こんばんは~!
昨夜描いたジンジャーボーイの絵になんだか愛着を覚えて(記事はこちら↓)、
まだあのメモ用紙をとっておいています!
キッチンにて撮影
……本題です。
今日書いてみたいテーマは、少し前の過去記事◆「わかってあげたい、の真髄は?」
と、対をなすような内容なんです。
☆☆☆
そう、あの記事に書いたように、
人の気持ちをわかりたい、
(もっと言えば「人」に限定せず、だけど)
と、どこかで強く願い続けてきた経緯があったからこそ。
最近、思うようになったことがありました。
こうして、今回与えられた「私」があるのだから。
私は、私(自分)の気持ちをわかれば、十分なんじゃないだろうかと。
言いかえれば、自分の気持ちをわかっていなければ、
他者の気持ちを本当にわかることも、むずかしいし…。
「汝自身を知れ」と言うように、
私が、100パーセントの私でいられれば、
それでいいのではないだろうかと。
誰かが、私の代わりに私の人生を生きてくれることもできないし、
たとえば私がもし、誰かのことを本当に「わかる」ことができても、
今の私は、その人の人生を生きることもまた、できない。
私は、私の気持ちがわかっていれば、
それを知っていれば、十分で、
今の私を精一杯生きることに、意味がある。
他の誰かにならなくていいのだから。
そう思うと、なんとも言えない安堵と、
同時に「力」もわいてくるのです。言うなれば、
すべてそこからなんだな、と思うのです。
よい週末をお過ごしください♪ヾ(^∇^〃)
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