こんにちは~。
今日の記事は、バリ旅行からの私の気づきの続きでありながら、
読者のみなさまにも役立つと思う、とっても大切なポイントを書きます。
タイトルは、
「神というコンセプトはどこから生まれた?二元論と統合」です。
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ケチャックダンスが行われるウルワツ寺院から見た夕日。
私は、今回の旅行から戻ってきて、これまでの記事で、
自分がバリ島に見ていた要素の、どんなところが統合されたか
を書きました。
(※ちなみに、バリのトランスについてはかなり昔に、
こんな記事も書いていました。未読の方はどうぞ☆
◆「観察意識と罪悪感フリー」
自己を失うトランス「クラウハン」※と、
自覚を持ち、主体性を有しているトランス「タクス」の違いにふれています。)
でも、さらに数日経って、より深い見方にも気がつくことができたんです。
そしてそれは、バリ旅行中にも続いていた、このブログ上ではじめた
「30日のコミットメント」と密接に関係した気づきでした。
別名「神の島」と呼ばれるバリ島。
この期間にこの島へ旅行したことも、偶然ではありません。
以下の気づきを一緒に味わっていただければ幸いです。
☆☆☆
神というコンセプトはどこから生まれた?
神と人、
あるいは神性とエゴ、
もうお気づきですか、
神というコンセプト自体が、“エゴ”のつくったコンセプトなのです。
早とちりして、エゴを「良い・悪い」の視点から、悪いものと捉えないでくださいね。
ここで言うエゴというのは、単に、
「自分が何であるかを忘れているときの視点」、
自己の一部しか認識せず、「とてもフォーカスを狭めている視点」のことを指します。
エゴを本当の意味で「エゴ」と思えるのも、分離した観点からだけで、
二元性がないなら、すべてが同じひとつのもののあらわれでしかありません。
「神」と「人」、
「高いもの」と「低いもの」、
「偉大なもの」と「卑小なもの」…
そういった二元的な区別は、ありません。
「神」という概念自体が、
エゴの観点からこそ、思いつくことのできる概念なのです。
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ウルワツ寺院から見た海
バリ島には、スカラ・ニスカラという概念があります。
「スカラ」は見える世界
「ニスカラ」は見えない世界
バリの人たちは天上の神へのお供えだけでなく、
ブタ・カラと呼ばれる悪霊にも毎日、地面に置いたお供えをします。
バロンダンスでは、聖獣バロンと、魔女のランダが、
永遠に終わらないたたかいを繰り広げます。
私は、バリ島に根付いた、
「二元性のどちらか一方ではなく両方を受け入れる」
あり方が好きでした。そこに、安らぎをおぼえていました。
光と闇、
天の神様と地の神様、
聖なるものと、魔……
でも、今回の旅行を経験しながら…
私は、自分の中に、
「二元的なものの見方、それ自体を終わらせる」
という目的を浮かび上がらせていたようです。
すべてが同じひとつのもののあらわれである。
一体であるそこに、たたかいはないし、対立はない。
二元的であることが、「創造の仕組み」なわけではない。
それが、今の私には、腑に落ちるのです。
「神」をつくるのは、自分が「神」ではないと思っているときです。
「神」というコンセプトを作り出せるのは、自分が何であるかを忘れているからです。
すべてと一体である「私」そのものにとっては、
崇める神が必要であるはずがありません。
今の私は、既存の宗教や、人間の思う神という概念も、
「私」とひとつに統合され、変化していくことを、楽しみにしています!^^
★スピリチュアル・カウンセリング★