こんにちはー♪ 相変わらず「天皇家系図」を見る用事に事欠かない私ですが(笑)、
新しく作ったテーマ「日本神話関連」を、「日本の神話や歴史」に改めました!
こうした場を設けて、引き続き、古文愛についても語ろうと思う(笑)
昨日の記事☆「古典を楽しんじゃおう!」☆で、
かつて教わった予備校の古文の先生の事をちらりと話題に出したのですが、
その先生に限らず、高校時代には面白い古文の先生に恵まれました。
印象深かったのが、古文の授業を1年だけ受け持ってくれた高校の先生。
年配で小柄、個性豊かな男の先生で、助動詞「まし」の活用を、
「ましかまーる!!ましまし、ましかまーる!!」※
と、ハリのある大っきな声でリズミカルに教えてくれました!
※ましか/○/まし/まし/ましか/○という活用形の表を覚えるため。
おかげで、古文の問題を解くことはなくなった今でも、忘れない(笑)
また、陰暦の十二の暦を覚えるのに…↓
睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走
それまでは、「む・き・や・う・さ・み、ふ・は・な・か・し・し」というように、
頭文字を並べて教わったりしてたんですが、この先生は、
「むきょう、さみ!!ふはなが、しし!!!」
と、これまた大きな声で武士の詠唱のごとく、
独自の読み方と節をつけて教えてくれたのでした。
おかげさまで、いずれの覚え方もすっかり頭に入っており、
陰暦の十二ヶ月を忘れずに済むようになりました。
後者は今でも、きっぱりとした先生の声にて再生されます(笑)
ふはなが、しし!…って何だかわからないけど言い切られると説得力あるよね(笑)
ところで皆さん、百人一首の札で「坊主めくり」をしたことはありますか?
●百人一首 坊主めくり(サイト「百人一首の風景」さんより)
これは、歌を知らなくても単純に楽しめるカード遊びですよね!
私も、子供の頃は妹や友達とみんなでよくやりました。(*^▽^*)
「坊主」が出ると、手持ちの札が没収になってしまうのでドキドキするのですが、
坊主の中でもなぜか特にジョーカー的存在として注目されていたのが…
蝉丸(せみまる)。
なぜだかわからないけれど、蝉丸には子供を笑わせるすごい力がありました。
他の坊主のときはそうでもないのに、蝉丸が出ると皆、爆笑。
「せみまるーー!! (←歌いながら)」
と、ゲームオーバー風の節をつけて、蝉丸のときだけ合唱するなど。
なんとなく、蝉丸についての反応は、
他の時代の子供たちも同様だったのではないかと思われます。
ちなみに、百人一首におさめられている蝉丸の句といえば、
「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」
リズミカルで覚えやすく、まさに、歌!
「逢坂の関」と「逢う」をかけたりして、その意味は、
あぁこれが、京から東国へ行く人も、京へ帰ってくる人も、
別れてはまた逢い・知る人も知らぬ人も出逢う、逢坂の関なんだなぁ。
…という感じです。
作者は往来を見て、仏教でいうところの「会者定離(えしゃじょうり)」、
離合集散を歌ったのだ…と、解説にはありました。
それもそうかもしれないけど、どうもこの感じ、
蝉丸は、現代でいうところのミュージシャンですよね~。
逢坂の関は、今ならば、たとえばステーション…
現代でも、駅前にはミュージシャンが集まる性質がありますが。
◆「逢坂関」ウィキペディア
いや、説明を読むと「関」には軍事的な意味合いもあったわけだから、
出入国をチェックするイミグレーションに近いかもしれません。
関の、人の行き来を見て歌をつくってしまう蝉丸は、さながら、
空港でインスパイアされて歌をつくるミュージシャンのようですね。
空港をバックに、琵琶を弾きながら歌うプロモーションビデオも浮かぶ…。
とまあ、関心がよみがえって蝉丸を調べてみると、
◆蝉丸 ウィキペディア
掲載されているエピソードがすごい。↓
管弦の名人であった源博雅が、
逢坂の関に住む蝉丸が琵琶の名人であることを聞き、
蝉丸の演奏を何としても聴きたいと思い、逢坂に3年間通いつづけ、
遂に8月15日夜に琵琶の秘曲『流泉』『啄木』を伝授されたという
(『今昔物語集』巻第24 第23話)。
他にも蝉丸に関する様々な伝承は
『今昔物語集』や『平家物語』などにも登場している。
~引用終わり~
自分自身も名人である人が、
演奏を聞きたいと願い3年間も通い詰めるほどのミュージシャンって…
しかも、最後には蝉丸から秘曲をついに伝授されたって…!?
「俺を弟子にしてくださいっ!!」の世界ですよね~!
後世に語り継がれるほどの伝説ミュージシャン蝉丸!
しかも、坊主めくりでは子供たちに喜ばれ続ける。カリスマですね。
☆☆☆
「和歌」には当時の人々の色々な思いが込められていました。
言葉遊びや音自体の調子・リズムがあるのは、今の歌とも一緒ですよね。
当世の私たちは、メールやラインやツイッター、
色んな手段を開発しコミュニケーションしていますが
(↑例に挙げたうち1つしか使用してない私のような人間も居るけど。)
コミュニケーションしたい!“表現”したい!
というのは人間の常なのでしょうね。
その手段として、昔の流行りは、和歌だった。
それもただ思いをつぶやくのではなくて、その中でクリエイティビティーが試される。
ツイッター等でも本質的に、ただつぶやくだけの人は少ないですね。
人って、どんな手段でもクリエイティブに使っていくんだなぁと思います。
今回は百人一首の中からもう1つ、私の好きなこの歌をご紹介します。
「あひみての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思わざりけり」
(権中納言敦忠)
資料を見て気づいたのですが、この方も琵琶の名手だったのですってー!
ご紹介しているこの歌は、小学生の頃から好きでした。
子供ながらに歌の意味や込められた思いをちゃんと感じることができて、
それが胸に浸み入るようでした。
「あい見る」は、ただ人と「会う」ということじゃなくて、
一夜をともにするという意味です。
あなたのことばかり思っているつもりだったけれど…
こうして夜を共にしてしまった後では、
それまでのもの思いなんて何でもなかったと思えるくらいに
今はもっとあなたのことで心がいっぱいですよ。
という歌。
なんだかかわいく、胸にぐっとくるラブソングではありませんか。(*^.^*)
はじめてのお泊りの後、こんなメールが恋人から送られてきたらどうですか!
実際、平安時代の人たちは歌でやりとりをしていましたよね~。
このように、和歌からもリアルな思いを感じることができるわけで。
もう少し後の時代になりますが、源頼朝に捕えられた身の静御前が、
「しづやしづ しづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」
と、敵前のステージで歌ったのなんて、歴史に残る渾身のバラードでしたよね。
本日は、歴史上のミュージシャン伝説風にお送りしました。
史実も、外側から歴史として見るより、
「その中の目線」で味わうと、等身大の感覚が体験できて面白いです。
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