BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

量子論、パラレルワールド

「ヴォイド抜けました☆」と言いつつ、

何かまだ、再編成が終わっていないぞ的な空白感のある
vanillatreeです。

いつものようにスカッと記事が降りてきません。


とはいえ、昨日おとといあたりからインスピレーションを受けていたこと…

複数の中に、あるテーマが交差しているので、

「これを書きたいというわけね?」と、おぼろげながら掴むことができました(笑)

タイトルは、量子論パラレルワールドです。

☆☆☆

昨日、「歴史はひとつだけじゃない」という記事をアップしました。

beats-and-love.hatenablog.com

今では当たり前のように「パラレル(並行現実)」の概念をお伝えしている私ですが、

最初、外の情報としてではなく、自分の内からそのことに気づいたときは、

やはり驚きがありました。
 


夢の世界を含めた、自分の数々の体験やインスピレーション、

内側からくる情報、直観、すべてがそれを指し示していましたが、

「自分が今まで信じていた現実になじんでいたい頭」の部分は、揺れましたね。


並行現実を理解するとこういうことがわかります。

たとえば、ある時代の有名な武将がいます。

その人がどのように人生を終えたか、その死については、

歴史の研究によると、いくつかの説があったとしましょう。


現実の正解はどれかひとつだと思うでしょう?


ところがところが…

私が目にしたのは、その本人(武将)が、

「私は、○○で、亡くなったのである。」

「私は、△△で、亡くなったのである。」

「私は、□□で、亡くなったのである…」

と、いくつものヴァージョンのそれぞれの本人が存在していて、

どのヴァージョンの武将も、自分が正真正銘のその人であると認識している様子でした。

そして各自、自分の死の顛末を語りかけてきたのです。


パラレルとは、そういうことなのか!

と、びっくりすると同時に、そんなのって一体!?と、動揺しましたよ。


これは一例ですが、もちろん、自分自身の、この人生のパラレルの様子を、

垣間見たこともあります。

それはちょっと奇妙なもので、私なのだがちょっと違う私…

辿った人生の内容が違うというだけでなく、外見も微妙に違っていたり…

似ているけれども世界がまるごと違う
 という感じでした。


ちなみに、私がお伝えしているパラレル(並行現実)は、それでも、

互いにネットワークでつながっているし(それぞれが孤立しているとは言えない)

結局、選んでいるのは「自分」なので、

量子論に出てくるエヴェレットの「多世界解釈」とは、

少し違うことになるのかもしれません。


そう…量子論も、ここしばらく流れてきていたキーでした。

実はその前から、ちょくちょく、私の現実にも気配があらわれていたのですが。

ついにこの間、古い本を引っ張り出してきました。

☆「量子論」を楽しむ本☆

この本と、同著者の同シリーズの、相対性理論を楽しむ本」の2冊は、

私が大学生だった頃、友人が貸してくれ、そのうち譲ってもらったのでした。

その友人は、昔ブログ記事にも登場したことのある、

理系大学に進んだ、高校時代からの同級生なのですが…。


彼女が当時、2冊セットで「おもしろいよ」と言って貸してくれ、

それから何度も、「読み終わったから返そう」と思って、

彼女と会う日に持参したのですが、渡そうとすると、

「今日は荷物が重いから、また今度でいい?」と言われたり、

なんだかんだのいきさつで、結局手元に残って、譲ってもらうことになったという。

手にしたいきさつが不思議な本です。


そうした経緯があって、その当時から、量子論には一応、なじんでいたわけですね。

その後、自分の興味でもっと他の本を読んだりもしましたが、きっかけはこの本です。

この本はとてもわかりやすく書いてあるので、初心者でも楽しんで読めますよ。

ただ、もう古い本になってしまっているので、

最先端の情報は含まれていないことになりますが。


私は必ずしも、自分が直観的・感覚的に理解していることを、

「科学的に証明したい」という気持ちはないのですが、

それでも、こんな文章を読み返すとうれしくなってしまいます。

(その理論の中身や根拠は、自分の考えと一致するとは限りませんが。)↓

『概念的または哲学的な意味での「無・ゼロ」は、

物理的にあり得ないということも、量子論が明らかにした真実の一つです。』

(237ページより引用)


精神世界・スピリチュアルの分野の中でも、

私は「無」という用語の使われ方が、すごーく気になるたちなので。

日常の知覚で認識できない=「無」とすることは、ツッコミどころ満載!

と、よく感じることがあります。


ブログでは初期のころ、

「空(くう)について」

beats-and-love.hatenablog.com

「空(くう)について、補足」

beats-and-love.hatenablog.com

という2つの記事で、そのことを説明しました。

「無」っていう言葉の表現は慎重に、と思います。

☆☆☆

この古い本をぱらぱら読み返していると、先述の、

エヴァレットの「多世界解釈の記述があることに気づきました。

読んだ当時は、すごくSFみたいな印象を受けていたんだったな…。

本の中では「多世界解釈」について、こんな記述もあります。↓

『…たとえば、「次の曲がり角を右折した自分がいる世界」と

「左折した自分がいる世界」というように。

そして枝分かれした「私の分身」はそれぞれが

「この私は唯一の自分であり、この世界は唯一の世界である」と思うのです。』

(208ページより引用)



まさにね。

日常の私たちもそうだし、先述の「武将さん」のお話も思い出してください。

私は科学畑の人間ではないですし、

自分の体験を量子論に閉じ込めようとか、フィットさせようとは思いませんが、

逆に、量子論を知ることが、力添えになってくれたことが多々ありました。


そういえば昨日も、電車の中で「電光掲示板」を見ていて、

「あ~、やっぱり文字が流れて動いていくように見えるよなぁ。

光の粒の点滅なのになぁ」

なんて、じっと見入ってしまい、同時に周囲の景色を見まわして、

この世界を体験できるのって、やっぱり、すごい奇跡!!

なんて、わくわくしていました(笑)

それでは、また次回♪


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