こんばんは~(*・ω・)ノ♪
昨日の、綿ぼんぼりみたいなうろこ雲
途中でかき消えるのが幻想的でした☆
今日のテーマは、
「観念をみるとき大事なこと☆いただいたご感想とともに~」です。
実際の経験に基づくご感想をご紹介しながら、
「現実にあらわれている(元となる)自分の観念に気づきたい」
「変化を起こしたい」
そんなとき、知っていると役立つポイントをシェアします。
以前、「観念の洗い出し~Day1☆」から始めた、30日間の記事がありましたね。
最終日の記事のこちらと↓
◆「祈りとは☆現実とのつながりを感じ始めると…」
次の記事のこちらには、↓
◆「実践のご感想のお願い♪」
実践を通しての総合的なご感想コメントもお寄せいただきました。
ありがとうございます^^
それからもときどき、セッションの折には、
「一緒に実践していました」とご報告受けることもあったのですが、
先日、ある方からメッセージで興味深いご感想をいただきました。
お返事差し上げるとき、
似たポイントで悩んでいる方は他にもいらっしゃるかもしれないなぁ
と感じました。
そこで相手の方にお伺いすると、掲載を快諾していただきましたので、
メッセージと、私の返信とを、あわせてご紹介します。
まずは、hikariさんより送っていただいたメッセージです。
☆☆☆
<hikariさんのメッセージ>
vanillatreeさん、おひさしぶりです。hikariです。
実は最近、ダウンロードファイルを整理していたら、
vanillatreeさんの音声ファイルが出てきて、
そういえば、以前、音声をアップされたとき、私は上手く聞けなかったんだ、
と思い出しました。
それで、聞かせて頂いたら、
澄んだ声でとても素敵な内容のお話(あ、朗読ですね)でした。
で、その翌日、「パオーン!」という記事を書かれていたので、
それって私のことかも、とふと思ってしまいました(笑)
私は50代ですし、過去に関わった出来事から、ここ10年くらい
目に見えない領域の症状で苦しんでいます。
それゆえ、以前、vanillatreeさんが摂食障害を乗り越えられた話
(確かキリストの)は、とても関心を持って読ませて頂きました。
ただ、自分自身はそのように乗り越える、ということができないままでいます。
vanillatreeさんが言われるように、自分自身でそのような状態を
保持しているのかもしれませんね。
ところで、「観念の洗い出し」の終了後、感想をお送りしたかったのですが、
私自身がこの期間を通して、「もう一度、ホ・オポノポノをやろう!」と思ったので
何となくお話しにくくて、そのままになってしまいました。ごめんなさい。
なぜ、ホ・オポノポノなのか、というと、やっぱり過去の洗脳体験が基盤にあって、
自分自身で「観念を洗い出す」ということに自信がないからなんですね。
どこに繋がっていくかはわからない、という不安、でしょうか。
その点、ホ・オポノポノのような伝統を基盤にした手法の場合、
ぶれがないだろう、と思ったのです。
でも、再開してみると、すべてがクリーニングしなくてはならない世界に見えて(笑)
問題ばかり起きてくるので、あまり、思いつめてやったらいけないな、
とちょっと感じていることろです。
以前のときもvanillatreeさんとお話しましたが、
自分の感じる力を否定しないでいたいと思うのですが
そしてホ・オポノポノもその手助けをしてくれる世界なのですが、
なかなか現実との折り合いが難しいです。
そんなこんなで、遅くなりましたが、私なりの感想をお送りしました。
ブログ、いつも興味深く読ませて頂いています。ありがとうございます。
それではまた☆
☆☆☆
<以下は、私からの返信です>
hikariさん、こんにちは!
メッセージを送ってくださって、どうもありがとうございます!
音声ファイルも聞いてくださり、感謝です。
「パオーン!」の記事は、最初はほんの笑い話で書くつもりが、
一緒にみた他の夢を思い出したらつながりが見えてきた…という結果でした。
夢に出てきた女性は、hikariさんではないです!^^
50代よりももっと年齢が上の女性ですし、
hikariさんから感じるエネルギーともまったく違いますよ。
hikariさんの、目に見えない領域の症状がどんな風だかわからないのですが、
私自身の経験をご参考にしていただけるなら、と思い書きます。
私の場合は、14年間くらい色々な症状がありましたが、
精神世界に関わるようになって、自分の夢をきっかけに洞察が戻ってから、
あきらかに癒しの道を歩いているのがわかりました。
ブログ記事として書いた体験は、どれもがその「1ピース」なのですが、
hikariさんがたぶん言及してくださった内容(キリストのこと)、
あのとき書いたことの中には、重要な点があります。
それは、私はあのときものすごく真剣に、集中して「考えた」んです。
絶望したんだけれども、あきらめられなくて、
「なぜ?キリストはなぜ、それ(病人を癒すこと)ができたのだろう?」
と、全力で考えたのです。
それは、今の私が解説するなら「意図」の力とも呼べると思います。
精神世界の中でも、教えによっては「思考の力」を否定しがちです。
だけど、私の受けてきた導きの数々を振り返っても、
「自分で考えてごらん。答えを見つけてごらん」
と、やさしく促される体験が多いのです。
おそらく、「観念を洗い出す」ということに自信がなくなってしまうのは、
どこかに、ベースとなる「自分を否定する気持ち」があるからではないでしょうか。
悪いものが自分の中に(あるいは世界の中に)あるから排除するのではなく、
どんな観念もが、自分に役立つと思って取り入れたもの、
経験の材料になってくれたものだと感謝を持って眺めることができますし、
「観念」を見つめて整理していく結果は、
「世の中が提示する理想の形」に近付くのではなく、
個性豊かなバランスのhikariさんが表にあらわれることなのだと知ると、
楽しくなると思います♪
hikariさんの書いてくださった、
「自分の感じる力を否定しないでいる」
その、一番の味方は自分の中にいます。
そして、その立ち位置から見たときに
「自分に合っていない」枠を外すだけでいいんです。
基準(中心)が「自分」になるということがポイントです。
そうしていいのかどうかと、私たちは怯えてしまうことがありますが。
お返事が、何か少しでもhikariさんのお役に立つことを願っています。
☆☆☆
シェアリングはここまでです。
hikariさんとは、この後もう一往復のやりとりがありましたが、
そちらの内容はより個人に関わる内容なため、割愛いたします。
「観念を見ること」や「選択すること」が本当は難しいのではなくて…
多くの人が、「自分の中心から選択する」、
「自分のフィーリングを重んじる」ということが、
エゴ的な「自己中心」の考えにならないかと怖れています。
ですが、
「自分の中心」は「源(ソース)」につながっています。
あなたの感覚を通して、それはあなたに語りかけます。
本当の自分を見るときに、そこに何か悪いものがあるのではないか、
醜いものや自分の対処しきれないものが潜んでいるのではないかと、
怖れたことはありますか?
もし、エゴが暴走するような状態があるとしたら、
あなた(自分自身)が自分の価値を無視したからです。
もともと「悪い」ようなものがあるわけじゃないんです。
アンバランスを教えてくれているのです。
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