こちらは雨でございます。
どうやら夜~明け方にかけて、
眠っている間に降り出したようなのですが、
案の定!
みている夢の変化のおかげで、目覚める前から、
外で雨が降ってるってわかりましたわ…
(このあたりの事情、ご存知ない方は、
テーマ別「夢」の記事など過去記事を読んでみてください。)
途中から今回も、 濃ゆく妙な領域
につながっておりましたのです。
内容も思わず、起きてから
「あの続きは一体どうなるんだろう…」やら何やら、
しばらく考えてしまうくらい強烈、かつ後味の残るものでした。
私たちの思いや感情、記憶のストックに
もし、正の側面と負の側面があるという見方をしたら、
あれらの領域は負の側面の蓄積領域なのではないかしら…
なんて思います。
以前も考察したように、
眠っている間に降り出す雨で、そこに繋がりやすくなるのは、
単純に、湿気が増して私が寝苦しくなるからかもしれないし、
大気中の水分変化という電気的要素が関係してるかもしれないし、
あるいは、「天候」もまた、
人の感情エネルギーの“あらわれ”であるので、
何かそこにリンクしている、ということかもしれません。
また、
「ただ夢の中で変な領域につながった」
「それは私の外にあるんだ!」
と捉えるのではなくて、
自分の内側として眺めてみると、
やはり気づきとなる箇所もあります。
今日は夢の内容は書きませんが、
その気づきから湧いたインスピレーションを記事にしますね。
☆☆☆
セッションでもときどき尋ねられます、
「ありのままと、身勝手(わがまま)は違うんですよね?」
と。
たいてい、こう尋ねてくださる方は、
もっと自分を表現できるようになりたい。
感情をため込んだり、発言を飲み込んだりせず、
ありのままの自分を出したい。
と、思う一方で、
「自己中心的な身勝手や、わがままと、
取り違えてしまったらどうしよう…?」
と、ご心配もされているんです。
実際に、そうなって(身勝手になって)しまってる人を見たことがあり、
それで苦労された方である場合も、あります…
反面教師を見ているからこそ、自分がすごく気をつけちゃうのね。
確かに、
ありのままと身勝手は違います。
今日はそれを詳しく書きましょう。
☆☆☆
このブログでは、「意識」について、
色々なお話をしていますので、
もう理解されている方もいらっしゃると思いますが、
人間の場合、動物さんたちと違う点は、
本能が、
意識の選択しているBELIEF(観念・信じていること)に従う
ことです。
えっ!!
と、びっくりしちゃった方、いますか??
本能は、意識の選択したBELIEFに従う。
なので人間の場合は、自分の体のコンディションや、
「体のもの」と見なされる病気なども、
自分の意識でつくっていると言えるのです。
(これは、善悪のジャッジのお話ではありませんよ。)
そしてこれはつまり、
精神世界やスピリチュアルでもよく言われる、
「ありのまま」でいよう、ということの意味を、
「本能のまま」
と解釈してしまうと、間違ってしまうということです!
気をつけてくださいね。(^^ゞ
直観と本能は違います。
直観は信頼できるものですが、
「本能(身体のシステム)」には、
BELIEF(あなたの信じていること)が反映されています。
これを理解すると、なぜ、
「食べたいままに食べる暴飲暴食」や、
「欲望のままに人との関係をもつ」ことや、
「自分の気分を人にぶつける」ことなど、
「身勝手さ」というものが、
一見、「自由」や「ありのまま」と似ていて、
まったく異なるものなのかがわかるはずです。
直観は、あなた自身の本当の声で、
小さな声であることもあります。
あなたが心の雑音のボリュームを下げ、
聞こうという意思を持たないと聞こえないこともあります。
そして直観は、自分にとっても他者にとっても
「破壊的」ではありません。
☆☆☆
たとえば、「感情を抑圧しない」ということは、
私たちにとって大切です。
だからといって、
感情を人にぶつけて発散するのは、破壊的です。
結局、それは根本解決になりませんし、傷を残します。
抑圧するというのは、「自分に、ないふりをすること」や、
「感じてはいけないと思い、感じないようにすること」です。
つまり、抑圧しないということは、
自分が自分の感情を感じること、
自分自身が、消化する必要があるということです。
うわべの感情のその奥には、
自分自身へのメッセージとなる本当の感情があります。
それがわからず、すっきりしないときには、
◆自分の思いを紙に書く。
◆言いたいことを声に出してレコーダーに吹き込む。
◆今感じている感情を、「枕を叩く」などの動きで発散する。
…のように、「表現」をします。
すると、自分のことがもっとよくわかるはずです。
その後、書いたものや録音したものは消去しましょう。
儀式として、書いた紙を燃やしたり、
トイレットペーパーなど水に溶ける素材に書いて、
水に流すのもひとつの手です!
(私はまだやったことがありませんが、
自分なりのアイディアを出して、それを楽しんでしまいましょう!)
これは、あなたの「相手」となる人が、
すでに亡くなっていたり、話せる見込みのない人でも、
いっさい差し支えないということが便利ですよね♪
たとえ存命の、身近な相手に対しての思いや感情であっても、
結局は、感情のままに暴走して、相手にぶつけなくてよかった…
と、わかる結果になると思います。
具体的行動や発言をどうするかは、直観が、
その都度おしえてくれるものです。
☆☆☆
ところで…
こういった、自分の思いや感情、ひいては人生の責任を、
「他者」に求める姿勢から生まれるのが「共依存」です。
一見、「仲良し親子」や、「絆の深いカップル」に見える人たちが、
実は共依存であるということは、わりとあります。
互いに、自分の力を信頼できないまま、
相手に「自分の力」をあずけているので、
その絆は深そうに見えても、癒着しており、
本当は両者ともに苦しいことが多いのです。
(相手がどう思うか、どう動くかに影響され、
それが人生の指針になってしまうということです。)
その相手の承認を求めようとしますし、
支配や服従の関係、パワーゲームも生まれます。
他者に対し、まるで小さな子供が親に求めるように、
私の全部を受け入れて!
ということをしてしまうので、
「傷ついたインナーチャイルド」
という風に理解をしてもいいのですが、
それを癒していく過程では、過去に原因を求めるのではなく、
「今」
にフォーカスすることが大事です。
あなたの思いや感情に、耳を澄ましてあげられるのは、
あなた自身です。
外に「代わり」を見つけても、
(たとえばあなたを助力してくれるパートナーや友人、
セラピストやカウンセラーの存在を、自分自身で歩む上での、
補助とするのはいいのですが。)
共依存的な傾向に気づかずにいると、
やがて相手の限界を知り、
今度は別の相手を…と、人を変えて転々とすることになります。
自分が自分を見るということをしない限りは。
そう、本当に求めているのは、
「自分自身が自分を理解すること」なのです。
もしも、この記事を読んで、
…それって私のことだ!
と気づいた方は、そう気づけたことが第一歩☆
主体を「私」に戻すこと、自分の意思で実践してください
(セッションではその補助をいたします^^)
どんどん楽になりますよ♪
☆☆☆
今日は意外と取り違えられやすい、「ありのまま」と、
「本能や感情のおもむくまま」との違いを、書きました。
ご参考になりましたら幸いです☆(^-^)/
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