正解は…王林(青リンゴ)でした。
今回の王林の実の中では、中心部が小部屋に分けられたみたいになっていて、
大切そうに、種が分けられて詰まっていましたよ。
さて、前回の記事では柿の話題をきっかけに、
人為的な種なしと、自然発生的な?種なし
両方があるということを学びました。
あぁ私、何も知らなかったな~と思い、
最初の記事◆「自然界のバランス」に書いたほかの発言…
たとえば、「種の中に、ちゃんと発芽できる芽がしまわれてますね!」↓
と、書いたこの写真なんかも、もしや無知ゆえの勘違いだったりして!?
そう疑問に思い、調べてみたところ、意味は間違っていませんでしたが、
正確には、それは芽というのではなく「胚」と言い、
2枚の葉をもつ子葉が、しまわれているのだとわかりました。
周辺にある半透明の部分は「胚乳」で、胚の成長の際の栄養になりますよね!
「胚」は、受精卵が発育したものだから、
人間でいうと赤ちゃん(胎児)の体そのもの、と考えていいのではないかと思います。
種の中で、植物の赤ちゃんが育っているのですね。
種は、赤ちゃんの育つ子宮なんだ…と、なんだか感動しました。
また、柿の他にも、ミカンの一部やバナナ、パイナップルなども、
天然の「種なし」の果物として知られていますが、
それについて調べたこともちょっと述べておきます。
まず、バナナには、元々は種があったそうです。
果実の中心部の黒い粒々はその名残で、
今でもまれに、野生のバナナには種があるものがあるそうです。
パイナップルも不思議で、1つのかたまりに見えるあの実は、
たくさんの果実が集まったものだそうです。
パイナップルは、人の手で栽培しているので、
同じ品種をつくるために、さし芽で育てるそうです。
すると、周辺のものが皆、
もともとは同じパイナップルからさし芽で増えているわけで、
(クローンが増えていくイメージ?)
受粉をせず、種ができないそうです(自家不和同性)。
でも、まれに他の種類の花粉がハチなどによって遠くから運ばれてきて、
受粉し、種ができることもあるということでした。
こうして、種あり、種なし、について考えていたら、
おもしろいことに気がつきました。
私の好きな果物、苦手な果物を、「種」という見地から見てみると、
(今までそのように考えてみたことはありませんでしたが、)
私は「種があるもの」ばかりが好きなのです。
たとえば、私はベリー類が大~好きですが、
ベリー類を食べるときは、種そのものを一緒に食べているとも言えますね!
イチゴもそうですよね。
ミカン(ほとんど種がない)は、どちらかというと苦手な方で、
すすんで食べたくならないのですが、一方で、
大きめの柑橘類やオレンジは好きです(実の中に種があります)。
バナナは苦手で、まず食べないし、柿もあまり好きではないのです。
柿の中で比較的好きなのは、富有柿(受粉して種ができる品種)です。
デラウェア(種なしぶどう)も、あまり好きではありません。
見事に、種のあるものばかりを好んでいる…
とくにベリー類が好きな様子などは、
「種食い」と呼びたくなる習性だなぁと思いました(笑)
野菜でも、自分にはやはり、「種食い」の要素が見受けられました。
以前は苦手で最近わりと食べるようになったトマト、
これなんか、「種」を取ってしまったら意味あるの?と思ってます(笑)
たまにお料理でありますよね、
あの、ゼリー状の種の部分を、除いてしまう調理法が。
野菜は、オクラやきゅうりやナスや…種ごと食べれるものも多いですね。
じゃがいもなどのイモ類はそのものが種ですしね。
「種食い」というと、私にはリスや、
森でベリー類を喜んで食べるクマなどの動物も思い浮かびます。
ベリー類は、鳥たちも食べますね。
子供の頃、リスが松かさをくわえている様子を写真で見た私は、
家で飼っていたリスにも、松ぼっくりを与えてみました。
すると、リスは大喜びで松ぼっくりをくわえて巣に運んだのですが、
中に「松の実」があるということを知らなかった私は、
どこを食べるんだろう!?と不思議に思っていました。
「種」には生命力が多く宿っていると感じます。
☆☆☆
ところで、買ってきて食べた果物や野菜から、種をとっても、
未成熟なので育つことはない、という話を聞いたことがあるのですが…
実際は、そのようにして作物を育てている方もいらっしゃいます。
私のよく拝見する家庭菜園のブログ主さんが、その方法で、
イチゴやプチトマト、色々な作物を育てている様子を知っていましたし、
この記事を書くにあたりインターネットで調べていたら、
こんなサイトも見つけました。↓
●「種はゴミじゃない キッチンから始めるリサイクル菜園」
本も出版されているようです。
こちらのサイトの中には、以下の情報もあり、参考になります。
●果樹の採種、保存方法
●野菜、果菜の採種、保存方法
「種って、このまま持っていると干からびて、
種としては使えなくなってしまうんだろうな…」
と、漠然と感じていた私に、理解をもたらしてくれました(笑)
現段階では、まるで「きれいなボタン」を集める人のように、
眺めて楽しんでいるだけではあるのですが、勉強になります。
また、上記のサイトの●「はじめに」の項目では、
サイト主さんが種から植物を育てるようになったきっかけが書いてあり、
それがまた、ひょんなことから始まっていて…
「食べ物の種が、なんか捨てられなくなった」
というのは、すごくわかるなぁと思いました!
このような方法で育てる自家栽培の種は、収穫できても味が薄い、
という情報もありますが、必ずそうなるというわけではありません。
このことも含めて、今回、種について色々調べ、考えて、
私が感じたことは、
ということです。
突然変異も、そうです。
種は、自然の中で他の種と交わったり、
環境に合わせて形が変わったり、突然変異が起きたり、
「多様性」を生み出すものだったのです。
人のニーズに合わせて、F1種※(交配種で、子は雑種一代となる)が多くなり、
品種が「統一」されるようになってきたことや、
(※こちらの過去記事でもふれています→◆「地球とのつながり、自然栽培」)
それにともなう植物の性質の変化の問題、
種を買わなければいけなくなったこと、大手会社による独占性のこと、
色々と、「種」からひも解かれることがあります。
化学技術が発達して、
人間のニーズに合わせた変化を起こすことができても、
「植物の声」を聴く人がいなければ、
生き物としてそれらを尊重する気持ちがなければ、
やっぱりバランスは崩れてしまうのではないでしょうか。
考えてみてください。
人間をつくった存在が、もし、
人間の「種」を、彼らの都合で(私たちの意思を尊重することなしに)
色々といじっていたら、私たちはどんな気持ちがするでしょうかね。
どんな生き物も、その本質は形を超えた「存在」ですが、
たとえば人間という種族の型についていえば、
それを作った者が存在します。
彼らも、試行錯誤し、学び、色んな選択をしていったに違いありません。
今の私たちは、こうして植物や動物、自然界から学びながら、
その者(人間をつくった者)たちと同じように、それでいて独自に、
自分たちの世界をつくっているのでしょうね。
創造者としてのあなたは、どんな選択をしますか?
★スピリチュアルカウンセリングその他メニュー★