こんばんはー!゚・*:.。(´∇`人)
今日のお話は、「精霊・妖怪的な記憶」。
以前、天使の記憶について書いたこともあるように…※
※過去の、この記事「天使の記憶」や、この記事「天使セルフ!」が該当。
私にとってはリアルな体験です。が、
茶飲み話程度に読んでもらってもかまわないです。
アメリカインディアンの精霊的存在「カチナ」への親しみをはじめ、
私自身の、精霊についての見解や思いを書いたことは今までもありました。
どうも私には、物質世界の人間や生物とは異なる存在の記憶が多くて、
中には、人間から見ると精霊とか妖怪と呼ばれているものなのだろうなぁ、
という存在の経験もあります。
それらのほとんどは、リアルな夢によって思い出しています。
そんなに「スピリチュアルなこと」を意識したことが無かった頃から。
舞台となっている場所は地球のようでも、時代や国がさまざまです。
一昨日、◆「共存」という記事を書きました。
人間同様に、やはり地球にフォーカスしている存在でも、
現代の人々には公式には認識されていない存在たちのことを、
考えたり、知ってもらったりするきっかけになるといいなぁ、と思います。
☆☆☆
この記事を書こうと思った直接のきっかけは、昨夜、
晩ご飯を食べながらパートナーと、こんな話をしたことからでした。
いつしか、神社やお寺から感じるエネルギーの話になっていたのです。
私たちがつき合いはじめた当初も、とある神社を散歩したときに私が、
「きつい結界を感じる…(-"-;A 」
的なことを口走ったために、
「それ何!?何のこと?」
と、ものすごくツッコミを入れられたことがありました。
実は私は、神社のエネルギーがあまり得意ではないのです。
場所にもよるかもしれませんが、都内の有名どころとか、
パワースポットとしてすがすがしい、と絶賛されているところでも、
たいてい私はそんなに長居したいとは思いません。
相性があるので、これは決して「いい・わるい」の話じゃありませんよ!
では、私の安らぐ場所、個人的なパワースポットはというと、
自然の気がそのままいきいきと生きている場所です。
さらに、昨夜話しながらわかったのですが、
私は神社よりはお寺の方が、ほっと落ち着くことが多かったのでした。
子供の頃、田舎のおばあちゃんの所に遊びに行った折、
みんなで遠出して行くお寺でのお墓参りも大好きでしたし、
旅行で訪れたことのある歴史的に有名なスポットでも、
自然に瞑想状態になるような深い心地よさを覚えたのは、お寺でした。
記憶にあるのは、京都の三十三間堂とか…好きでした。
「神社は、人によって整えたエネルギーという感じがきつくて、苦手なの。
ビシィ!ってはじかれる感じ。」
…と、これまで私の感じてきた感覚を言語化して彼に説明しつつ、
お寺の方が何でもウェルカムな空気があるのでは?という話になりました。
「駆け込み寺」なんかもあるだけに…
あえて、来るもの拒まずな雰囲気も、あるのかもしれません!
そして、自然の気の中では嬉々として充電できるけれども、
神社では、キツイ!居心地がわるい!と感じる私という存在は、
寺なら入れるけれども神社では追い払われてしまう、
妖怪的な存在なのでは…!
(≧▽≦)
なんていう冗談を言っているときに、ハッと、
それってあながち冗談でもないな~((゚m゚;)
と気づき、過去の記憶も思い出しながらこの記事を書いているわけです。
ここからは、
私が妖怪とか精霊とかの類の存在だったときのエピソードを、いくつか載せます。
あ、ちなみに、かつて、◆「満月と半妖、更級日記」という記事の中で、
平安時代あたりではまだ、妖怪や精霊、もののけ、目に見えない存在も、
人々にもっとリアルに認識されていたようだ、という話をしました。
(くわしくはリンク先の記事をご覧ください。)
これも、私は夢の中でその頃の時代を追体験して知ったことでした。
その夢の中での私は、「映画を見ているように全体をみている観察者」と、
その時代の中にいる人間との、両方を体験していました。
このときは、自分が妖怪ではありませんでしたよ~(笑)(^^ゞ
ですので、日本に限らず、世界各地で、
もっと「見えない存在」が、その存在を認められ、
人間と日常的に共存していた時期もあったのだと、ご理解ください。
☆☆☆
これはたぶん12年以上前に夢で追体験したと思うのですが、
すごく印象に残っていたのが、北米の精霊だったときの体験です。
自分自身の「姿」がどんな風だったかいまいちわからないのですが…
日本風にいえば子鬼というか…子供くらいのサイズの精霊というか…
あちら風な伝承でいえば、トロールみたいな感じでしょうか?
そしてどうも、他愛ない悪戯ながらも、悪さをしすぎたようです。
私は、賢そうなインディアンの男性に捕えられ、
髪の毛をひっつかまれてズルズルと地面をひきずられ、
今後悪さをしないように、こらしめられてしまいました。
その、お仕置きというのが…
今でいうなら「小学校」のような、子供たちの集まっている場所を、
髪を掴まれたままの逃げられない状態で引き回されることだったのです。
その精霊的な存在の私は、子供が大っ嫌いだったので、
そこが嫌で嫌で、嫌がって声をあげてわんわん泣いていました。
意外かもしれませんが、
子供のことが嫌いな精霊・妖怪的存在の体験は、他のときにもしています。
これは、もっと現代に近い舞台背景のもとで、でしたが、
私は、子供の妖怪でした。
(これは、子供サイズの妖怪ではなくて、妖怪の子供という意味です。)
妖怪というか…かなり人間の子供に似た感じの存在です。
(便宜上、妖怪、と呼びます。)
妖怪のお父さんお母さんもいて、
人間とはちょっと周波数の違う領域に住んでいるのですが、
「ポータル(ワープできる透明のホールやトンネルのようなもの)」を利用して、
人間の暮らしている地上とは重なるような感じで、行き来もして存在しています。
私のことが見える人も見えない人もいるのですが、
たいていの子供には見えるので、それが嫌でした。
というのも、子供たちは自分を見つけると、からかったり、
(子供としては遊んでいるつもりなのでしょうが)
行く手を阻まれたり、追いかけられたりと、嫌な目に遭っていたからです。
その日も、私はポータルを探して自分たちの世界
(しつこいようですが同じ地球に重なって存在しています。)
に戻ろうとしていたのですが、その箇所は人間のデパートと重なっていて、
その、売り場の中を縫うようにして、ポータルに戻ろうと必死でした。
売り場にいる大人たちは気づきませんが、子供たちに気づかれてしまい、
売り物の服やワゴンの間などを抜けながら、子供たちの追っ手を逃れて、
うぇーん、うぇーんと泣きながら、帰り道を探していました。
☆☆☆
また、これは別の妖怪的存在のときなのですが、
大人たちは、人間と出くわしても「人間のふりをする」ことができ、
私たち子供たちはまだ、それができないので、
人間に出くわすことを何よりも怖れていました。
うっかり、人間に遭遇してしまうと、
「人間だ~!!」
と、大パニックになったものです。
また、他にも「ポータル」を利用している存在の夢はよくあって、
道が舗装されてて、ポータルがあったはずの場所がわからずにおろおろしたり、
ポータルがあったはずのところにロータリーのような設備ができていて、
帰れるのだろうか…?と、不安になったりしていることがよくありました。
☆☆☆
いかがでしょうか、
ちょっと、人間側じゃない視点にも親しみを覚えてもらえましたか。
こんな私ですから、人間の都合で整えられた場所や、
人間の観念に沿ってというか…
強い意図をもって変えられた場所が、居心地悪いのかもしれません。
妖術や、儀式の類も苦手です。
神社の大木に巻かれているしめ縄なんかも、
木は好きだけど、しめ縄、なければいいのに…
なんて思うときがあります。(つぶやき)
案外、こんな人、他にもけっこういるのでは…?と思います。(*^▽^*)
※この話題、つづきがありました。→「草薙剣、おかがみさま」
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