こんばんは☆
今日のメッセージは、「聖と俗、神秘と日常の仕切り」です。
精神世界・スピリチュアルの分野に興味を持つことが、
あなたの多様な要素をひとつに結び付ける「橋架け」になればいいのですが、
その扱い方を間違えると、かえって、
「日常の自分と」、「より大きな自分と」
などの形態に分けることで、「分離」を大きくしてしまうことがあります。
これが起こるのは、「自己」の概念を分けてしまうからです。
ひとつの意識にも、色々な名前や区分をつけて区別するからです。
(例: 表層意識、潜在意識、無意識、顕在意識、超意識…)
それらを、私たちが「便宜上」つくったラベルなのであると、
理解できて使っていればいいのですが、
本当にそれぞれが「分かれている、別々なものである」と捉えてしまうと、
本質に気づくことができません。
「体」と「精神(心)」、「魂」という呼び方についても、そうです。
たとえば、
「肉体という容れ物に、魂が入っている」と考えているなら、
それは正しくありません。
また、
肉体も「意識」でできているのですが、かといって、
肉体はただの「まぼろし」なわけではありません。
すべてが「生命」なのです。
それは、体という形に限定されない普遍の命のことです。
私たちが、何も無い・空(くう)であると思っているところにも、
意識は充満しており、生命があふれています。
その意味で、肉体や物質をただ否定するという考えは間違っているし、
唯物論的に、見えない世界を否定するということも間違っています。
ところで、
スピリチュアルな分野での色々な体験や知識がひろがっていくと、
“日々の現実”以上に楽しそうな、魅惑的な世界も見えてくると思います。
子供のときにわくわくしたような、神秘的な世界に、また手が届くのです。
そのこと自体は、どうか否定しないで楽しんでくださいね!
それもまた、あなた自身の大切な側面なんです。
ただ、
「日常」と、それら「不思議な世界」とを分けて考えることは、やめましょうね☆
この点を、宗教的な観念を例にあげながら説明すると…
「聖」と「俗」の概念が分かれていることがありますよね?
でも、その区別・「仕切り」は元々、存在しないということなんです。
私たちがそう見るから、何かが「聖」になり、何かが「俗」になる。
一方は「なんでもない日常」になり、一方は「神秘的な、不思議な世界」になる。
私たちの見つめる目(意識)の方にある仕切りをはずせば、
そんな境界は存在しないということです。
あなたの“ふだん通り”の日々の中に、不思議があふれてる。
神秘の世界が、そこにある。
ただ、私たちが「そう認識しない」ことがあるだけ。
そのように、見てはいないだけ。
俗っぽいなぁと思っている日々の営みの中にも、
聖なる輝きが宿っています。
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