今日のテーマは、「同じでないことが呼ぶ不安」です。
あなたは、誰かと同じ答えじゃないと、不安になりますか?
人と同じであることを、自分に求めますか?
あるいは、自分と同じであることを、人に求めますか?
自分が独自の存在であることを信じられないとき、
「外に」自分の価値をゆだねようとします。
以前、1つのケースとして「共依存」についてふれたことがありました。
そのような場合、
私の感じるように感じて!
(私の感じ方を認めて!)
と、相手(外)をコントロールしようと、一生懸命になります。
せめて、共感してもらおうとします。
同じように感じていない相手でも、そうさせようとします。
相手がそうなることを望みます。
そこに自分の生存価値がかかっているからです。
違っていていいのだとは思えない状態。
するともちろん逆に、自分が相手と同じにならなければ!
と、相手に合わせようとすることもあります。
両方のベクトルを行ったり来たりします。
でも、実際にはそんなことはできないので、
自分で無理をしていた部分があふれ出てくるわけで、
それを「相手」の存在や、あり方や、行動、発言のせいにします。
「依存している対象の相手を恨む」ということも、当然起きます。
愛憎どろどろの、苦しい状態です。
これは、
なぜ、相手にそれを認めてもらわなければ安心できないのか
なぜ、相手に自分と同じでいてほしいのか
そこ(=自分の心)を見つめなければ、治りません。
要因が「相手」にあると思っている限り、解決しないのです。
実際に私自身も過去にこれをたっぷり経験し、気づいたことです。
自分が不安だと、同じであることを求めます。
同じ感じ方、同じ答え、同じ価値観…
外に見つけて、認めてもらって、ほっとします。
人が「基準」を作るのはなぜなのでしょうか?
たとえば、美の基準。
これが美だという基準を定めたがり、
それに基づいた評価が当たり前のように採用されますが、
ほんとうはその基準から大きく外れていても、
魅力的な人はたくさんいます。
誰もの目の奥から、
神である“私”がこの世界を覗いているのに。
同じでないことに、不安を覚える必要があるでしょうか?
独自性を否定する必要があるのでしょうか?
私たちは、同じ世界を見ていません。
それなのに、それぞれが違っていても、そのままで、
やっぱり響き合ってしまうから面白いのです。
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