こんにちは♪
ネットのニュースで見かけたのですが、
今年の夏は原発を稼働しない夏になるのですね。
気候的にも今年は涼しく過ごせるかも?という感じがするし、
今まで消費しすぎていた電力の、よい見直しチャンスになりそうですね。
蒸し暑いときのエアコンはとってもありがたいものですが、
私は、ガンガン冷やして!照明もガンガン明るく!
というのは苦手なので、こういう機会は好ましく思います。
さて、今日のタイトルは「守護存在の愛とメッセージ」。
これは、ふだんブログで「ヘルパー存在」と呼んでいるのと同じ意味です。
ただ、これから書く内容的に今回は、「守護存在」と表記したい感覚になりました。
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私はときどき夢の中で、この世界(今の私の人生の中)にはいない、
親しい人に出会います。
愛しい、なつかしい…夢の中では、「当たり前」に知っている人です。
ひとりやふたりではありません。総合したらたくさん、いそうです。
そして、相手もいつも同じ姿であらわれるとは限りませんが、
会ったときには、独得の親しみや、うれしい感覚があるのでわかります。
子供の頃から、ずっと、そういう相手と夢で逢っていました。
夢を見て目覚めた後には、こちらの世界にその存在がいないということが、
信じられないような、さみしいような気持ちになります。
さっきまで、確かにいたのに。
一緒に過ごして、会話していたのに。
「あの人がこの世界にもいてくれたら、とても心強いのに。」
と、切に思ったものでした。
夢の中で出会うそういった存在からは、
「私を愛し、応援してくれ、見守ってくれているエネルギー」が感じられますが、
よく聞く、「守護霊」とか「ガイド」と言った捉え方だけではなく、
私はそれを、他の人生、あるいは自分の別の「存在のあり方」において、
親しくしていた・絆を結んでいた相手から、発せられているもの
と、感じるのがしっくりきます。
(別の人生の「自分自身」そのものというのとも、感覚が違うのです。)
そしてもちろん、この人生の中でも、
そういった絆を結んだ人たちの一部と、会っていることは間違いありません。
夢の中においても、こちらの現実においても、
姿は変わっても、目は忘れないものだなぁ
と、思います。
相手のそのときそのときの姿形より、「目」を見て、わかることがあります。
こちらで出会うときも、「目」で何かに気づくことはありますよね!
ほかにも、たとえば握ったときの「手」の感触とか…
理屈抜きの“感覚”で、わかることがありますね。
私も、そう気づいた相手にわざわざそういう話はしませんが、
「ああ、他のところでも会っている人だな!」と、
はっきりわかる経験を何度もしています。
そういうとき、「よくぞまぁ、出会いました!」と、不思議になるような、
感心するような出会い方をすることがあるのですが、
たとえ地球の反対側にその人がいたって、
ふつうに考えたら無縁の生活を送っていたって、
あなたが約束をしていた人には、やはり出会うのです。※
(※これは何も、ロマンチックな関係に限定した話をしているわけではありません。
また、人生がすべて計画済みであり選択肢がないという話ではありません。)
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夢では会えるけれど、この人生で「姿をもつ他者」としては会えないんだろうな、
とわかる相手(存在)もいます。
そういう場合、
私が「ここ」からフォーカスを外したとき、心ゆくまで会えるのかな。
(夢ではときどき会っているくらいなのだから)と、考えます。
そういった存在たちが皆、大きな「自分」を構成している表現の一部なのだとしても、
私は、この世界の中でもそうであるように、
自分としてではなく、「他者」として体験できることを、素敵だと思います。
相対する“別の存在”としてふれあえることを、貴重に、幸福に思います。
そんなことに思いを馳せていたら、流れてきたメッセージです。
☆☆☆
愛されてない、と思うことは傲慢かもしれない
愛されていなければ、あなたはこうして存在していない
あなたが気づいていなくても、たくさんの愛が注がれている
それは別に、「見えない存在」からの愛に限ったことじゃなくて、
この人生の中での、他の人々からも……
あなたが気づいていないだけで、
色んな場面で、あなたを愛していた人がいたに違いない。
☆☆☆
この世界での私たちは、
愛を表現するにもつい、ワンクッション置いてしまいがちです。
ほんとうは誰もが、次、いつ会えるかわからないのに。
「愛してる、愛してる、愛してる…」
と、別の次元から、むき出しで呼びかけられる愛に接すると、
そんなことに気づきます。
こういうことすべてを、
今日の夢の中で私と出会った存在が、思い出させてくれました。
そして、この記事は、あなたの守護存在から、
あなたに届けたいメッセージでもあるんですよ。
★スピリチュアルカウンセリング★