知覚が自分流にきっと「翻訳」しています。
ところどころに、現実では「???」な描写があるかもしれません。
時代錯誤だったり、不条理だったり。
海のある町。
時代はいつ頃かわからない。
日本…という感じはしない。
漁師なのだろうか?
大型船ではなく、小さめの船に乗っている。
スクリューのついた、筏のような簡単な作り。
海はあまり寒い感じはしない、あたたかい地方なような気がする。
ポパイみたいな顔の、あごのしゃくれたおじいさんがいる。
長年、漁師?か何か、海の仕事をしていた。
その地域の海の仲間を見守り、まとめるような役だったおじいさん。
今回の私は、実は、「この場にリアルタイムで参加していた人」ではない。
いわば、当時の「再現劇」に参加させてもらい、
このおじいさんの体験を一緒にやっているのだ。
おじいさんの記憶の中に参加して、再現フィルムみたいに演じている。
(それがなぜかは、最後の方でわかります。)
☆☆☆
私たちは数人で船に乗っていたのだが、
クジラ(イルカよりは大きいくらいで、巨大なものではない。群れ)
が、囲んでハントしている現場に巻き込まれてしまった。
小さな船がぐらぐらして、ひっくりかえりそう。
船を囲んで、ざばぁと浮かびあがってくるクジラ達の口を見て、
のまれる!
と、思った。
クジラやイルカにはやさしいイメージがあるし、
たとえ相手(クジラやイルカ)の体がそれ相応に大きくても、
人間を襲ったり飲んでしまうということはないらしいが…
(この夢を見た後、調べてみました)
でも、夢の中では、まるでクジラに飲まれてしまったか、
噛まれてしまったかでもしたかのようなシーンがあった。
結果、船に乗っていたひとりは負傷し、
おじいさんは、亡くなった。
死のシーンの記憶というのははっきりしないことも多いので、
もしかすると、おじいさんの記憶はクジラたちの漁に巻き込まれたとか、
クジラたちに遭遇して船が転覆したあたりから曖昧で、
なんだか「スクリュー」のような物も、やたらと視覚的に残っていたので、
直接の負傷や死の要因は、クジラではないのかもしれない。
☆☆☆
次のシーンでは、船の乗組員たちが陸にあがり、
町のえらい人?(神父さんとか宗教的な役割を兼ねているようにも見える)、
あるいは葬儀を担当するような人がきて、
おじいさんのことを、
「このまま埋葬することで異議はないですね?」
と言って、皆に了承を得ている。
おじいさんの遺体は、袋のようなものに入って、
まだ船の上にある。
ここで、おじいさんがしてほしかったことがあった。
おじいさんは、自分が死んだことを、どうしても納得できていなかった。
生きているかもしれない。
本当は、自分は、死んでいないのじゃないか。
…このとき、このタイミングで、体を確認してもらえたら、
まだ生きていたかもしれない!
おじいさんの記憶に参加している“外野の私”には、
周囲の状況に俳優のように参加しながらも、おじいさんの気持ちがわかるのです。
そして、周りの人にはもう見えていない、
死んだおじいさんの姿(霊)が、そばに座っているのもはっきり見えています。
それで、私はおじいさんの気持ちを代弁して、こう言った。
待って!
生きてるかもしれないから、開けてください!
(夢の中の私は、リアルタイムで参加している人としての心境な上に、
おじいさんの気持ちをひしひしと受けているので、
本当に、「このまま埋葬しないで!」という、気持ちでした。)
仕方なく、さっき遺体について言及した人は、
そんなに言うなら…
という感じで、遺体をくるんでいた袋のような布のようなものを、開けた。
ショッキングな表現になってしまったら申し訳ないのですが、
私は夢でも、視覚、聴覚、触れた感じ、嗅覚、どれもはっきりしています。
「あっ」
と、一瞬思うくらいに、匂いなどもリアルで、
もはやその肉体が死後のものであるということは、あきらかでした。
おじいさんも、同じ思いだったに違いありません。
こうして見たことで、完全に亡くなっていたと知ったのです。
ここで…
このシーンで、そのまま葬られるのではなく、
もう一度、自分の体を確認したかった、というのが、
本当に死んでいたのか確かめたかった
(もしかしたら自分は生きていたのではないか、
死んだというのは何かの間違いではないか)、
というのが、
おじいさんの根深く残っていた願い、すがりついていた希望、
執着とも言える思いでした。
さっき、おじいさんの記憶の中の「再現フィルム」と言ったのはこういうわけです。
おじいさんの記憶の中に参加して、
その中でおじいさんの願い通りに、
(実際にはいなかった、)
あのタイミングで「もう一度、確認しよう」と言う人になったことで、
おじいさんの思いはとげられ、
自分の体を見たことで、納得し、気持ちの整理もついたのです。
霊の姿になっていたおじいさんは、すがすがしい顔で、
「これからは、オリジナルのやり方※で見守るよ」
そう言って、ウィンクして去っていきました。
(…おじいさんが去ったというより、この夢が終わったという方が近いかも。)
生きていた頃にそうだったのであろう、
ちょっと茶目っ気のある、元気な様子でした!
オリジナル…
この言葉について、考えてみたのですが、
これは、どちらかというと、
日本語の中で使われがちな「自分独自の(オリジナル)」という意味ではなくって、
ORIGIN、起源の、という意味の方にとれました。
なぜならね、
このとき伝わってきた、言葉でなく「思い」を翻訳すると、
私には、おじいさんが、
今度は、肉体を持たない存在として(海やみんなを)見守るよ、
とウィンクしながら言ったことが、わかったからなんです。
霊と体、どっちか「起源」かというと、霊の方ですね。
☆☆☆
それでは、今日はこのへんでおいとまです!
また次回~♪
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