ハロー、日曜日いかがお過ごしでしたか。
今日のタイトルは、「私なんかが…と思うとき」です。
載せるのが季節外れになってしまいましたが、
5月に撮影したクレマチス。ゴールドと紫の色合い!
今日の記事は、しばらく前からメッセージとして載せようかな、
と考えていた内容なのですが、それからちょうど今までの間に、
このメッセージとシンクロするお客様とのやりとりが何度かありまして、
興味深かったです!
ちょうど昨日掲載させていただいた講座のご感想をくださったsuzuranさんも、
この内容とシンクロすることをメールに書いてくださっていました。
あなたも折にふれ持っているかもしれない、
「私なんかが…」という思いにまつわるお話です。
私なんかがこれを願ってもいい?
私なんかが、こんなことを思ってもいいの?
私なんかが…
と、こんな風に、その後に続く内容はなんであれ、
「私なんかが」から始まる思いを経験したことが、
あなたにもあるのではないでしょうか?
これは、「謙虚さ」とセットになっているように見えることもあり、
そう捉えている分には聞こえはいい?のですが、
その裏に、「自己不信」や「恐れ」が隠れていることがあります。
私がこの記事内容を思いついたのも、やはり、
自分自身が感じている「私なんかが…」に気がついたからでした。
そしてそれは、これまでの「制限」になっていました。
私なんかが、これを願ってもいいのかな?
私なんかが、こんな風に意図してもいいのかな?
たとえそれが、自分の本心・自然と内から湧くことでも、疑ってしまう。
そこには、謙虚さに紛らせた自信のなさや恐れがありました。
謙虚さを笠に着れば、冒険をしなくて済みます。
自分の打ち立てた安全圏の中から、出ないで済みます。
しかも世間的にも、自己の力を肯定しチャレンジする者よりも、
「小さくみせる」、「へりくだる」、「謙虚である」、「望まない」
ということの方が賛美される傾向もあるので、表面上、都合もいいです。
でも、人間はそれぞれ自然と「拡大する」ようにできているので、※
(※物理的な意味での拡大を指しているわけではありません)
同じままでいるということはできないし、
無理にそうしていると(自然に逆らって同じままを保とうとすると)、
バランスを崩すのです。鬱積していくのです。何か物足りなくなるのです。
誰もが、無力なままではいられません。
「小さな自分」のままではいられません。
「私」を直視するときがきます。
私なんか…
と言っていないで、動くときがきます。
自分の定めた安全圏から、出るときがきます。
それを避けて、同じ自分にとどまろうとするほうが、苦しいのです。
「私なんかが…」と顔をそむけ、自分自身の真実からうつむくのではなくて、
「私が(I am)」と、その力を、意識的に用いることが大切です。
私たちの恐れの根源に、「自分の力に対する恐れ」があります。
自分の力を何とか直視しないようにと、色々なことをするんですよ!(笑)
認める・認めざると、それはもうすでに「使っている力」なのにね。
私なんかが…?
と、迂回しそうになったときには、今日のお話、思い出してくださいね☆
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