こんにちは!(^∇^)
今日は、「自分の現実を自分がつくっていること(選択・創造)」のお話の中で、
前々からここのポイントをしっかり説明したいな…と温めていたテーマです。
これがわかると色々なことが次々と腑に落ちるので、
かなり大切な記事だと思います。
とくに皆さんが人間関係を眺めるときに、役立つんじゃないかなと思ってます。
実際のところ、過去に書いていることと重複するのですが、
最近の内容とあわせて読んでいただくと…より一層つながって、
「ピン!」ときていただけるのではないかな~と。
いわゆる、マジカル・シンキング
(現実を自分中心に眺め、
全部が私のせいでこうなってしまった!と、罪悪感のもとに捉えること)
と、現実創造の違いも、気をつけてお読みくださいね♪
タイトルは、
「全部自分の意識であることと、個の意識が両立するとは?」
です。
☆☆☆
あなたも、他者も、ひとつである「すべて(源)」の、分身です。
これはどういうことでしょうか?
それぞれの意識が「個」として独自に存在しながら、
それぞれが「全体」を含んでいるのだと、私は以前お話ししました。
こんな風に想像してみてください。
しゃぼん玉のような球面のひとつひとつに、世界全体が映っています。
どの玉も、ひとつひとつとして個別に存在していますが、
その中に完全な、「全体」が入っているのです。
つまり…
全存在が(=あなたもね!)、それぞれに、
「まるごと全部」を意識の中に持っているのだと、
イメージしてください。
きゃほー!!
あなたの体験する世界は 全部
あなたバージョンの世界です。
ところで、どんな存在も、
同じ「ひとつ」が、たくさん分身をつくった(自己を分けた)ものです。
(言葉を使って説明しているので、このようにたとえてみます。)
「分けた」といっても、私たちが想像しがちな、
「ひとつ」を半分にして、それをまた半分に…(0.5、0.25…)
というような「分割」ではなくて、
いくら細分化しても、「いち(1)」が、そのまま増えていく感じかな…。
(分けても、分けても、どれも全体を持つ「1」なのね。)
意識のお話、ここまで、イメージOKですか?
そして、それぞれの存在の「独自性(ユニークさ)」とは、
「ひとつ」の中での、ヴァイブレーションの違いです。
これって具体的に、どういうことでしょうか?
私は、こんなたとえをします。
ひとつのものの、たくさんの目。
ひとつ(源)の中に、色々な視点があるのです。
それぞれの視点(=「ひとつ」の分身)が、それぞれのやり方で、
それぞれの角度から「無限」を極めることができます。
このように、みなが、同じひとつを分けた存在でありながら
(「すべてである源」それ自身と言える存在でありながら、)
同じ視点はありません。
それぞれの存在がひとつなのだけれども、
それぞれのヴァージョンの、独自の世界を創造しているという意味、
伝わりましたか?
☆☆☆
さて、それでは、より日常的なたとえを使うことにして…
最近、記事でも話題にしている「人間関係」はどうでしょうか?
もちろん、あなたの世界に存在するどの個人も、
それぞれが皆、あなたと同じ多次元的な存在なのです。
「人間」としての、その人だけではなくてね…。
「それだったら、私の世界にある人が登場したからといって、
個性あるその存在のことを、
いつも“自分自身”と見るのには無理があるんじゃない?」
と、感じた方はいますか?
ここで、思い出してくださいね。
あなたは、あなたバージョンの世界を体験しているのでした。
あなたは、あなたの意識の中で、
あなたの見ている「全世界」を創っています!
どの並行現実を体験するかも、選んでいます。
(※もちろん、今ここにいるあなたにも、
色々なところで別の選択をした、
別のヴァージョンのあなたが沢山いるのです。)
他者にも、同じ人であっても、さまざまなヴァージョンの彼らがいます。
…わかってきましたか?
あなたが体験している現実は、
あなた自身の意識の世界なので、
あなたと、何らかの理由で波長の合っている相手しか、
あなたの現実に登場しないし体験できないのです!
あなたの体験するどんな人も、あなたヴァージョンの彼らです。
あなたの意識が「オン」にし、選択した、
彼らの存在の一部(鏡としての彼ら)を見ているというか…。
あなたが他者を体験するときに、あなたは、
自己の意識の中で、あなたヴァージョンの彼らを選びます。
(自分の意識内で自分のエネルギーをはね返して体験する。)
そういうわけで、他者が自分を眺めていると思うとき、
あなた自身が、あなたを眺めています。
また、
あなたの現実についての力を持つものは、あなたしかいません。
(夢の世界を思い出してください。
あなたは夢を見ている存在ですが、夢の中では、
あなた自身も登場していたり、他者も登場していたりすると思います。)
だからといって、
あなた以外の存在が「いない」ということではないので、
ここは注意してくださいね。
言葉で表現すると、ここのところが繊細なのですが…
記事前半の説明を理解していただいていれば、
何をお伝えしたいか、わかると思います。
こういうことです。
人間としての彼らが「いない」という言い方をする場合には、
もちろん、人間としてのあなたも、「いない」ということになります。
(「私」が、この現実の中での人間だというのは幻想だという意味で。)
この視点で見るときには、
それぞれが「存在」としては在って、
ここが意識ある存在の協力しあった“表現の舞台”なのだ、
…ということに気づいていてくださいね。
(これについては、「非二元」の話題で書いたこの記事、
☆「非二元について、次元、階層の話」も、関連したお話になります♪)
そして…
私がお伝えしている、人間関係も「すべて自分」というお話は、
「他者の人生の責任を、あなたが取らなければならない」
ということとは少し違います。
あなたの現実に起こることは、
全部あなたの意識が起こしていますし、
あなたの関わる他者は自分自身の反映ですが、
他者にもまた、他者の現実、独自の人生があります。
(どの存在も、まるごと宇宙全体を含有しているユニークな存在です。)
両者が噛み合うところ、合わさるところ、
交差するところで人間関係が生じます。
この記事を、私は最初「交差する夢見」と名付けようとしていました。
相手は、相手の観念に沿ってものを言いますし、振る舞っています。
その人の人生経験によって、信じていることも、考え方も色々でしょう。
ただ、あなたとその人が、
あなたの現実の中で関わっているということは、
あなたもまた、その人と同じ観念や思いを何か共有しているのです。
(自分が発しているものを、受け取る。)
たとえば、一見真逆に見えたり、似ていない相手でも、
ひとつの観念の両極を表現しあっている、ということもありますし、
体験した出来事の中身や、関わっている人たちが、
まるで自分の思いとつながらないように見えても、
たとえばあなたがもし、
「自分を責める」ということに関連する観念や思いを送り出していれば、
責められるような状況が起きたり、責めたくなる人に出会ったり、
あなたを責める人と関わったりするということです。
(そのきっかけはなんであれ。)
そのときに、出来事の“うわべ”に目を奪われて対応したり、
相手の理不尽さを訴えるとか、
自分は悪くないと証明しようとすることも、あまりうまく働きません。
けれども私たちは、ともすれば
「私がよく、こういう目に遭うということは、
自分はよほど、至らない人間なのに違いないなぁ。
もっと自分を変えなければ。」
あるいは、
「とんでもない人と関わってしまった!私は被害者だ。
この人に変わってもらうにはどうしたらよいのだろう?」
という風に、思考とアクションを起こしがちです。
それは見当違いなのですね。
あなたが体験しているのは、
あなたの意識の世界なのですから、
あなたの意識の中身をよく見るのが本当の解決です。
よく見ると、
「私は責められてしまう人間であるという思い込み。
あるいは、自分自身を心の中でよく責めている!」
「世の中や、人間とは、理不尽なものだと感じている。」
…などなど、意識して調べたら、
関連する観念、思い、怖れを持っていたことに気づくのです。
気がついて、それを変えると、
あなたの個性…“持ち味”自体は変わらなくても(笑)♪
以前の観念に見合った状況を、
あなたの現実に起こすことはなくなります。
他者の意識を変えようとしたり、
「出来事そのもの」をなんとかしようとするのは本末転倒で…
私たちは、それぞれにとって、自分の意識が起点。
そこを調べる必要があるということなのですね
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